第17話 グルル、初めて街に行く
「おわ~! おっきいねぇ!」
石畳を踏む馬車の車輪の音や、あちこちから響く商人たちの活気ある声。
香ばしい串焼きの匂いが漂うオウデーンの街の広場で、グルルが目を丸くして歓声を上げていた。
俺とセシルは今日、グルルを連れてオウデーンの街を訪れていた。
買い出しも目的のひとつだが、一番の理由はグルルの母親であるルーアから頼み事をされたからだ。
『グルルに人間の社会を知ってほしい』
それが、ルーアの願いだった。
ルーア自体はグレイウルフ領から離れると巨狼の姿になってしまうため、俺たちが託されたのだ。
グルルは広場の中央に立ち、首が痛くなりそうなほど上を向いて石造りの高い建物を驚きの表情で見上げている。
今までグレイウルフの集落にある簡素な住居しか見た経験がないのだから、この反応も無理はない。
「ああ、あれが建物だ。人間があの中で暮らしているんだよ」
「へぇ~! おっきい人が住んでるんだねぇ!」
「いや、住んでる人は俺たちと同じ大きさだけどね……」
グルルの勘違いに苦笑いしつつ、俺は少し悩んでいた。
人間社会を初めて見る子どもに、いったいどこから教えればいいのだろうか。
そんな事を考えていると、ふと名案を思いつく。
俺のすぐ隣に、グルルと似たような立場の人間がいるじゃないか。
それは、セシルだ。王族として城の中で育ったセシルも、平民の生活をほとんど知らずに街へやって来た。
俺はセシルの方へ向き直り、小声で相談を持ちかけた。
「なあ、セシル。セシルが初めて街に来た時に、面白かった事って何かあるかい?」
「街に来た時かぁ。う~ん……」
セシルは腕を組んで少し考え込み、すぐにポンと手を打った。
「あっ、お買い物かな! 自分で物を選んで買えるのって、すごく楽しかったよ!」
「買い物か……なるほど。たしかに、貨幣と物を交換する仕組みは人間社会の基本ではあるな。いや……でも待てよ」
いきなり貨幣の便利さだけを教えるのは、少し危険な行為かもしれない。
お金を払えば何でも手に入るという結果だけを知れば、お金の価値を勘違いして労働を軽視してしまう恐れがある。
となると、最初に学ぶべきことは……『労働』だ!
労働の対価としてお金を得る。その仕組みを体験させるのが一番だろう。
だが、子どもがいきなり働かせてもらえる場所など、この街のどこにあるというのか。
あ……ちょうど良い所があるな。
——————
「こここここれはフェルレイド様! いきなり、どうされましたかかかかかか!?」
「まあまあ、そう興奮するなよ。俺と会えてそんなに嬉しいか? ベマスダ」
「へぅっ!? え、ええ……そりゃもう!」
やって来たのは、以前俺が少しだけ指導をしたベマスダ商会が経営する喫茶店だ。
扉を開けると焙煎されたコーヒーのほろ苦い香りが漂い、店内は落ち着いた雰囲気に包まれていた。
もしやと思って立ち寄ってみたら、運良くベマスダ本人が滞在していたのだ。
ベマスダは俺の顔を見るなり、額から大量の汗を噴き出して直立不動になっている。
「それであの……本日はどのようなご用向きでしょうか……?」
「今日はちょっとだけ、ここで働かせてほしくってな」
「働く……? え、フェルレイド様は、あの魔獣の素材で相当な蓄えがあるのではないですか? 私やオウデーンの街全体が、おかげでずいぶんと潤っておりますが……」
ほう。ヴァルガノスなどの素材が、このオウデーンの街の経済を潤しているらしい。皆の生活が豊かになるのは良いことだ。
「実はさ、この子に社会勉強をさせてほしくってな」
「この子……?」
ベマスダの視線が、俺の足元に隠れていたグルルへと移る。
グルルは俺の背中からひょっこりと顔を出し、元気よく手を挙げた。
「こんちゃあ!」
「…………えっ?!」
屈託のない笑顔で挨拶するグルルを見て、ベマスダは困惑しきっていた。
「フェルレイド様、まだ小さな子どもじゃないですか! うちの喫茶店は、高級店なんですよ!?」
「そうか、じゃあ今日は一般大衆店だな! 新しいアプローチを取り入れるのも経営には大切だぜ? なあに、少しの時間だけ働かせてくれればいいさ」
「そ、そんなぁ……!」
ベマスダの切羽詰まった声は無視する。
こうして急遽、グルルのお仕事体験が始まることになった。
店の奥から持ち出された子ども用のメイド服に袖を通し、グルルは飲み物や軽食を客席へ運ぶ仕事を任された。
すると、なぜかセシルまで「私も一緒にやりたい!」と言い出し、二人揃ってフリルのついたメイド服に着替えてしまった。
「いらっしゃいませー!」
「しゃせー!」
二人の元気な声が、店の外まで響き渡る。
その声に誘われ、通りを歩いていた人々が足を止めた。
「あれ? あの店にいるのって、セシルさんじゃないか?」
そんな声が次々と上がり、あっという間に人だかりができ始めた。
つい最近まで、グレイウルフ領の開拓作業で大人気のセシルにはファンが大量にいたが、その人気はまだオウデーンの街でも健在のようだ。
すると、喫茶店の外にはすぐさま長い列が形成されてしまった。
店内では、セシルとグルルが額に汗を浮かべながら一生懸命にコーヒーのカップやサンドイッチの皿を運んでいる。
トレイを両手でしっかりと持ち、小走りで客席を行き来する二人の姿が、さらなる客を呼び込むきっかけとなっていた。
「す、すごい。うちの店にこんなにたくさんの客が……!」
次々と注文が入り、商品が売れていく状況にベマスダが目を丸くして驚嘆している。
「ほらな、言った通りだろ? 新しいアプローチも大切だぜ?」
「本当ですね! ありがとうございます、フェルレイド様!」
先ほどまでの困惑はどこへやら。ベマスダはすっかり態度を変え、満面の笑みで自ら接客を手伝い始めた。
だが、客の目当てはコーヒーだけではない。
最初はセシル見たさに集まっていた客たちも、今は懸命に働くグルルの姿に温かい視線を送っている。
そして、数時間が経過した。
「ふう、疲れた~!」
「つかれたぁ!」
労働を終え、店の裏手にある休憩スペースの椅子にセシルとグルルがぐったりと腰を下ろした。
ほんの短い時間ではあったが、息つく暇もないほどの忙しさだったため、二人ともすっかり体力を消耗しているようだ。
「二人とも、お疲れ様。どうだった、実際に働いてみた感想は?」
「すっごく楽しかったよ! すごく忙しかったけどね」
「たのしかったぁ!」
疲労のにじむ表情だが、二人の瞳にはやり遂げたという達成感が満ちていた。
そして、二人の手には小さな革袋が握られている。今日働いた分の給料だ。
ベマスダは先ほど「おかげで過去最高の売上が出ました!」と、何度も頭を下げて感謝の言葉を繰り返していた。
「じゃあ二人とも、今度は買い物でもしに行こうか?」
「うん! そうしよう!」
「かいもの? かいものってなぁに?」
グルルは小首を傾げている。グルルは『買い物』を知らないのだ。
今日一生懸命に働いて手に入れたその給料で、自分の好きな物と交換できるんだよと教えると、グルルの目がパッと輝いた。
俺たちは再びオウデーンの賑やかな大通りへとやってきた。
色とりどりの果物が並ぶ店や、木彫りの玩具が置かれた屋台を、グルルは興味津々な様子で見て回っている。
自分の手の中にあるお金で買える範囲で、いったいグルルは何を選ぶのだろうか。
俺とセシルは、少し後ろからグルルの様子を静かに見守っていた。
しばらく大通りを歩いた後、グルルはある店の前でピタリと足を止めた。
「グルル、これにする!」
グルルが小さな指で指し示したのは、パン屋の店先に並ぶ一本のパンだった。
表面がカリッと香ばしく焼き上がっており、ふんわりと小麦の良い匂いを漂わせている。
やはり、食べ物を選んだか。その気持ちは分かる。
子どもらしい素直な選択に、俺は思わず微笑んでしまった。
「じゃあ、お店の人に『これください』って言って、手の中のお金を渡すんだよ」
「うん! これください!」
パン屋の主人は、背伸びをして硬貨を差し出すグルルに優しく対応してくれた。
無事に目当てのパンを受け取り、グルルが俺の方を振り向く。
「えへへへへ! グルル買えたよ!」
「よくやったな、グルル!」
俺が褒めると、グルルは得意げな顔をして笑った。
しかし、焼きたてのいい匂いがしているにもかかわらず、グルルはパンを食べようとしない。
ただ大事そうに、両手でギュッと胸の前に抱きしめているだけだ。
「どうした、グルル。今すぐ食べてもいいんだよ?」
俺がそう催促すると、思いがけない言葉が返ってきた。
「ううん! 食べない! これ、お母さんにあげるの!」
その言葉を聞いて、俺もセシルも、そしてパン屋の主人や周りにいた客たちも一斉に驚きの表情を浮かべた。
人間社会の仕組みは知らなくても、グルルの心はすでに立派に成長している。
自分の初めての給料で、自分のためではなく、母親に喜んでもらうためのプレゼントを買ったのだ。
俺はゆっくりと膝をつき、グルルの頭を優しく撫でた。
「そうか。じゃあさっそく帰って、お母さんに渡してあげないとな」
「うん!」
屈託のない笑顔で元気に頷くグルルを見て、俺たちにも自然と温かい笑みが広がった。
この後、俺たちはグレイウルフ領へ戻り、ルーアに今日の出来事を報告した。
グルルが喫茶店で一生懸命働いたこと。
もらったお金で、初めて買い物をしたこと。
そして、その初めて貰った給料で、グルルはルーアへのプレゼントを選んだこと。
グルルからパンを手渡された時、ルーアの目に大粒の涙が溜まったのは言うまでもない。




