第14話 野営
「では、出発いたしますぞ!」
オルドが馬車の御者席に乗り込み、手綱を握りながら俺たちへ合図を送る。
倒したヴァルガノスの素材回収は、オウデーンの街から駆けつけた商人たちへ任せてある。巨大なヴァルガノスの解体には一日以上掛かると思っていた。だが、オウデーンから予想以上に多くの人手が集まったおかげで、問題なく素材を回収することができたのだ。
これでようやく、俺はグルルたちの住んでいる家へ向かうことができる。馬車に揺られ、あの半壊した石造りの住居が見えてきた。
馬車を近くに止め地面に降り立ったが、辺りに生き物の気配がない。
それにルーアほどの巨大な魔獣であれば、遠目からでもすぐに見つけられるはずだ。
「おーい! ルーア、グルルいるかー?」
俺の声だけが、シーンと響く。
返事はないかと思った時、石造りの家の中から、ひょこっと小さな白い影が飛び出してきた。
グルルだ。
「おー、フェルー! 来たかぁ!」
短い足を一生懸命に動かし、グルルがこちらへ駆けてくる。
「待ってたよぉ!」
「あれ、グルルひとりか?」
「ううん、お母さんは中にいるよぉ!」
あの崩れかけた小さな家に、ルーアがいる?
どう考えても、ルーアの巨体が家の中に収まるとは思えない。いったいどういうことだ?
不思議に思いながらも、グルルに腕を引っ張られるまま家の中へ足を踏み入れた。
そこにいたのは、白い服を着た老婆だった。
「こら、グルル。迷惑を掛けてはいけませんよ」
「分かってるよぉ!」
老婆がグルルをたしなめる声色。それは間違いなく、俺が知っているルーアの落ち着いた声だった。
「あなたはルーアで間違いないか?」
俺が問いかけると、老婆は静かに俺の方へ顔を向けた。
「ええ。それに、こちらの姿の方が接しやすいでしょう?」
「人語を喋れるだけでなく、人の姿にもなれるのか……これは参ったな」
俺の呟きに同意する形で、後ろに立つオルドも驚愕している。
だが、隣のセシルはきょとんとした顔だ。そもそも魔獣の生態をよく知らないため、この状況の異常さが分かっていないのだろう。
魔獣が人化するなど、本当に信じられないほどの凄い事なのだが。
俺たちは気を取り直し、馬車から荷物を運び出した。
殺風景だった家の中に、生活に必要な道具を並べていく。
焚き火台を設置し、火を起こした。
折り畳み式の木材の椅子には、老婆の姿をしたルーアが腰を下ろしている。
グルルは寝袋をクッション代わりにし、ふかふかの椅子にすっぽりと埋まっていた。
パチパチと薪が爆ぜる音を聞きながら、俺たちは焚火を囲んで温かい紅茶を飲んでいた。
「グルル、熱いから注意してね」
「うん! ……わっ、あつぅい!」
「大丈夫!? ほら、ふーふーってすると冷めるんだよ」
「へぇ? ふー、ふー……」
セシルがグルルに紅茶の飲み方を教えている。
その和やかなやり取りを、俺たちは微笑ましい気持ちで眺めていた。
俺は視線を外し、隣に座るルーアへ声を掛ける。
「ルーア、急に押しかけてすまなかった。泊らせてもらう事に感謝する」
「いえ、こちらこそ腐れ獣を倒してもらい感謝してもしきれないです。こうして、再びグルルの笑顔を見られるんですもの」
ルーアのシワの刻まれた目元が、優しく細められる。
彼女は愛おしそうにグルルを見つめていた。
「グルルはフェンリル族では無いんだよな? って、こんな事を聞いて言いか分からないが」
「いえ、問題ありませんよ。フェル、あなたの言う通り、グルルは人間族です。私と違ってね」
「なぜ、人間の子どもをあなたが育ててるんだ?」
俺はずっと心に抱いていた疑問をぶつけた。そもそも魔獣が人間の子供を育てるなど、今まで生きてきて聞いた事がない。
「私はグルルに命を救われたのです。あなたがヴァルガノスと呼んでいた獣と戦い、深手を負っていたところに小さなグルルと出会った事でね」
「グルルに命を救われたというのは?」
俺が尋ね返すと、ルーアは紅茶の入ったカップを置き、俺を真剣な目で見つめてきた。
「フェル。あなたはおそらく、善人のようですから説明をしましょう」
老婆の姿のルーアが、静かな声で語り始める。
「グルルには、怪我を治す不思議な力が備わっているようです。大怪我を負った私をグルルが助けてくれました。なぜグルルが、獣しか住まわぬこの地にいたのかは分かりません。人間の親も周りにはおりませんでした。その恩もあり、人間の言葉もあまり喋れなかったグルルを私が育てたのです」
「癒しの力? 神聖魔法だろうか。だが、子どもが神聖魔法を使えるとも思えないが……」
神聖魔法は、僧侶や神官が長い時間をかけて信仰と献身を積み重ねて習得するものだ。さらには触媒が必要になるため、一般の人間には容易に使用できない希少な力でもある。
「ええ、フェル。あの子には不思議な力があるのです。だからこそ、あの子を守ってほしい。それに人間が人間社会の中で生き抜く術も、教えてあげてほしいのです。勝手なお願いかと思うのですが、私にはこのような事を頼める人間がおらぬのです」
ルーアの言葉には、我が子を心配する母親の切実な思いが込められていた。
魔獣と人間、そんなものは家族という絆の間には些細なものかもしれない。
「ええ、俺でよければ引き受けます。それに、グルルがグレイウルフ領の人間だとすれば、俺は領主として保護するのが当たり前ですから。ルーア、あなたの事も俺に任せてください。ずっとグルルと一緒にいられるよう計らいますので」
俺が断言すると、ルーアは目を丸くして驚いた表情を見せた。
フェンリルでも、こんなに分かりやすく呆気にとられた顔をするものなのか。
やがて、ルーアはふふっと楽しげに笑い声を漏らす。
「フェル、あなたは面白い人間ですね。まさか私が人間の保護下に入るなんて。……ですが、あなたの強さを知れば、それも当然の事かもしれません」
「いや、母と子が一緒にいるという普通の時間を、俺はただ過ごしてほしいだけですよ」
「ありがとう、フェル。あなたのご両親も、さぞあなたを愛されていたのでしょうね」
「え? いや、まぁ……」
俺は少し言葉を濁した。
両親の顔を知らない、とは今の温かい空気の中では言い出しにくかったからだ。
物心ついた時から、戦場では傭兵として、ダンジョンでは冒険者として、ただ生き抜く事だけを考えてここまで生きてきた。
それゆえ家族の愛情というものを、俺は知らない。
だが、だからこそ、ルーアたちにはその絆を大事にしてほしいと心から思う。
それは、誰にでも手に入るものではないのだから。




