第11話 フェルネーター
いつの間にか、俺たちの背後には巨大な白い狼が静かに佇んでいた。
この巨狼はグルルの母だと言っていたが……?
巨狼の金色の瞳には明らかな警戒心が宿っている。
しかし俺たちを排除するつもりなら、すでに牙を剥いて襲いかかってきているはずだ。
「……グルル。グルルのお母さんって目の前の、目の前のこの方がそうなのか?」
「うん、そうだよぉ! ただいまぁ、お母さん!」
グルルはそう応えるとが、タタタっと走り巨狼に向かってボフッと抱き着いた。
巨狼は嫌がる素振りを見せず、ただ静かにグルルを受け止めていた。
……魔獣の子どもが人間?
ということはグルルも魔獣なのだろうか。
まさかグルルは変身する魔法でも使えるのか?
疑問が渦巻く中、巨狼が首を下げてグルルの方を向いた。
「グルル。帰ってきてしまったのですね」
「うん!」
——魔獣がしゃべった!?
俺は驚愕のあまり、ゴクリと唾を飲み込んだ。
魔獣が喋るというのは、初めての事だ。
しかも巨狼の口にした『帰ってきてしまった』という言い回しが引っかかる。いったいどういう意味だ?
頭の中で様々な推測が駆け巡る。
だが、まずは相手の出方を探るのが先決だ。
今のところ、巨狼から明確な敵意は感じられない。
「はじめまして。俺はフェルレイドと申します。グルルのお母さん、ですよね?」
俺は努めて穏やかな声で挨拶をした。
巨狼はすっと後ろ脚を折り曲げてその場に座り、静かに俺の言葉へ応える。
「……ええ、私がグルルの母です。今まで保護していました。あなたたちがグルルを連れてきてくれたのですよね?」
「はい、そうです。森にひとりでいたので……といっても、俺はこの場所、グレイウルフ領に来ること自体が元々の目的ですが」
「この場所に? なぜ人間がわざわざ、このような場所へ来るのですか?」
巨狼の怪訝そうな問いに対し、俺は事情を説明した。
王家からの辞令により、領主としてこの地で暮らさなければならないという経緯を簡潔に。
「……なるほど、そういう事情があったのですね。ですが、ここはもうすぐ住めない土地になります。あなたたちも、すぐにここから出て行きなさい。グルル、あなたもです」
「え~、やだぁ! グルルはお母さんといるよぉ!」
「ダメです! グルルも人間のいる街に行きなさい!」
突如として、巨狼が大きな声を張り上げた。
その迫力に、俺たちも思わず肩をビクッと震わせる。
グルルは、突然の叱責に驚いてピタリと動きを止めていた。
すると……
「……うっうっ……うわーん!」
グルルが大粒の涙をこぼし、わあわあと泣き出してしまった。
セシルが慌てて前に出ると、グルルの小さな身体を抱き寄せる。背中を優しく撫でられたグルルは、そのままセシルの胸に顔を埋めて泣きじゃくっていた。
しかし、どういう状況なんだ……? この地がもうすぐ住めなくなる?
巨狼がグルルを強引に街へ追い出そうとするからには、それ相応の差し迫った危機があるのだろう。
「あの、よければ理由を教えて貰えませんか?」
俺が慎重に尋ねると、巨狼は目を伏せて少しの間黙り込んだ。
そして覚悟を決めたように、重々しい口を開く。
「この土地は、もうすぐ荒廃するのです。数十年に一度、巨大な魔獣が目覚め、土地を食い散らかして辺り一帯を腐食させるのです。並の生き物は、まず生き残れません」
「巨大な魔獣……? 土地の腐食……?」
なるほど、そういうことか。
グレイウルフ領が呪われた不毛の地と呼ばれていた原因は、その魔獣のせいなのだろう。
数十年ごとに目覚めて土地を荒らし、時間をかけて自然が回復した頃にまた目覚める。
今はちょうどその回復期だからこそ、これほど緑が豊かだというわけだ。
巨狼がグルルを追い出そうとする理由も合点がいく。
「この土地で人間が住めなくなるから、グルルを安全な街へ避難させたい。そういう考えで合っていますか?」
俺が確認を求めると、巨狼は悲しげに一度だけ頷いた。
「ええ、その通りです。この子は数年前に拾ってから、私が育てました。しかし、この土地が呪われたら、グルルは生きてはいられない……」
巨狼の瞳に浮かぶ深い悲哀の正体は、娘との別れを覚悟したからこそのものだ。
魔獣が人間の子どもを育てた事実にも驚くが、巨狼は母親として苦悩の末に決断を下したのだ。
俺たちを襲わなかったのも、人間であるグルルのためだろう。
だが、この豊かなグレイウルフ領が再び荒廃するのは、領主となった俺としても非常に困る。
それにしても、腐食させる魔獣……もしかして……?
俺の脳裏に、ある魔獣の姿が思い浮かんだ。確証を得るため、巨狼へさらに質問を重ねる。
「その魔獣は、もしかして四つ足の翼の無い竜ですか?」
「え……? ええ、その通りです」
お、これはもしや!
俺の胸の奥で、期待が少しずつ膨らんでいく。
「その魔獣の大きさは、あなたの身体と比べて3倍くらいですか?」
「3倍……ええ、そのくらいですね」
やっぱり! 俺はその存在を知っているぞ!
思わず口元が緩むのを抑えきれなかった。
「その魔獣は、食べたら美味しいですか?」
「お、美味しい!? 奴の赤い鱗は硬すぎて、私の牙も爪も通さないのです。食べた事はありませんが……」
俺の質問に、巨狼は目を丸くしてひどく困惑している。
だが、その魔獣の赤い鱗が異常なまでに硬いという特徴は、俺の記憶と完全に一致した。
背後に立つオルドを振り返る。オルドもすでに、俺と同じ結論に行き着いていたようだ。
その顔には、楽しげな笑みが浮かんでいる。
俺たちが傭兵として従事していたトラーグ砦。
そのトラーグ砦の周辺は、異常な数の魔獣が生息する危険地帯だった。
四つ足の翼の無い竜。
大食らいで木々さえ根こそぎ食べ尽くす。
そして、赤い鱗。
俺とオルドは、無言のまま力強く頷き合った。
「その魔獣の正体は、『ヴァルガノス』で間違いなさそうだな」
「あのデカブツですな! なつかしい! これは久々にフェルレイド隊長の剣捌きが見られそうで、ワクワクしますぞ!」
ヴァルガノスは、決して頻繁に遭遇する魔獣ではない。トラーグ砦の周辺環境が、どうかしていただけだ。
俺たちは5年間で、ヴァルガノスをおそらく20体は狩ったはずだ。年間に直せば数体程度だが、それでも確かな経験として身体に刻まれている。
ヴァルガノスの硬い鱗は防具などの素材として高く売れる。そして何より、肉がとびきり美味いのだ!
俺は少し前のめりになりながらも、巨狼に向かって念のために確認する。
「グルルのお母さん。その魔獣、俺が倒してしまっても問題ないですか?」
「た、倒す……? あの魔獣を? ……え?」
巨狼は状況が理解できないらしく、呆然とした声を出した。
俺の心の中は、久しぶりに極上の美味い肉が食えるという希望で満ち溢れていた。




