第九話:悲鳴をあげる暇があるならスクワットをしろ
ゴゴゴゴゴ……ッ! 鈍い地鳴りとともに、足元の岩盤が脆く崩れ去っていく。
大量の土砂と落石が、暗闇の底へと吐き出されていく。 視界を奪う砂煙のなか、浮遊感と加速する重力が三人の身体を容赦なく死の深淵へと引きずり下ろしていた。
「きゃあああああっ!? いやですわ、落っこちますわぁぁぁッ!!」
「エレノア! 式典用の外套を広げろ、風圧を殺すんだ!」
「そんな無茶言わないでくださぁぁぁいっ!!」
暗闇の中で炸裂するエレノアの絶叫と、冷静に指示を飛ばすレオンの声。 そして——。
(ちっ……重力加速度に対して自由落下か。だが問題ない。着地の衝撃吸収なら、膝と足首の関節をサスペンション代わりに使えば殺せる!)
アルティナは空中でも一切の動揺を見せず、体幹の軸を完璧に垂直へと維持していた。 制服の裏地に仕込まれた百キロの重りが、落下速度を容赦なく加速させる。 だが、彼女の研ぎ澄まされた感覚は、数十メートル下にある「床」の気配を捉えていた。
「ハッ……ッ!!」
ズドォォォォォンッッ!!!!
大砲の弾が打ち込まれたような、破殺音が地下空洞に響き渡った。 アルティナの両足が地面に着地した瞬間、強固な石造りの床板がクレーター状に陥没し、同心円状の衝撃波が吹き荒れる。 百キロの負荷と落下のエネルギーを、大腿四頭筋とヒラメ筋のしなりで完全に殺してみせたのだ。
「ふぅ……。心拍数は百二、想定の範囲内だな」
立ち上がり、軽やかに膝の屈伸をするアルティナ。 そのすぐ横で、レオンが外套を大きく羽ばたかせ、見事な受け身を取って着地した。 そして一番最後に、ドサッと生ゴミのように落ちてきたエレノアを、レオンが両手で受け止める。
「ふぅ、危ないところだったな。怪我はないかい、二人とも」
「も、もうダメですわ……! 足がガクガク震えて、腰が抜けましたわ……!」
エレノアは床に崩れ落ち、涙目で自分の縦ロールを握りしめていた。 アルティナは周囲の暗闇へと視線を巡らせる。
(ここは……初級迷宮の洞窟じゃないな)
立ち込める空気の質が違っていた。 湿り気のある土の匂いではなく、冷たく乾いた古代の石造りの匂い。 壁面には苔むした魔導灯が仄暗く明滅しており、整然と削り出された巨石の石柱がどこまでも奥へと続いている。
「ここは……王立騎士学園の地下深く、旧時代に封印された『古代地下監獄』の遺跡だ」
レオンが白銀の剣を構えながら、険しい表情で周囲を警戒する。
「本物の実戦区域だ。本来なら、近衛騎士団の厳重な結界で封印されているはずの場所なのだが……」
「結界が破られていた、ということですか?」
「ああ。先ほどのケーブ・オクトパスといい、誰かが意図的に結界を解除し、生徒たちを罠に嵌めようとした痕跡がある」
レオンの言葉に、アルティナの目が冷酷に細められた。
(なるほど……。乙女ゲームにおける『学園襲撃イベント』の序章ってわけか)
原作ゲームの知識が繋がっていく。 ゲーム中では、黒幕である魔王軍の残党か、王国を揺るがそうとする反乱組織が、学園の行事を利用して生徒たちを殺戮・監禁するイベントが存在した。 本来なら、そこでヒロインが捕らわれ、敵のボスに命命乞いを迫られる屈辱の『くっころシーン』へと突入するはずなのだ。
(反乱分子だか何だか知らんが……)
アルティナは両手の指関節をポキポキと鳴らした。
(俺の静かな筋トレ生活を邪魔する奴は、誰だろうと生かして帰さん)
その時だった。
カタカタカタカタ……ッ!
不気味な骨の摩擦音が、石柱の影から何十、何百と重なり合って聞こえてきた。 暗闇の中から浮かび上がってきたのは、漆黒の漆を塗ったような古代の甲冑を身に纏い、錆びた大剣を手にした不死の兵士たち——【スケルトン・ナイト】の軍勢だった。 それも、一体一体が並の騎士を凌駕する魔力を宿した、地下監獄の精鋭ガーディアンたち。
「ひ、ひぃぃぃぃっ!?」
エレノアが喉を破らんばかりの悲鳴をあげた。
「出ましたわ! 不死の軍勢ですわ! 逃げ場もありませんし、私たちはここで命を落とすんですのね!? 捕まって、恐ろしい儀式の生贄にされて、無惨に『くっ……殺せ!』なんて言いながら死んでいくんですのねぇぇぇッ!!」
——ピキッ。
アルティナの脳内で、何かが決定的にぶち切れる音がした。
「おい、縦ロール」
「へっ……?」
アルティナが静かに振り返る。 その表情には、一切の感情が消え失せていた。 雪のような銀髪が揺れ、透き通る翡翠色の瞳には、スケルトン・ナイトの群れすら凍りつくほどの獰猛な修羅の威圧感が宿っている。
「二度とその負け犬のセリフを口にするな。次言ったら、敵より先に貴女の顎関節を叩き割るわよ」
「ひっ、はいぃぃっ! すみません言いませんっ!!」
エレノアが恐怖のあまり正座した。 アルティナは一歩、前に踏み出す。
「レオン殿下」
「なんだい、アルティナ?」
「一分待ってください。ストレッチ代わりに、あの骨どもを片付けてきますので」
「ふ……頼もしいな。では、私も半分受け持とう!」
「いえ、全部私の獲物です。手を出すと、筋収縮の計算が狂うので引っ込んでいてください」
「容赦ないね!?」
アルティナの身体から、濃密極まりないエメラルドグリーンの魔力が爆発的に噴き出した。 制服の裏地に仕込まれた百キロの重りが、彼女の動作に合わせて咆哮のような風切り音を立てる。
「カタカタ……ッ!」
襲いかかってくる数拾体のスケルトン・ナイト。 錆びた大剣を一斉に振り下ろしてくる死の鉄の雨。
だが、アルティナは武器すら抜かなかった。
「骨密度が足りてないんだよぉぉぉぉッッ!!!!」
ドガァァァァァンッッ!!!!
解き放たれたのは、拳撃の暴風。 寸頸、斜拳、正拳突き、そして回転踵落とし。 一撃叩き込まれるたびに、頑丈な古代の甲冑ごとスケルトン・ナイトの骨格が木っ端微塵に砕け散り、骨の粉末となって空間に爆ぜる。
物理法則を無視した破壊の嵐。 数分前まで「捕らわれのピンチ」だったはずの地下監獄は、一瞬にして可憐な銀髪美少女による【一方的な解体作業現場】へと変貌したのだった。




