第七話:筋トレこそ最大の魔力制御法
王立騎士学園での生活が本格的に始まってから、一週間が経過した。 教室の机を素手で圧砕したアルティナの武勇伝は、悪役令嬢エレノアの悲鳴とともに瞬く間に学園中へと知れ渡っていた。
その結果、クラス内においてアルティナの周囲半径二メートルは、完全に不可侵の聖域と化していた。 誰一人として話しかけてこない。 遠巻きに畏怖と羨望の視線が向けられるだけである。
(よし……完璧な環境だな)
アルティナは心の中で満足げに頷いていた。 前世のいじめられっ子だった頃は、誰も寄ってこない孤独を惨めに感じていたものだが、今のアルティナにとっては好都合極まりない。
(無駄な雑談に時間を割かれず、常に筋肉のコンディション維持に集中できる。素晴らしい配慮だ)
授業中も、アルティナは姿勢を微動だにさせない。 百キロの鉛ウェイトを仕込んだ制服の下で、背筋、腹直筋、大臀筋を交互に緊張させ、アイソメトリック・トレーニング(静的筋収縮)を淡々と継続していた。
「——では諸君、本日は屋外演習場にて【魔力強化の基礎】の実技を行う。全員グラウンドへ移動するように」
教壇に立つ厳格な女性教官の声が響き、生徒たちが一斉に席を立つ。 周囲の生徒たちがガタガタと音を立てて廊下へ出ていく中、アルティナもまた音もなく立ち上がった。
その時、廊下の影からスッと身を隠すようにしてアルティナを睨みつけてくる視線があった。 見事な黄金の縦ロールを揺らす少女——エレノア・フォン・クロイツァーである。
(あいつ、まだ懲りてないのか……?)
アルティナが冷ややかに視線を返すと、エレノアはビクッと肩を跳ね上がらせ、慌てて扇子で顔を隠した。 しかし、その瞳には悔しさと、何かしらの企みがギラギラと宿っている。
(原作の乙女ゲーム通りなら、エレノアは授業中の事故に見せかけてヒロインを罠にハメるはずだ。魔獣を暴走させたり、魔力暴走を引き起こしたり……)
アルティナは拳を軽く握り、骨を鳴らした。
(上等だ。どんな嫌がらせだろうが、すべて正面から拳で迎え撃ってやる。物理法則の前には陰謀もヘドロも同じだ)
屋外グラウンドに出ると、心地よい風が吹き抜けていた。 生徒たちは木剣を手に取り、等間隔に整列する。
「騎士にとって魔力とは、単なる魔法の源ではない。肉体を強化し、剣の威力を跳ね上げるための【鎧】であり【推進力】だ」
教官が生徒たちの前で木剣を構える。 フッと息を吐いた瞬間、木剣の刀身が淡い青色の光に包まれた。 空気がビリビリと震え、教官が軽く木剣を振り抜くと、十メートル先の訓練用藁人形が一刀両断された。
「おおぉっ……!」
「すげえ、あれが身体強化と魔力付与か……!」
歓声をあげる生徒たち。 教官は満足そうに頷き、生徒たちへ向き直る。
「まずは各自、木剣に魔力を流し込み、刀身を安定して発光させてみよ。魔力の流れを制御できぬ者に、真の剣技は扱えん!」
号令とともに、生徒たちが一斉に精神を集中させ始める。 ある者は剣がかすかに明滅するだけで息を切らし、ある者は魔力が暴発して煙を吹いていた。 そんな中、ひときわ眩しい黄金の魔力を木剣に纏わせている生徒がいた。
「どうですの、私の魔力制御は! シルフィード男爵令嬢とは違って、伝統ある公爵家には研ぎ澄まされた魔導の血が流れておりますのよ!」
エレノアが得意満面に胸を張り、アルティナへと勝ち誇った視線を投げてくる。 確かに彼女の魔力は美しく、洗練されていた。 取り巻きの令嬢たちからも「さすがエレノア様!」と黄色い歓声があがる。
(なるほど、魔力を肉体と剣に循環させる技術か……)
アルティナは周囲の騒ぎを完全に無視し、手渡された木剣を見つめた。 前世の知識——【血液循環】と【神経伝達物質】のイメージを、体内の魔力回路とリンクさせていく。
(心臓をポンプとし、酸素を運ぶ赤血球のように、毛細血管の隅々まで魔力を巡らせる。筋肉の収縮に合わせて魔力を圧縮し、インパクトの瞬間に一点解放する……!)
スッと、アルティナが呼吸を止めた。 白磁の肌に、うっすらと翡翠色の燐光が浮かび上がる。
瞬間。
ゴオォォォォォッッ!!!!
まるで竜が咆哮したかのような凄まじい風圧が、アルティナを中心に吹き荒れた。 彼女の握る木剣から、濃密極まりないエメラルドグリーンの光柱が天に向かって立ち昇る。 光などという生易しいものではない。物質化した魔力の奔流が、大気を激しく軋ませ、グラウンドの地面を同心円状に削り取っていた。
「な、な、なんだこの魔力量はッ!?」
「ひぃぃっ! 息が、圧迫感で息ができない……ッ!」
先ほどまで誇らしげに剣を光らせていた生徒たちが、木剣を取り落としてバタバタと膝をつく。 エレノアに至っては、自慢の黄金の魔力がアルティナの放つ暴風によって一瞬でかき消され、自慢の縦ロールを顔面に張り付けながら地面に尻餅をついていた。
「な、なんなのよこれぇぇぇっ!? 木剣に魔力を流せって言われただけで、なんで戦略級魔法みたいな光が出てるのよぉぉッ!?」
絶叫する悪役令嬢。 教官すらも腰を抜かしかけ、震える指でアルティナを指差している。
しかし、アルティナ本人は至って冷静だった。 魔力の光に包まれながら、木剣の重心を確かめるように軽く一閃する。
ズパァァァァンッ!!
ただ素振りをしただけのはずだった。 しかし、振り抜かれた風圧と魔力の刃は、五十メートル先に並べられていた二十体以上の訓練用ダミー人形を、土台の石垣ごと一瞬で両断し、遥か彼方の防護壁に深い大穴を穿っていた。
「ふむ……。筋肉の収縮と魔力の放出タイミングが、コンマ零二秒ほどズレているな。反省点だ」
静寂に包まれた演習場に、アルティナの鈴を転がすような美声がポツリと響いた。 誰一人として言葉を発することができない。 ただ呆然と、破壊されたグラウンドと、涼しい顔で木剣を下ろす銀髪の天使を見つめることしかできなかった。
「す、素晴らしいッ!! まさに神速の一撃だ、アルティナ嬢!」
その沈黙を破ったのは、グラウンドの脇から拍手をしながら歩み寄ってきた第二王子レオンだった。 相変わらずの爽やかな笑顔で、背後に控える近衛たちを引き連れてやってくる。
「君のその研ぎ澄まされた武勇を間近で見られるとは、我が学園の誇りだ! 実は来週、新入生を対象とした【初級迷宮実習】が開催されるのだが——」
レオンはアルティナの前に立ち、優雅に胸に手を当てた。
「ぜひ、私とチームを組んではくれないだろうか? 君となら、迷宮の最深部さえも踏破できると確信している!」
(……来たな)
アルティナの目が鋭く細められた。 ダンジョン実習。 それは乙女ゲームにおける、最悪の『くっころイベント多発地帯』。 洞窟の暗がり、触手を持つ魔獣、落とし穴、そして仲間との分断——。
(断じて、守られるヒロインになどなってたまるか)
「殿下、お誘いは光栄ですが、お断りいたします」 「えっ」
「私は単独で潜ります。他人の足手まといになるのも、他人の歩調に合わせるのも、筋力向上の妨げになりますので」
美しくも無慈悲な即答に、第二王子は再びその場で彫像のように固まった。 背後で立ち聞きしていたエレノアが、恐怖で青ざめながらも「ダンジョン……ふふ、あんな怪物が一人で迷宮に入ったら、一体どうなってしまいますの……?」と震え声で呟いていた。
こうして、受難のお約束が待ち受けるダンジョン実習に向けて、アルティナのさらなる肉体強化が加速していくのだった。




