第六話:悪役令嬢のプライドも物理で揺らぐ
新入生の実技測定における『魔鉄板粉砕事件』から数日後。 王立騎士学園の敷地内は、その話題で持ちきりになっていた。
「おい、聞いたか? 今年の新入生に、測定器ごと演習場の防壁を吹き飛ばしたヤバい令嬢がいるらしいぞ」
「ああ、シルフィード男爵家の銀髪の天使様だろ……? 天使の顔をした破壊神だって、上級生の間でも噂になってるぜ」
そんな恐れと好奇の混ざった視線が注がれる中、当のアルティナは、特待生が集まる『特別選抜クラス』の教室の窓際、一番後ろの席に腰を下ろしていた。
光を吸い込むような純白の銀髪。 伏せられた長い睫毛と、静かに机を見つめる澄んだ翡翠色の瞳。 背筋をピンと伸ばして座るその佇まいは、周囲の喧騒などどこ吹く風といった風情で、絵画のように完成された美しさを放っている。
……が、その内面は相変わらず、周囲への警戒心と筋肉のコンディションチェックで限界まで張り詰めていた。
(よし……。座っている間も腹横筋と大腰筋を微細に収縮させ、骨盤の角度をミリ単位で維持。百キロの負荷を分散させつつ、インナーマッスルを鍛える……。隙は見せんぞ)
アルティナは手袋の中で指先をわずかに動かした。 周囲の生徒たちがヒソヒソと自分を見ているのは分かっている。 前世のいじめられっ子だった男のセンサーが、他人の視線に対して過剰なまでに警報を鳴らし続けていた。
(見ろ、観察しろ。だが一歩でもナメた真似をして近づいてきたら、即座に頸椎を極める関節技を叩き込んでやる……!)
心の中に修羅のバリケードを張り巡らせる美少女。 そんなアルティナの席に向かって、カツン、カツンと傲慢な靴音を響かせながら近づいてくる影があった。
「ごきげんよう、アルティナ・シルフィードさん」
ツンと澄ました甲高い声。 見上げれば、見事な黄金の縦ロールを揺らし、取り巻きの令嬢たちを従えた少女が立っていた。 真紅の瞳を吊り上げ、扇子で口元を隠しながら見下ろしてくるその姿——。
(出た……! 原作乙女ゲームにおけるメインの敵役、悪役令嬢エレノア・フォン・クロイツァー……!)
アルティナの脳内データベースが一瞬で検索を完了した。 王国屈指の権勢を誇るクロイツァー公爵家の令嬢であり、ゲーム中では主人公をことあるごとに虐め、陥れようとする典型的なお邪魔キャラだ。 原作では、彼女の嫌がらせによってヒロインが魔獣の森に置き去りにされたり、暗い地下牢に閉じ込められて『くっころ』寸前のピンチに陥るイベントが多発するはずだった。
(なるほどな……。早速、俺を陥れるための下準備ってわけか)
アルティナの翡翠色の瞳が、冷ややかに細められる。 前世で受けてきたいじめの記憶が重なり、腹の底でドス黒い炎がチリチリと燃え上がった。
(いい度胸だ。言葉で嫌がらせをしてくるなら、物理的な衝撃でその縦ロールをストレートパーマにしてやるまでだ)
「何の御用でしょうか、クロイツァー様」
「単刀直入に申し上げますわ。実技試験でのあなたのパフォーマンス、拝見いたしました」
エレノアは扇子をパチンと閉じ、アルティナの机の端に人差し指を突きつけた。
「男爵家ごときの分際で、魔導測定器を破壊して目立つなど、下品極まりないパフォーマンスですこと! 貴族たるもの、もっと優雅に、洗練された剣技をお見せになってはいかがかしら? 筋肉任せの粗野な暴力など、騎士の道から外れておりますわ!」
取り巻きの令嬢たちが、クスクスと下品な笑い声をあげる。 典型的な、新入生潰しのマウント。 普通のか弱き令嬢であれば、公爵家の権威と周囲の視線に耐えかねて、涙目になってうつむく場面だろう。
だが、アルティナは静かに立ち上がった。 スッと伸びた背筋。銀髪がサラリと揺れる。 アルティナは無言のまま、自分の机の上に片手をトンと置いた。
「……? 何をして——」
「クロイツァー様。貴女は、ご自身の言葉の重みを理解していらっしゃいますか?」
「は、なんですって……?」
ギヂヂヂヂヂヂッ……!
耳障りな、何かが軋むような異音が教室に響き渡った。 エレノアが目を丸くして視線を落とす。
アルティナが軽く手を置いただけのはずの、樹齢百年の堅牢な鉄心木で作られた特注の机。 その天板に、アルティナの小さな掌の形に沿って、メリメリと深い亀裂がめり込んでいた。 触れている指先から、目に見えないほどの衝撃波が漏れ出し、硬質な木材がまるで粘土のように圧縮されていく。
「ひっ……!?」
エレノアの顔から、一瞬で血の気が引いた。
「筋肉任せの粗野な暴力、と仰いましたね。ですが、戦場で命を奪いに来る敵は、優雅さなど待ってはくれません」
アルティナは、天女のように美しい微笑みを浮かべた。 しかし、その翡翠色の瞳の奥には、氷河よりも冷たい殺気が渦巻いていた。
「もし私を陥れようと画策されるのであれば、覚悟の上でなさってくださいね。罠を仕掛けられた瞬間、その罠ごと、仕掛けた人間の骨をすべて粉砕いたしますので」
バキィンッ! と乾いた音を立てて、机の角が粉々に砕け散り、木屑となって床にパラパラと落ちた。
「ひ、ひぃぃぃっ……!?」
エレノアは優雅な縦ロールを激しく揺らしながら、悲鳴をあげて三歩後ずさった。 取り巻きの令嬢たちに至っては、腰が抜けてその場にへたり込んでいる。
「な、な、なんなのよ貴女……! 狂ってますわ! 頭がおかしいんじゃありませんの……!?」
「ええ、よく言われます。生き残るためなら、手段は選びませんので」
アルティナが冷徹に告げた、その時だった。
「やあ、アルティナ嬢! 今日も凛として美しいな!」
ガラリと教室の扉が開き、後光が差すような眩い笑顔を浮かべた金髪の美丈夫——第二王子のレオンが生徒会の腕章をつけて入ってきた。 部屋中の空気が一瞬で凍りついていることにも気づかず、レオンは嬉々としてアルティナの席へと大股で歩み寄ってくる。
「エレノアもいたのか。ちょうどいい、彼女は私が認めた類まれなる騎士だ。公爵家としても仲良くしてやってくれ」
「殿下……!? 目をお開けになってくださいまし! この女、机を素手で粉砕して私を脅迫して——!」
「ははは! アルティナ嬢が机を? まさか、そんな可憐で華奢な令嬢が乱暴なことをするはずがないだろう。冗談が過ぎるぞエレノア」
「じょ、冗談なわけありませんでしょうがぁぁぁッッ!! 床の木屑を見なさいよッ!!」
絶叫する悪役令嬢。 爽やかな笑顔で完全にスルーする天然王子。 そして、粉砕した机を前に、何食わぬ顔で着席し直すアルティナ。
(……やれやれ。やっぱりこの学園、どいつもこいつも油断ならない奴らばかりだな)
アルティナは心の中で深いため息をつきながら、明日からの筋トレのメニューに『指先の握力強化』を追加することを固く決意するのだった。




