第五話:規格外の実技試験
王都グランヴェルの中心部にそびえ立つ『王立騎士学園』。 白亜の巨石で組まれた荘厳な城壁と、天を突く尖塔群は、王国屈指の歴史と武威を誇るエリート養成機関の象徴そのものだった。
その第一演習場には、今年度入学を希望する数百名もの貴族子弟や騎士見習いたちが集結し、熱気と緊張感が立ち込めていた。
「おい、見ろよ……あの子……」
「まさか、シルフィード男爵家のご息女か……? なんて美しいんだ……」
ざわめきと吐息が、アルティナの周囲を取り囲むように波紋を広げていた。 陽光を浴びて透き通るように輝く純白の銀髪。 小顔に映える大きな翡翠色の瞳は深く澄み渡り、白磁のように滑らかな肌は触れれば溶けてしまいそうなほど儚げだ。 濃紺の騎士学園制服を完璧に着こなしたその姿は、荒々しい演習場において、まさに泥中に咲く一輪の白百合のごとき神聖さを放っていた。
……が、本人の内心は、百合どころか鋼鉄のバリケード状態だった。
(視線が多いな……。男どもがジロジロ見てきやがる。ナメるなよ、油断させて近づいてきたら全員、頸動脈へ手刀を叩き込んでやるからな……)
アルティナは手袋越しに指関節をポキリと鳴らした。 制服の下には、街道での盗賊戦を経てさらに警戒度を跳ね上げた結果、合計百キロに達する特注の超高密度ウェイトがみっちりと仕込まれている。地面を踏みしめるたびに、見えない地響きが微かに鳴り響いていた。
「静粛にッ!! これより、新入生の実技測定を開始する!」
演習場の中央に立ったのは、熊のような体躯を誇る筋骨隆々の巨漢——主任教官のクラウスだった。 歴戦の傷跡が刻まれた強面で新入生たちをギロリと睨みつけ、背後に設置された巨大な魔導測定装置を指差す。
「まずは基礎筋力および衝撃値の測定だ! あの【剛撃の魔鉄板】に、各々の全力の一撃を叩き込め! 数値が基準値に達しない者は、実技を受ける資格すらないものと心得よ!」
ざわめきが緊張へと変わる。 測定器は、特注の魔導合金で作られた巨大な鉄板だ。並の騎士が全力で殴っても数十ポイントが関の山であり、百を超えれば一流と評される難関である。
次々と屈強な男子生徒たちが前に進み出る。
「ふんッ!」 『測定値:五十八』
「だぁぁッ!」 『測定値:七十二』
「うむ、悪くはないが平凡だな! 次ッ!」
クラウス教官の怒声が響く中、名簿をめくった教官が、ふと眉をひそめて名前を読み上げた。
「次——アルティナ・シルフィード!」
瞬間、演習場が再び色めき立った。 男子生徒たちの視線が一斉にアルティナへと集まる。
「おいおい、あんな華奢な深窓の令嬢に殴らせるのか?」
「冗談だろ、手首の骨が折れちまうぞ……」
「やめておけ、女の子が傷つくところなんて見たくない!」
そんな過保護で無礼な同情の声が耳に届くたび、アルティナの脳裏には前世の忌まわしい記憶が黒々と渦を巻いた。
(『お前なんかに何ができるんだよ』『痛い思いしたくなかったら引っ込んでろ』……)
前世で自分を見下し、踏みにじってきた連中の嘲笑。 そして——女だから、華奢だからと侮られ、いつか敵に囲まれて『くっころ』と言わされる未来への強烈な拒絶反応。
(誰が……引っ込むかよ。ナメた口を利く奴らは全員、結果で黙らせる……!)
カツン、カツン、と乾いた靴音を響かせ、アルティナは優雅に歩み出た。 クラウス教官は、目の前に立った可憐な銀髪美少女を見下ろし、困惑したように太い眉を下げる。
「お前がアルティナか……。男爵家のご息女とはいえ、無理をするなよ? 骨を折る前に、軽く触れるだけで——」
「教官、余計なお気遣いは無用です」
鈴を転がすような美声で、アルティナはピシャリと言い放った。 翡翠色の瞳には、一切の迷いも恐怖もない。
「全力で殴ればいいのですね?」
「あ、ああ……だが本当に怪我をされては男爵に顔向けが——」
クラウスの言葉の途中で、アルティナは右足を半歩引いた。 その瞬間、大気の流れが急激に変化した。
(呼吸を整えろ……。丹田に意識を落とし、足裏から地面の反発を吸い上げる……)
百キロの重りを纏った身体が、一瞬にして完璧な体幹の軸を形成する。 肩の力を抜き、前世の近代格闘理論と十一年間の血反吐の鍛錬によって練り上げられた、究極の脱力。
(二度と弱者にはならない——俺の前に立つ奴は、運命だろうがイベントだろうが、すべて粉砕する!!)
ドォォォォォンッッ!!!!
それは、拳が鉄板に当たった音ではなかった。 まるで要塞砲が至近距離で炸裂したかのような、暴風を伴う破壊的な轟音が演習場全体を揺るがした。
アルティナの華奢な右拳から放たれた、寸頸による超高速の正拳突き。 衝撃波が放射状に爆ぜ、演習場の砂煙がドーナツ状に吹き飛ぶ。 周囲で見ていた生徒たちの髪や衣服が突風で激しく煽られ、クラウス教官の巨躯が数歩後ずさった。
「なっ……!?」
煙が晴れた時、そこに現れた光景に、演習場にいた全員の呼吸が止まった。
どんな衝撃も吸収するはずの魔鉄板の中央に、アルティナの小さな拳の形そのままの、深さ十数センチに及ぶ巨大な陥没痕が穿たれていた。 そして、魔鉄板の背後にある厚さ一メートルの防護用外壁にまで、蜘蛛の巣状の巨大な亀裂が走り、メリメリと音を立てて崩落しかけている。
装置上部の魔導ディスプレイが、激しく火花を散らしながら、点滅を繰り返した。
『測定値:エラー(測定限界突破)』
カシャリ、と音を立てて装置から煙が噴き出す。 完全なる沈黙が、演習場を支配した。 誰一人として、息をすることすら忘れている。 先ほどまで「手首が折れる」などと笑っていた男子生徒たちは、全員が顔面蒼白で顎をガタガタと震わせていた。
「ふぅ……」
アルティナは小さく息を吐き、痛む素振りすら見せずに右手を下ろした。 そして、手袋の汚れをパパッと払うと、硬直しているクラウス教官へと向き直る。
「教官、装置が故障したようですが……私の測定はやり直しでしょうか?」
天使の微笑み。 しかし、その背後には修羅のオーラが立ち昇っていた。
「ご、ご、合格だぁぁぁぁぁッッ!!!!」
クラウス教官の絶叫が、静まり返った演習場に木霊したのだった。




