第十二話:一回戦はストレッチの時間です
王都の大闘技場は、地鳴りのような歓声と熱気に包まれていた。
四大騎士アカデミーから選りすぐりの精鋭が集う【合同武闘大会】。 中央の巨大な石造りのリングを、数万人の観客と貴族たちがぐるりと取り囲んでいる。
「これより、第一回戦・第四試合を開始するッ! 東側より入場——聖ガルディナ騎士士官学校代表、『岩石割り』のガロン選手ッ!!」
実況の叫び声とともに、地響きを立てて姿を現したのは、身の丈二メートルを超す巨漢騎士だった。 全身を重厚な黒鉄の重鎧で固め、肩には大人が両手で抱えるほどの巨大な両手斧を担いでいる。 ガルディナ屈指のパワーファイターである彼の登場に、他校の観客席から野太い声援が飛び交った。
「続いて西側より入場——王立騎士学園代表、アルティナ・シルフィード選手ッ!!」
対照的に、西側のゲートから静かに入場してきた影。
陽光に透き通る、雪のような純白の銀髪。 吸い込まれそうな深い翡翠色の瞳。 仕立ての良い濃紺の学園制服を身に纏い、腰に一振りのショートソードを差しただけのその姿は、荒々しい闘技場においてあまりにも異質だった。
静まり返る観客席。 続いて、他校の観客からパラパラと困惑の声が上がり始める。
「おいおい……嘘だろ? なんだあの小さくて可憐な女の子は……」
「おままごとの会場と間違えて迷い込んできたんじゃないのか?」
「相手はあの『岩石割り』のガロンだぞ! 一撃食らったらペチャンコになっちまう!」
他校の観客たちが心配と失笑の声をあげる中、王立騎士学園の観客席だけは、全く異なる異様な緊張感に包まれていた。
「……始まったわ。犠牲者一号ですわ……」
観客席の最前列で、エレノアが黄金の縦ロールを震わせながら合掌していた。 その隣では、第二王子レオンが身を乗り出し、目を輝かせて大声で叫んでいる。
「行けーッ! アルティナ嬢! 君の気高き拳で、世界にその武勇を示してやるんだッ!」
「殿下、あの方は剣を握るまでもありませんわ。温かい目で見守って差し上げなさいな……」
周囲の喧騒など、アルティナの耳には届いていなかった。
(よし、体幹の軸は完璧。百五十キロの重量バランスも馴染んできたな)
リングの中央で立ち止まり、アルティナは手首を軽く回した。 制服の裏地に仕込まれた百五十キロの重りが、動作に合わせて『ズシン……』と鈍い地響きを鳴らす。
対峙する巨漢騎士ガロンは、目の前の可憐な美少女を見下ろし、呆れたように巨大な斧を肩から降ろした。
「ハッ! 王立学園も焼きが回ったな。こんなお人形さんのような幼い娘を闘技場に送り込んでくるとは」
ガロンは太い腕を組み、ニヤニヤと下卑た笑みを浮かべる。
「おいおい、お嬢ちゃん。手加減してやるから、今のうちに『参りました』と泣いて降参しな。怪我をしてその綺麗な顔が台無しになったら、泣いても遅いぞ?」
乙女ゲームでもファンタジーでもお決まりの、かませ犬によるテンプレ通りのナメた挑発。 本来なら怒りに震えるか、威圧感に怯える場面。
だが、アルティナは心底つまらなそうに溜息をついた。
(声が大きいだけで、踏み込みの重心が浅いな。大胸筋ばかり鍛えて背筋の連動ができていない典型的な見せ筋タイプだ……)
アルティナの脳内では、すでに相手の骨格・筋肉配置・攻撃軌道の予測が完了していた。
「審判、試合開始の合図を」
鈴を転がすような静かな美声。 言葉に詰まった審判が慌てて手を振り上げた。
「両者、構え! ——試合、開始ッ!!」
「ハハハッ! 後悔しても遅いぜ、お嬢ちゃん——」
ガロンが巨大な両手斧を振り上げ、地鳴りを立てて踏み出した——その瞬間。
「邪魔だ」
シュンッ。
アルティナの身体が、観客数万人の視界から完全に掻き消えた。
「なっ——!?」
ガロンが目を見開くよりも早く。 百五十キロの重りを纏っていることなど微塵も感じさせない初速。 一瞬にしてガロンの懐へと潜り込んでいたアルティナは、腰の剣すら抜かず、ただ右手のひらを相手の重鉄胸甲の正中線へと軽く宛がった。
(発力——寸頸)
丹田から発した動力が、脚、腰、背筋を経由し、掌の一点へと凝縮されて炸裂する。
ドガァァァァァァンッッ!!!!
それは、人間が放つ打撃の音ではなかった。 要塞の城門に破城槌が激突したかのような、暴風を伴う破壊的な轟音。
「がふっ……!?」
ガロンの着ていた頑丈な厚さ数センチの黒鉄の胸甲が、アルティナの小さな掌の形そのままに、V字型にへこんで破砕した。 数トンに及ぶ衝撃波が全身を突き抜け、百キロを超える巨漢の身体が、まるで大砲から射出された砲弾のように水平に吹っ飛ばされた。
ドゴォォォォォンッ!
ガロンの身体は、五十メートル以上離れた闘技場の強固な外壁へと一直線に激突。 厚さ三メートルの石造りの壁に、深々と人型の穴を開けて埋まり、そのまま白目を剥いて泡を吹き、ピクリとも動かなくなった。
一秒。 文字通りの、ワンパン即死(戦闘不能)である。
「……………………」
静寂。 数万人が詰めかけた大闘技場から、一切の音が消え去った。 観客も、各校の代表選手たちも、他校の教官たちも、口を半開きのまま、壁に埋まった巨漢と、リング中央にぽつんと佇む銀髪の美少女を交互に見つめて凍りついている。
「あ……あ……」
選手控室のモニターでその光景を見ていたガルディナの代表バルトは、膝をガクガクと震わせ、顔面蒼白で自分の喉を押し開けていた。
「ふぅ……」
アルティナは小さく息を吐き、手袋のシワを優雅に整えた。 そして、硬直している審判へと向き直る。
「審判、カウントをお願いできますか? 一応、まだ息はありますので」
「勝、勝者ぁぁぁぁッ!! アルティナ・シルフィード選手ぇぇぇぇッッ!!!!」
審判の悲鳴のような絶叫が響き渡った瞬間、コロシアム全体が揺れるほどの、割れんばかりの歓声と大悲鳴が爆発したのだった。




