第7話 小麦の値段
市の麦は、袋のまま積んであった。
坂の下の広場に荷車が七台。麻袋が荷台からはみ出して、口の縛りが緩んだものからいくらかこぼれている。売り手は袋のそばに立っているだけで、声を出していなかった。
「一袋いくらですか」
「銀貨三十」
自分の伝票を思い出した。二百八十袋で四百九十。銀貨に直すと11,760。一袋あたり四十二。
三十と四十二。
「その袋を、量らせてもらえますか」
売り手が翔を見た。
「量る?」
「重さを知りたいのです。買います。買ってから量ります」
銀貨を一枚と、足りない分をエリスが銅貨で足した。売り手は麻袋の口を持ち上げ、荷車から下ろすのに二人がかりだった。
秤は市の端にあった。公の秤ではなく、香辛料を扱う店が置いているものだという。この街には、誰もが認める秤というものがないらしい。あるのは、店ごとの秤と、店ごとの信用だけだった。
袋を載せると、腕木がゆっくり傾いて、それから戻った。店の者が分銅を足していく。針が止まったところで、目盛りを読み上げた。
エリスが書き取る。
「二百五十ほどです」
その数を見た。四袋で一トン。ならば市の麦は、一トンあたり銀貨百二十になる。
そして伝票の麦は、一トンあたり百六十八。
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財務府に戻って、214枚を分けた。
小麦と書いてあるものだけを抜き、日付順に並べる。エリスが数量を読み上げ、翔が書き取った。
「84枚です」
「金額の合計は」
「41,160」
「袋の合計は」
「23,520袋」
割った。41,160を24倍して銀貨に直し、23,520で割る。
四十二。
伝票のどの一枚を取っても、一袋四十二銀貨だった。半年のあいだ、一度も動いていない。麦が採れた月も、採れなかった月も、雪の月も、四十二だった。
市の値は三十。市のほうは、季節で動く。売り手が「今日は三十」と言ったのは、今日の値だからだ。
動かない値と、動く値。動かないほうを、この国は半年払い続けている。
23,520袋を市の値で買っていたら、29,400グルデで済んでいる。実際に約束したのは41,160。
差は11,760。
翔は羽根ペンを置いて、その数字を見た。
半年で11,760。一年なら23,520。
要塞維持の予算は年に80,000だった。ブラントが三年待っている壁の修繕は、その中に入らないまま三年たっている。麦の値の差だけで、その予算の三割近くが毎年消えていることになる。
もっとも、消えているのは現金ではない。まだ一枚も払っていないのだから、増えているのは払うべき額のほうだった。
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兵糧商人組合は、市の東の倉庫街にあった。
組合長のマティアス・ベルガーは、まだ四十前に見えた。倉の前に積まれた麻袋を数えている途中で、翔のほうへ体を向けた。
「王宮の財務の方が、こちらへ来られるのは初めてです」
「伺いたいことがあります」
「値でしょう」
翔は書き取った紙を出した。
「半年で84枚。23,520袋。一袋あたり四十二銀貨で請求されています。市の値は三十でした」
「量られましたか」
「市のものは量りました。二百五十でした」
ベルガーは倉のほうへ顎を向けた。
「では、うちのも量ってください」
断られると思っていた。翔が返事をする前に、組合長は担ぎ手に短く言い、袋が一つ運び出された。倉の秤は市のものより大きく、目盛りが細かかった。
針が止まる。エリスが読み上げた。
「二百五十です」
「同じですね」ベルガーは言った。「うちは目方をごまかしません。ごまかせば次から買っていただけない。値のほうは、こちらの言い値です。そちらは、それでも買われる」
紙を持ち直した。
「なぜ三十ではないのですか」
「三十は、その場で銀貨をお出しになる値です」ベルガーは言った。「王国は、お出しになりません」
倉の中で、袋を担ぐ音がした。
「半年、一枚もいただいておりません」
「105,000ですね」
「そちらの帳面ではそうでしょう。私の帳面でも同じです」ベルガーは言った。「105,000を半年、こちらが立て替えております。私は麦を先に買っております。買う金は、私が別のところから借りております」
「利率は」
「二割です」
翔は頭の中で置いた。二割で半年なら一割。四十二と三十の差は四割。
「一割では、四割になりません」
ベルガーは初めて紙のほうを見た。
「よくお分かりで」
「残りの三割は何ですか」
「いつ払っていただけるか分からない、という分です」
倉の音が止まった。担ぎ手が休んでいるらしかった。
「佐藤様。半年前まで、うちは三十で納めておりました」ベルガーは言った。「王領地の麦がございましたので、王国は買う量が少なかった。少ない量を、現金でお買いになっていた」
「去年の暮れですね」
「はい。あのとき、王国は蔵の麦を全部お売りになった。うちが買いました」
「いくらで」
「62,000です」
翔は動かなかった。
「その日から、王国は買う側になられました。量は六倍、支払いは掛け。値が変わらないほうがおかしいでしょう」
一つだけ試すことにした。
「明日から、その場で払うと申し上げたらどうなりますか」
ベルガーの手が止まった。
「三十にいたします」
「では――」
「105,000は、どうなさいますか」
翔は口を閉じた。
「その場でお払いになるぶんは三十で結構です。ですが、これまでの105,000は残ります」ベルガーは言った。「うちは、そちらに105,000を貸しているのと同じことです。貸したまま、新しく現金でお売りする。それはできます。できますが、貸した分がいつ返るのかは、やはり分かりません」
「三割の理由が、消えないということですね」
「消えません。むしろ増えます」
翔は自分の計算を頭の中でやり直した。半年の麦を市の値で買うなら29,400。それだけの現金が今あるなら、そもそも掛けで買っていない。
四十二を三十に戻すには現金が要る。現金がないから四十二になっている。
「もう一つだけ」
「どうぞ」
「三割のうち、どこまでが利息で、どこからが警戒ですか」
ベルガーはしばらく黙った。
「分けて考えたことがございません」
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坂を上がる道は、来たときより長く感じた。
62,000で売った。売った先から買い戻している。買い戻しの値は、売る前の値の一・四倍になっている。
売ったのが悪かったのではない。売ったこと自体は、あのとき止まる傭兵を止めた。ギレスが言った十一日は本当だった。
悪かったのは、売ったあとの買い方だ。現金で買えなくなった瞬間に、値が上がる仕組みに乗ってしまった。そして乗ってしまうと、降りるには現金が要る。現金がないから乗ったのだから、降りられない。
四十二を三十に戻す方法は一つしかない。その場で払うことだ。
その場で払う金があれば、そもそもこの話は起きていない。
「佐藤様」
エリスが横で伝票の束を抱えていた。歩きながら、上のほうの何枚かを繰っている。
「王領地の目録を、去年の暮れに写しました」
「麦を売ったときの、あれですか」
「同じ束にありました。穀倉の広さも書いてあります。どこに何袋入るか」
彼女は指を止めた。
「第三要塞の穀倉は、百八十袋で満ちます」
翔は足を止めた。
坂の途中で、下ってくる荷車を一台やり過ごした。エリスは束を抱え直して、翔が数えるのを待っていた。
一枚の伝票は二百八十袋だった。
「一度に二百八十袋、届いています」エリスが言った。「三月に二度、四月に二度」
「入りきりませんね」
「入りません」
翔は束に手を伸ばした。
「四十二が高いかどうかは、今日で分かりました」
紙の端が風であおられた。
「四十二でも三十でも、届いていない袋には払えません」
エリスは束の上のほうを押さえたまま、翔のほうを見た。
「一枚だけじゃありません」
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