第6話 承認者のいない伝票
出納の役所は、王宮の地階にあった。
朝いちばんに降りると、昨日の指示はもう始まっていた。長机の上に木箱が三つ開いていて、書記が二人、硬貨を十枚ずつ並べては数を書き取っている。
「どのくらいかかりますか」
出納方の主任は、五十がらみの小柄な男だった。翔を見て、それから机の上を見た。
「十二日いただきます」
「十二日」
「箱が四十六ございます。封を切って、数えて、鋳造年ごとに分けて、量って、また封をいたします」主任は言った。「急げばもっと早くできますが、数え違いが出ます。急がせますか」
「急がせません」
三十二日後に組合の更新が来る。十二日なら間に合う。翔は頭の中でその二つを並べて、間に合うことだけを確認した。
「一つ伺います。この四十六箱は、封を切ったことがありますか」
「私の代では、一度も」
「では、中身は」
「目録に書いてあるとおりでございます」主任は言った。「目録には枚数が書いてあります」
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兵糧の伝票は、財務府の三番目の棚にあった。
紐で綴じてあるのではなく、束を紙で挟んで縄をかけただけのものだった。エリスが縄を解いて、卓に広げた。
「六か月分でよろしいですか」
「まず六か月分です」
一枚は掌より少し大きい。紙は薄く、裏から光が透ける。上に日付、その下に品名と数量、その下に金額。いちばん下に二つの枠があって、どちらも罫線だけが引いてある。
翔は一枚を手に取って、上から順に読んだ。
小麦 四十二袋
第三要塞へ
四百九十
どの一枚も同じだった。王都の商人組合から掛けで買い、要塞へ送った兵糧。214枚とも、その記録だった。
袋、と書いてある。トンではない。一袋が何トンにあたるのかは、どこにも書いていない。
書き手の字は丁寧だった。数字も揃っている。金額まで、迷いなく書かれている。それだけの手数をかけて、いちばん下の二つの枠は白いままだった。
「この二つの枠は何ですか」
「上が承認、下が受領です」エリスが言った。
「どちらも空です」
「はい」
次の一枚を取った。同じだった。その次も。
「エリス。全部数えてもらえますか。枚数と、承認の枠に名が書いてある数と、受領の枠に名が書いてある数を」
彼女は返事をせずに数え始めた。指の動きが速い。二十枚ずつ寄せて、寄せた山を数えている。
彼女の数え方には型があった。まず日付だけを見て月ごとに分ける。次に枠の中を見る。二度に分けているので、一度に二つを追わずに済む。翔は口を出さずに見ていた。書記課で三年やってきた手つきだった。
半刻ほどで手が止まった。
「214枚です」
「承認は」
「ありません」
「一枚も」
「一枚もです」
「受領は」
エリスは束の下のほうを押さえていた。
「31枚あります」
その31枚を出してもらった。日付を見る。六か月前の、最初の二十日間に集まっていた。それより後の日付のものは、一枚もない。
「名は」
「全部、同じ方です」エリスが言った。「ヴィント。王領地の穀倉の、蔵役です」
「知っている方ですか」
「名簿で見たことがあるだけです」
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「佐藤殿。もし承認の枠に名を書かせたら、何が起きるとお思いですか」
ギレスは伝票の束を見なかった。卓の向こうに立ったまま、そう言った。
「書いた者が、その支出に責めを負います」
「そのとおりです」
長官は初めて束のほうへ目をやった。
「半年でおよそ105,000グルデ。それだけの荷が動いております。そのすべてに名を書く者を置くとして、その者は何を確かめてから書きますか」
頭の中で105,000を214で割った。1枚あたり490グルデほどになる。
「荷が届いたことを、です」
「届いたかどうかは、七つの要塞にいる者しか知りません。王都におる者は知らない。知らないまま名を書けば、後で偽りの記録を作ったことになる」長官は言った。「知るまで書かないとすれば、荷は止まります。要塞から報せが来るのに五日かかる」
「では、五日待てばよいのでは」
「五日ごとに止まる兵糧を、要塞は待てません」
伝票の一枚を持ち上げた。
「六か月前までは、書いてありました」
ギレスの顔が動いた。
「31枚あります。ヴィントという方の名で」
「……蔵役の」
「その二十日間だけです。それより後は一枚もない。書く習慣はあったんです。やめたことになります」
長官は答えなかった。しばらくしてから、卓に指を置いた。
「佐藤殿。もともと、書く決まりはございません」
「枠はありますが」
「枠は様式です。王の名で出る金に、誰が承ったという記しは要らない」ギレスは言った。「王の意思に、記録は不要です」
言い終えて、長官は自分の言葉を聞いたような顔をした。
「六か月前に、何がありましたか」
長官は窓のほうを見た。答えないのではなく、どこから話すかを選んでいる顔だった。
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「私なら、分かります」
エリスだった。ギレスがそちらを見た。
「書付を写しました。去年の暮れです」
「何の書付ですか」
「王領地の麦を、先に売っております」翔が振り返ると、彼女は束のほうを見たまま続けた。「王領地の穀倉にある麦を、収穫を待たずに商人組合へ売りました。代金は先に受け取っております」
「いくらですか」
「その書付は財務府にあります。私が写したのは目録のほうでした」
翔はギレスのほうへ向き直った。
「売却額は」
長官は息を吐いた。長い息だった。
「62,000です」
「用途は」
「傭兵の給与です。そのとき、三か月目に入りかけておりました」ギレスは言った。「あと十一日ございました。十一日で62,000を作る方法が、麦のほかにありませんでした」
翔は伝票の山を見た。
「売ったのは、軍が食う分ですか」
「軍が食う分です」
「では、売った後はどうしていますか」
「同じ組合から、掛けで買っております」
部屋の中で、誰も動かなかった。
翔は束の厚みを見た。214枚。1枚あたり490として、半年で105,000ほどになる。
麦を売って受け取ったのが62,000。買い戻しに使ったのが、半年で105,000。
売った額の約1.7倍を、すでに買い戻しに使っている。しかもその105,000は、まだ一枚も払っていない。掛けというのはそういうことだ。
いくら損したのかは、まだ出せない。62,000で売った麦と、105,000で買った麦が、同じ量かどうかを知らないからだ。同じ量なら差は43,000。売った量のほうが多ければ、もっと悪い。
袋とトンが揃っていない。市で麦がいくらか調べるまで、この二つは比べられなかった。
売ったのは去年の暮れで、代金はそのとき使い切っている。傭兵の三か月目を止めるために消えた。
一枚の伝票を、指で二度叩いた。
「自分の蔵にあった麦を売って、それを売った相手から買い戻している。しかも代金は後払いで」
「そうなります」
「蔵役のヴィントさんが名を書かなくなったのは、蔵に麦がなくなったからですね。受け取るものがないなら、受領の枠に書けない」
ギレスは何も言わなかった。それが答えだった。
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翔は伝票の束に手を置いた。
「これを持って出ます」
「六か月分をですか」
「214枚全部です」
「何をなさる」
「値を見ます」翔は言った。「1枚あたり490。それが高いのか安いのか、私はまだ知りません。市で麦がいくらか調べれば分かります」
言いながら、地階の四十六箱を思い出した。あちらの答えが出るのは十二日後になる。
ギレスは束と翔を交互に見た。
「高いとして、どうなさる」
「まだ決めていません」
「決めずに調べると」
「決めてから調べると、決めたとおりの数字が出ます」
七年のあいだ、そういう調べ方をする人間を何人か見てきた。結論を先に置いて、それに合う数字だけを集める。そして集まってしまう。三百枚あれば、都合のいい三十枚くらいは簡単に見つかる。
だから214枚を全部数える。
長官はそれ以上は言わなかった。翔が縄をかけ直しているあいだ、卓のそばに立っていた。
「佐藤殿」
「はい」
「その31枚だけは、別にしておかれるとよいでしょう」
翔は手を止めた。
「なぜですか」
「あれは、書いた者がいた証拠になります」ギレスは言った。「書かないのが決まりだったのではない、と示せる唯一のものです」
長官は一礼して出ていった。
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廊下でエリスが束の半分を受け取った。二人で運ばないと持てない量だった。
「佐藤様」
「はい」
「一つだけ、伺ってもいいですか」
「どうぞ」
「あの31枚を別にしておくと、ヴィントさんはどうなりますか」
翔は足を止めた。
「書いた人だけ、名が残ります」
「はい」
考えたのは短い間だった。
31枚を別にすれば、その束は「書いた者がいた」証拠になる。同時に、書いた者の名だけが残る束にもなる。あとで誰かがこの件を裁くとき、名が載っているのは一人だけだ。
「別にはしません。214枚のまま数えます」
エリスは何も言わなかった。ただ、束を抱え直して先に歩き出した。廊下の途中で一度、抱え方を変えた。重さの寄りが悪いらしかった。
壁の炭の字は、まだ消えていなかった。38の下に45、その下に7、そのまた下の線は空のままだった。
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