↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
この国は、あと六・一ヶ月で潰れます ── 異世界に召喚された経理担当者の財政再建記  作者: 桜野結
第1部 帳簿の穴

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
6/19

第6話 承認者のいない伝票

出納の役所は、王宮の地階にあった。


朝いちばんに降りると、昨日の指示はもう始まっていた。長机の上に木箱が三つ開いていて、書記が二人、硬貨を十枚ずつ並べては数を書き取っている。


「どのくらいかかりますか」


出納方の主任は、五十がらみの小柄な男だった。翔を見て、それから机の上を見た。


「十二日いただきます」


「十二日」


「箱が四十六ございます。封を切って、数えて、鋳造年ごとに分けて、量って、また封をいたします」主任は言った。「急げばもっと早くできますが、数え違いが出ます。急がせますか」


「急がせません」


三十二日後に組合の更新が来る。十二日なら間に合う。翔は頭の中でその二つを並べて、間に合うことだけを確認した。


「一つ伺います。この四十六箱は、封を切ったことがありますか」


「私の代では、一度も」


「では、中身は」


「目録に書いてあるとおりでございます」主任は言った。「目録には枚数が書いてあります」


---


兵糧の伝票は、財務府の三番目の棚にあった。


紐で綴じてあるのではなく、束を紙で挟んで縄をかけただけのものだった。エリスが縄を解いて、卓に広げた。


「六か月分でよろしいですか」


「まず六か月分です」


一枚は掌より少し大きい。紙は薄く、裏から光が透ける。上に日付、その下に品名と数量、その下に金額。いちばん下に二つの枠があって、どちらも罫線だけが引いてある。


翔は一枚を手に取って、上から順に読んだ。


  小麦 四十二袋

  第三要塞へ

  四百九十


どの一枚も同じだった。王都の商人組合から掛けで買い、要塞へ送った兵糧。214枚とも、その記録だった。


袋、と書いてある。トンではない。一袋が何トンにあたるのかは、どこにも書いていない。


書き手の字は丁寧だった。数字も揃っている。金額まで、迷いなく書かれている。それだけの手数をかけて、いちばん下の二つの枠は白いままだった。


「この二つの枠は何ですか」


「上が承認、下が受領です」エリスが言った。


「どちらも空です」


「はい」


次の一枚を取った。同じだった。その次も。


「エリス。全部数えてもらえますか。枚数と、承認の枠に名が書いてある数と、受領の枠に名が書いてある数を」


彼女は返事をせずに数え始めた。指の動きが速い。二十枚ずつ寄せて、寄せた山を数えている。


彼女の数え方には型があった。まず日付だけを見て月ごとに分ける。次に枠の中を見る。二度に分けているので、一度に二つを追わずに済む。翔は口を出さずに見ていた。書記課で三年やってきた手つきだった。


半刻ほどで手が止まった。


「214枚です」


「承認は」


「ありません」


「一枚も」


「一枚もです」


「受領は」


エリスは束の下のほうを押さえていた。


「31枚あります」


その31枚を出してもらった。日付を見る。六か月前の、最初の二十日間に集まっていた。それより後の日付のものは、一枚もない。


「名は」


「全部、同じ方です」エリスが言った。「ヴィント。王領地の穀倉の、蔵役です」


「知っている方ですか」


「名簿で見たことがあるだけです」


---


「佐藤殿。もし承認の枠に名を書かせたら、何が起きるとお思いですか」


ギレスは伝票の束を見なかった。卓の向こうに立ったまま、そう言った。


「書いた者が、その支出に責めを負います」


「そのとおりです」


長官は初めて束のほうへ目をやった。


「半年でおよそ105,000グルデ。それだけの荷が動いております。そのすべてに名を書く者を置くとして、その者は何を確かめてから書きますか」


頭の中で105,000を214で割った。1枚あたり490グルデほどになる。


「荷が届いたことを、です」


「届いたかどうかは、七つの要塞にいる者しか知りません。王都におる者は知らない。知らないまま名を書けば、後で偽りの記録を作ったことになる」長官は言った。「知るまで書かないとすれば、荷は止まります。要塞から報せが来るのに五日かかる」


「では、五日待てばよいのでは」


「五日ごとに止まる兵糧を、要塞は待てません」


伝票の一枚を持ち上げた。


「六か月前までは、書いてありました」


ギレスの顔が動いた。


「31枚あります。ヴィントという方の名で」


「……蔵役の」


「その二十日間だけです。それより後は一枚もない。書く習慣はあったんです。やめたことになります」


長官は答えなかった。しばらくしてから、卓に指を置いた。


「佐藤殿。もともと、書く決まりはございません」


「枠はありますが」


「枠は様式です。王の名で出る金に、誰が承ったという記しは要らない」ギレスは言った。「王の意思に、記録は不要です」


言い終えて、長官は自分の言葉を聞いたような顔をした。


「六か月前に、何がありましたか」


長官は窓のほうを見た。答えないのではなく、どこから話すかを選んでいる顔だった。


---


「私なら、分かります」


エリスだった。ギレスがそちらを見た。


「書付を写しました。去年の暮れです」


「何の書付ですか」


「王領地の麦を、先に売っております」翔が振り返ると、彼女は束のほうを見たまま続けた。「王領地の穀倉にある麦を、収穫を待たずに商人組合へ売りました。代金は先に受け取っております」


「いくらですか」


「その書付は財務府にあります。私が写したのは目録のほうでした」


翔はギレスのほうへ向き直った。


「売却額は」


長官は息を吐いた。長い息だった。


「62,000です」


「用途は」


「傭兵の給与です。そのとき、三か月目に入りかけておりました」ギレスは言った。「あと十一日ございました。十一日で62,000を作る方法が、麦のほかにありませんでした」


翔は伝票の山を見た。


「売ったのは、軍が食う分ですか」


「軍が食う分です」


「では、売った後はどうしていますか」


「同じ組合から、掛けで買っております」


部屋の中で、誰も動かなかった。


翔は束の厚みを見た。214枚。1枚あたり490として、半年で105,000ほどになる。


麦を売って受け取ったのが62,000。買い戻しに使ったのが、半年で105,000。


売った額の約1.7倍を、すでに買い戻しに使っている。しかもその105,000は、まだ一枚も払っていない。掛けというのはそういうことだ。


いくら損したのかは、まだ出せない。62,000で売った麦と、105,000で買った麦が、同じ量かどうかを知らないからだ。同じ量なら差は43,000。売った量のほうが多ければ、もっと悪い。


袋とトンが揃っていない。市で麦がいくらか調べるまで、この二つは比べられなかった。


売ったのは去年の暮れで、代金はそのとき使い切っている。傭兵の三か月目を止めるために消えた。


一枚の伝票を、指で二度叩いた。


「自分の蔵にあった麦を売って、それを売った相手から買い戻している。しかも代金は後払いで」


「そうなります」


「蔵役のヴィントさんが名を書かなくなったのは、蔵に麦がなくなったからですね。受け取るものがないなら、受領の枠に書けない」


ギレスは何も言わなかった。それが答えだった。


---


翔は伝票の束に手を置いた。


「これを持って出ます」


「六か月分をですか」


「214枚全部です」


「何をなさる」


「値を見ます」翔は言った。「1枚あたり490。それが高いのか安いのか、私はまだ知りません。市で麦がいくらか調べれば分かります」


言いながら、地階の四十六箱を思い出した。あちらの答えが出るのは十二日後になる。


ギレスは束と翔を交互に見た。


「高いとして、どうなさる」


「まだ決めていません」


「決めずに調べると」


「決めてから調べると、決めたとおりの数字が出ます」


七年のあいだ、そういう調べ方をする人間を何人か見てきた。結論を先に置いて、それに合う数字だけを集める。そして集まってしまう。三百枚あれば、都合のいい三十枚くらいは簡単に見つかる。


だから214枚を全部数える。


長官はそれ以上は言わなかった。翔が縄をかけ直しているあいだ、卓のそばに立っていた。


「佐藤殿」


「はい」


「その31枚だけは、別にしておかれるとよいでしょう」


翔は手を止めた。


「なぜですか」


「あれは、書いた者がいた証拠になります」ギレスは言った。「書かないのが決まりだったのではない、と示せる唯一のものです」


長官は一礼して出ていった。


---


廊下でエリスが束の半分を受け取った。二人で運ばないと持てない量だった。


「佐藤様」


「はい」


「一つだけ、伺ってもいいですか」


「どうぞ」


「あの31枚を別にしておくと、ヴィントさんはどうなりますか」


翔は足を止めた。


「書いた人だけ、名が残ります」


「はい」


考えたのは短い間だった。


31枚を別にすれば、その束は「書いた者がいた」証拠になる。同時に、書いた者の名だけが残る束にもなる。あとで誰かがこの件を裁くとき、名が載っているのは一人だけだ。


「別にはしません。214枚のまま数えます」


エリスは何も言わなかった。ただ、束を抱え直して先に歩き出した。廊下の途中で一度、抱え方を変えた。重さの寄りが悪いらしかった。


壁の炭の字は、まだ消えていなかった。38の下に45、その下に7、そのまた下の線は空のままだった。




お読みいただきありがとうございます! ブックマークや下の☆☆☆☆☆の評価にて応援していただけますと励みになります! どうぞ、よろしくお願いいたします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。