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この国は、あと六・一ヶ月で潰れます ── 異世界に召喚された経理担当者の財政再建記  作者: 桜野結
第2部 請負人

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第15話 九十日目

九十日目の朝、国庫は1,510グルデだった。


出納方の主任が持ってきた紙にそう書いてある。日で割った。一日に減る額は千八百ほどだから、明日の分がない。


四十五日目に85,185あった。四十五日で八万三千使った。傭兵の給与を七十五日目に払い、要塞の兵糧を買い、官吏の俸給を出した。どれも止められるものではなく、どれも止めなかった。


「今日でございますな」主任が言った。


「今日です」


「前納は、例年ですと昼過ぎでございます」


紙を返した。返してから、主任がその日付を知っていたことに気づいた。出納方も知っている。財務府も知っている。この王宮で、九十日目が何の日かを知らないのは、四十五日前まで翔だけだった。


---


バルドウィン・レーグは、昼を少し回ってから来た。


痩せた男だった。六十に近い。上着は上等だが古く、肘のところが薄くなっている。仕立てのいいものを長く着る人間の着方だった。


手代を二人連れていて、そのうち一人が帳面を抱えている。抱え方が慣れていた。落とさないように持つのではなく、置く場所を決めてから運ぶ持ち方だった。


「バルドウィン・レーグでございます」


名乗り方に癖がなかった。ギレスのような値踏みもなく、ロートのような余裕もない。仕事に来た人間の名乗り方だった。


「佐藤です」


エリスは卓の後ろに立っていた。書き取る用意をして来ていたが、翔が首を振ったので蝋板を伏せている。記録に関わる話をするのに、記録を取るのは筋が悪かった。


「存じております。四十五日目に、傭兵に銀貨で百二十万払われた」


「金貨120,000です」


「失礼、金貨で120,000でございました」


言い間違いを直すのが速かった。金貨と銀貨を一日に何度も往復している人間の滑り方だった。銀貨120,000なら金貨五千にしかならない。額が二十四分の一になる。それでも、口が先に銀貨と言う。


「よくご存じですね」


「王都で仕事をしておりますと、入ってまいります」バルドウィンは言った。「宮廷の下働きの俸給が遅れますと、王都の店の掛けが伸びます。掛けが伸びると、うちの請負人が仕入れに来たときに店の者が言う。今月は宮廷が渋いと」


「帳簿は見ていない」


「見たことがございません」


その答えを、しばらく置いた。


五十二日前、ロートに同じことを言われた。書かなくても伝わる、と。あのときは組合が借り手から聞いた。今度は店の掛けから伝わっている。経路が違うだけで、着く場所は同じだった。


そして今日の相手は、着いた場所から逆に数えている。宮廷の掛けが伸びる。伸び方から、いつ底を打つかを出す。翔が帳面を七冊読んで四十六日かけたことを、この男は仕入れ先の世間話から出していた。


---


「条件を伺います」


「一つだけでございます」バルドウィンは言った。「うちの徴収の記録を、王国はお求めにならない。一年間」


動かずにいた。


「金ではないのですか」


「金でしたら、書いて送っております」


手代が帳面を卓に置いた。開かない。置いただけだった。


翔の手が動いた。動いてから、止まった。表紙まで二十センチほどある。開けば読める。読めば210,000を払う。今の国庫は1,510だった。


手を膝に戻した。バルドウィンは何も言わなかった。見ていなかったのかもしれないし、見て言わなかったのかもしれない。


「これが、うちの記録でございます。二十八領。村ごとに、いつ何が採れて、誰がいくら納めて、誰が隠したか。十四年、書いてまいりました」


「それを、王国は見ない」


「見ない、と一札いただきたい」


「見たら」


「前納の140,000をお返しいただきます。あわせて七万」


頭の中に数を置いた。140,000と70,000。合わせて210,000。今の国庫は1,510だった。


---


「その記録を、買うことはできますか」


バルドウィンは初めて表情らしいものを動かした。笑ったのではない。眉のあたりが少し動いただけだった。


「いくらでございましょう」


「値をつけていただければ」


「つけられません」


「なぜですか」


「王国がお持ちになった瞬間に、値がなくなるからでございます」


返事を待った。


「村の者は、うちに話します」バルドウィンは言った。「隠している麦のこと、隣の家が何を売ったか、去年の作柄が本当はどうだったか。話すのは、うちが王国に全部は言わないと知っているからです」


「知っている」


「知っております。うちは徴収した額を全部は納めておりません。それは村の者も承知です。承知のうえで、話す」


翔は羽根ペンを取らなかった。取れば、書き留めることになる。書き留めた紙は、この部屋を出る。


十四年ぶんの帳面が卓の上にあった。開けば読める距離にある。読めないのは、開けば210,000を払うことになるからで、その210,000が今この国にないからだった。


目の前にあるものを見ないために、金を払っている。


「王国がこの帳面をお取りになれば、来年から村は話しません。話さなければ、書けません。書けない帳面は、ただの紙でございます」


「では、あなたが持っている限り価値がある」


「そのとおりです」


「王国に渡した瞬間に消える」


「消えます」


バルドウィンは帳面に手を置いた。


「ですから、売れません。私は売る気がないのではなく、売れる形をしていないものを持っております」


そこで一度、手を離した。


「もう一つございます。集めた金は、村から王都まで運ばねばなりません。銀貨でございますので、嵩がある。うちは荷車を持っております」


「荷車」


「二十八領ぶんでございます」


翔はその言葉を、帳面の話の続きとして聞いた。そういうものもあるのだろう、と思っただけだった。


---


ギレスのほうを見た。


長官は卓の端に立っていた。今日は一度も口を挟んでいない。


「十年、これでやっております」ギレスが言った。「前納をいただき、記録は見ない。書いた一札はございませんが、そういうことになっておりました」


「今年は書けと」


「書いていただきます」バルドウィンが言った。「今年から、そちらに数える方がおられますので」


これは翔についての言及だった。褒めているのでも脅しているのでもなく、条件が変わったから契約を書面にする、という話だった。


「一つ、足していただけますか」翔は言った。


「伺います」


「請負が解けた領については、その領の記録を引き渡していただきたい」


バルドウィンは手代のほうを見た。手代が何か短く言った。


「解けた領、と申しますと」


「王国が直接徴税に移した領です」


「移されますか」


「まだ分かりません」


「では、書いても構いません」バルドウィンは言った。「移されたことは、十四年ございません」


翔はその答えの中身を測った。断らなかったのは、起きないと思っているからだ。起きないと思っている条件を飲むのは、譲歩ではない。


ただ、書けば紙に残る。残った紙は、起きたときに効く。


---


一札は短かった。


  王国は、徴税請負人組合の徴収に関する記録を、

  本日より一年、求めない。

  破りたるときは前納140,000を返還し、あわせて70,000を納む。

  ただし、請負の解けたる領については、当該領の記録を引き渡すものとする。


読んで、日付を確かめた。


署名する前に、一つ思い出した。名のない七領。二十八のうち七つが同じ12,000で、地図の北と東に固まっている。均しているのか、均したことにしているのか。


今なら聞ける。署名すれば、記録に関わることは一年聞けなくなる。


聞かなかった。


聞けば、彼は答えるだろう。均しております、と。それが本当かどうかを確かめる手立てが、署名の前にも後にもない。確かめられない答えをもらうと、確かめたことになってしまう。


そう考えて、聞かなかった。考えは筋が通っていた。通っていたが、聞かなかったという事実だけが残る。


署名した。


書く欄があった。承認と、受領。両方に名を書く形になっている。バルドウィンが先に書き、翔が書いた。


書いてから、この様式をどこかで見たと思った。


兵糧の伝票だった。あれには同じ二つの枠があって、どちらも空だった。同じ形の紙が、こちらでは埋まっている。


---


バルドウィンは一礼して立った。


手代が帳面を抱え直した。置く場所を決めてから運ぶ持ち方で、来たときと同じだった。表紙は一度も開かれていない。


三人は廊下を歩いていった。翔は扉のところで見送った。二十八領、十四年ぶんの記録が、部屋を出ていく。


見なかった、ということが今日から始まる。一年ある。


---


金は夕方に入った。


箱で七つ。手代が封を切り、出納方が数え、数えた紙に主任が名を書いた。バルドウィンの手代も名を書いた。


端で見ていた。


  前納 十四万


書かれた紙は一枚で、承認の欄にバルドウィンの名、受領の欄に主任の名がある。日付も入っている。


十四年、この形でやってきたのだろう。誰も言わなかっただけで、この国にも書く様式は存在していた。王宮の中にないだけだった。


エリスが横に来た。彼女も紙を見ていた。


「向こうの様式ですね」


「そうです」


「うちのに、写してもいいでしょうか」


翔は少し考えた。


「写してください」


「今日から使いますか」


「今日からにしましょう」


箱は七つとも運ばれていった。国庫は141,510になった。一日分だったものが、七十六日分になった。


七十六日後は、百六十六日目にあたる。収穫は二百十日目だった。


まだ四十四日足りない。


四十四日ぶんは、いくらになるか。1,859を四十四倍すると、81,796になる。


九十日目に手に入れた140,000は、収穫までを埋めなかった。埋めるつもりで受け取ったのではない。受け取らなければ明日がなかったので、受け取った。


翔は紙の隅に81,796と書いた。書いた日に埋める当てのない数字を書くのは、これで三度目だった。



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