第5話 黒衣の天使様
「クライム様。首の後ろを怪我していますね」
「えっ?」
自分では見えない位置だったので、クロウが教えてくれるまで全然気付かなかった。
さほど痛みを感じないので、大した傷ではないはずだ。
「フィーナ、きみのせいじゃないから気にしないでね」
「……」
フィーナは顔面蒼白で今にも泣きそうになっている。そんなに自分を責めなくても良いのに。
「妹のシエナに治療させましょう。誰かいないか!」
クロウが呼ぶと、「お呼びですか?」と部下の男がやってきた。クロウは男に案内を命じる。
「クライム様、どうぞこちらへ」
俺は立ち上がり、彼の後ろをついていく。
応接室を出る前にチラッとフィーナを見たが、暗い顔をしたままだった。
男に案内されたのは、建物の端にある小さな部屋だ。
入口の扉には手作りのプレートが掛かっていて、そこには丸みを帯びた文字で『診療室』と書かれていた。
「こちらでございます」
「ありがとう」
男は一礼すると去っていく。俺はノックして許可をもらってから診療室に入った。
部屋の中には事務机と3台のベッド、それから薬品や包帯が置かれた棚があった。
ベッドには先ほど瓦礫に足を挟まれた男が横たわっている。彼は俺に気が付くと「よう」と左手を挙げた。
「足は大丈夫ですか?」
「何とか折れてなかったよ。運が良かったぜ」
「それは良かったです」
ほっと胸を撫で下ろす。
「まあ、名誉の負傷ということで。それに、ここに来れば天使様に治療してもらえるからラッキーなんだぜ」
「天使様?」
こいつら、さっきも天使様がどうとか言っていたな。その結果……いや、思い出さないでおこう。
「もうっ! 天使様と呼ぶのは止めてくださいって何度も言ってるじゃないですか!」
驚いて振り返ると、女の子が腰に手を当てて立っていた。
彼女の容姿に思わず息をのむ。
怒っていても愛嬌を感じる瞳に少し幼さの残った顔立ち。
ほとんど日に焼けていない滑らかな肌からは、周囲の人たちに愛されて育ってきたであろう彼女のこれまでが垣間見える。
髪は漆黒のロングヘアで、服装も黒を基調としたものでまとめていた。
色調はカラスのようだが、顔立ちや雰囲気は小鳥に見える、不思議な女の子だ。
「悪い、悪い。気を付けるよ」
「もう……恥ずかしいんですからね?」
この短いやり取りを聞くだけでも仲の良さが伝わってくる。きっとみんなは彼女を実の妹のように可愛がっているのだろう。
「あれ? あなたは先ほどお兄様と一緒にいた方ですよね?」
「君はさっきの……服装が変わっていたから気付かなかったよ」
彼女の言葉を聞き、応接室で出会った少女だと気づく。
確かさっきは白っぽい服だったはずだが、今は黒い服に変わっていた。
「この服は診療用です。傷口に穢れがつかないように、普段着と分けているんです」
「すごい、王都の医者と同じことを言っている」
そうこぼすと、彼女は照れたのか少しはにかんだ。
「自己紹介がまだだったね。俺はクライム・マーシー。最近この街の領主に任命された者です」
「領主様だったんですね! わたしはシエナ・ノワールです。お兄様の妹で、みなさんの怪我や病気の手当てをしています」
クロウが言っていた通り、彼らは兄妹らしい。
そして、ようやく男たちが『天使様』と言っていた意味が理解できた。
「天使さ――シエナの腕は確かだぜ! 何せ本物の医者から学んだんだからな」
男が自慢げに語る。シエナは恥ずかしそうにしつつも、彼の言葉を引き継いで話し始めた。
「昔、この街にお医者様が流れてきたんです。その方は本当にすごい人で、どんな病気もたちまち治してしまうほどでした。わたしはその人に憧れて、無理を言って弟子入りさせてもらったんです! 残念ながら、その方は街を出て行ってしまいましたが……」
シエナが目を伏せる。それを見た男が慌てた様子でシエナを元気づけた。
「だからこそ名医になるって決めたんだろ? あの爺さんがどこにいてもシエナの活躍が分かるように」
「そうでした! こんなところで寂しがっている時間はありませんね!」
シエナの顔がぱあっと明るくなり、男はほっと胸を撫で下ろした。
互いに自己紹介を終えると、シエナがきょとんとした顔で尋ねてきた。
「それで、どういったご用件ですか?」
「ああ、忘れていたよ。どうも首のうしろを怪我したみたいだから、診てもらいたくて」
言いながら患者用と思われる椅子に腰かける。シエナも、ちょこんと隣の椅子に座った。
「領主様、降って来る瓦礫からオレを守ってくれたんだ。多分、そのときに瓦礫が当たったんだろう」
「まあ、そんなことが。では、他にも怪我が無いか確認しますので、上の服を脱いでください」
女の子の前で服を脱ぐのは初めてだから緊張する。
シエナは普段から見慣れているのかもしれないが……。
「意外と男らし――いえ、何でもありません。前は大丈夫そうですね。次は後ろを向いてください」
彼女の指示に従って後ろを向く。シエナが「ほぅ」と息を呑んだ音が聞こえた。
「そんなにひどい傷ですか?」
「い、いえ。傷は小さいものですので、薬をつけておけば大丈夫でしょう。血も既に止まっています。多分、木の破片で切ったんだと思いますよ」
シエナが傷口に消毒用の薬を塗ってくれる。彼女の指は軟らかくて、くすぐったい気分になる。
やがて、シエナが「終わりました」と言い、俺は彼女に向き直る。
彼女は少し頬を染めて、薬の付着した指をじっと見つめていた。
「シエナ?」
「えっ? あっ、ごめんなさい。何でもありません」
「そう? ならいいけど……」
薬が付着しないように気を付けて服を着る。
「クライム様はお身体をよく鍛えてらっしゃいますね」
「ああ。一人でも生きていけるように、トレーニングしていたんだ」
「そうでしたか……。でも、これからはわたしたちが居ますよ」
シエナは『むん』と言わんばかりに意気込む。彼女のおかげで、少しだけしんみりとした空気が明るくなった。
「ありがとう! お世話になりました」
「ふふっ。これからよろしくお願いしますね、領主様」
シエナは楽しそうに笑った。




