第26話 ルインハム会談
翌朝。俺とフィーナ、クロウは東門を出てすぐの場所に居た。
カーベリオン軍の陣地に戻るペコルタを見送るためだ。
「本当に良いのですか? わたしが女王様に話を通さないかもしれませんし、女王様が会談に応じるとも限りませんよ?」
ペコルタが念押しで尋ねてくる。
もちろん彼女が『見張りを斬って逃げてきた』とでも言えば女王様は信じるだろうが、ペコルタはそれをしないという確信があった。
「そうだ! ペコルタにこれを渡すのを忘れていたよ」
俺はわざとらしくそう言って『天使のおやつ』が入った包みを手渡す。
ペコルタはそれを受け取ると、「はあっ」と小さくため息をついた。
「……本当にズルい人ですね。それとも、全てお見通しということですか?」
ペコルタがジトっとした目を向けてくるが「何のことかな?」と、とぼけておいた。
彼女がこれを渡してくれれば、女王様は出てくるだろう。
徐々に小さくなっていくペコルタの背中を見つめる。
「ペコルタは女王様を連れてきますかね?」
「きっと戻って来るよ。来なかったら、その程度の相手だったということさ」
「何か格好つけたこと言ってるけど、向こうが本気で潰しに来たらオレたちは全滅だからな?」
……ごもっともです。
その日の午後、俺とフィーナは診療所に向かって歩いていた。
負傷した兵士たちの様子を見に行くのだ。
「今日は攻めてこないね」
「敵方も夜襲の疲労が残っているでしょうからね。それにペコルタを解放された手前、今日は攻め辛いのかもしれませんね」
もしかすると俺たちとの会談について協議しているのかもしれない。
俺たちは診療所に到着し、中に入っていく。
「シエナ、様子はどう?」
「クライム様! みなさん軽症で良かったです。これなら後遺症も残らないでしょう」
シエナの笑顔を見て、心の底から安堵する。
今のところ犠牲者は出ていないが、負傷者が複数人出ている。彼らに後遺症が残ったらと思うと気が気でなかったのだ。
「クライム様、オレたちはそんなにヤワじゃないですよ」
「そうですよ。こんなのかすり傷です」
兵士たちがそう言って笑うと、つられて俺も笑顔がこぼれた。
「シエナ、薬や包帯はまだ残っていますか?」
「はい。負傷者が増え過ぎると不足するでしょうが、今のところは大丈夫です」
俺たちはほっと胸を撫でおろした。
「クライム様にフィーナ様! カーベリオン王国の使者が面会を求めてきております」
シエナの診療所を出たところで、文官の一人が声をかけてきた。
女王様が会談に応じてくれたのだろう。
「分かった。使者を政庁の応接室まで案内してくれ」
「畏まりました!」
文官は足早に東門に向かっていった。
「さて、ここからが勝負だな」
後に、街の名前からルインハム会談と呼ばれることになる話し合いが幕を開ける。
文官に案内され、カーベリオン王国の使者が応接室に入ってきた。
使者は4人。最初に得意げな表情をしたペコルタ、次に武官とみられる少女、3番目に豪奢な鎧を身に着けた女性が入室し、最後に鋭い目つきをした大男が入ってきた。
女性3人が並んでソファに座り、その後ろに護衛として大男が控える。
男は歴戦の猛者とみられ、それだけで相手を殺せそうな視線を俺に向けてきている。
「どうぞ」
フィーナが机の上に全員分の紅茶と『天使のおやつ』を用意する。
俺は毒や薬を仕込んでいないことを示すため、真っ先にそれらに手を付けた。
次に、ペコルタが「失礼します」と断ってから、中央に座る豪奢な鎧の女性の前に置かれたお茶とお菓子を口にする。少ししてから、「大丈夫です」と仲間たちに伝えた。
ペコルタの言葉を聞いて、まず動いたのは武官の少女だった。
彼女は『天使のおやつ』を手に取ると、キラキラした表情で口に運ぶ。
それをしばらく味わった後、ぱぁっと花が咲いたような表情になる。見ているこちらまで幸せになるような笑顔だった。
「さて、そろそろ会談を始めましょうか」
ソファの中央に座る豪奢な鎧の女性が、お茶とお菓子には見向きもせずに話し始めた。
彼女はそのまま自己紹介を始める。
「カーベリオン王国の女王、イーリス・カーベリオンです。どうぞお見知りおきを」
イーリスと名乗った女性は、小さく頭を下げる。
「俺はこの地で領主を務めている、クライム・マーシーと申します。この度はご足労くださり、誠にありがとうございます」
俺も自己紹介を返し、深々と頭を下げた。
じっと正面に座る女性を見る。彼女は余裕を携えて俺のことを見ていた。
身に着けている鎧は名工が製作したものだろうか。彼女の美貌と併せると歩く芸術品のように完成された美を感じた。
俺は小さく笑うと、イーリスと名乗った女性に問いかける。
「ところで、あなたは誰ですか?」
使者たちの間にわずかな緊張が走ったのを、俺は見逃さなかった。
「イーリス女王はあなたですね?」
俺はそう言いながら、鎧の女性の隣に座る武官の少女を見つめる。
少女は「ふふっ」と笑うと、お手上げというように両手を軽く上げた。
「よく私がイーリスだと分かりましたね? 彼女は完璧に私を演じていたはずですが」
女王の言葉にペコルタたちが何度も頷いているので、普段はあんな感じなのだろう。
だが、俺は初対面だから普段のイーリス女王を知らない。おかげで先入観なく4人の行動を観察することができた。
「俺が知っている女王の情報は、若くても軍をしっかりまとめられる傑物だということ、それから配下に買い占めさせるほど『天使のおやつ』が好物だということの二つです」
ペコルタとイーリスはお茶とお菓子に手を付けたが、鎧の女性は『天使のおやつ』を見ることすらしなかった。
まるで『私はお菓子には興味がありません』と言っているように見え、事前に得ていた情報との乖離が大きかったのだ。
「そうでしたか」
イーリスはどこか嬉しそうにそう言った。
イーリスが俺の正面に座り直し、会談が再開された。
「最初に、クライム様を騙したことを謝罪させてください」
そう言ってイーリスは頭を下げる。
彼女らの行動も理解できるし、慎重なぐらいがちょうど良いと思った。
「頭を上げてください。初対面の相手に心を許さないのは当然のことですし、イーリス女王は替えの利かない御方ですので、当然の行動であると思います」
「ご理解、痛み入ります。それで本題についてですが……」
イーリスの目は『自分を呼び出した要件を話せ』と言っている。
俺はチラリと隣に座るフィーナを見た。
彼女は頷くと、1通の書状を机の上に差し出す。書状には国王の印が押されていた。
「こちらは、グリファード王国の国王、オレオルス・グリファードより預かった手紙です。陛下は、カーベリオン王国との同盟をお望みです」
「……拝見いたします」
イーリスは書状を手に取って読み始めた。
応接室に沈黙が降り、この場の全員が固唾をのんでイーリスに注目する。
しばらくして、手紙を読み終えたイーリスが顔を上げる。
「書状、読ませていただきました。ですが、同盟の話はお受けできません」
「……理由をお聞かせ願えますか?」
「ゴールトンが私たちに提示した条件は、グリファード王国西部の割譲です。あなた方はそれ以上の対価を用意出来ますか?」
「ゴールトンが約束を守るとは思えませんが?」
「彼が信用できないのは理解しています。ですが、ゴールトンはしばらく王都に釘付けになるでしょう。領土の引き渡しを拒むようならば、その隙に奪い取れば良いだけの話です」
イーリスは意外と冷徹に物事を見ている。
約束を反故にされた場合でも領地を手に入れる自信があるらしい。
だが、俺にはイーリスがどこか浮かない表情をしているように見えた。
……つまり、彼女は平和裏に領土を得たいのか。
何故だ? 考えろ。そこに同盟成立の糸口があるはずだ!
「……何も対価は用意できなさそうですね。では、同盟は無かったことに――」
その瞬間、一つの言葉が思い浮かんだ。とっさにそれを口にする。
「『天使のおやつ』」
俺がその名前を発した途端、イーリスは話を止め、鋭い目でこちらを見つめた。
「カーベリオン王国とグリファード王国の同盟が成立しなかった場合、『天使のおやつ』の製法は永遠に失われます」
「そ、そんな脅しには乗りませんよ! あなたたちを頼らずとも、かならず生産者を見つけて――」
それまで冷静だったイーリスが動揺を見せた。
彼女の発言を聞いて、『天使のおやつ』が交渉材料になることを確信する。
イーリスはこの街で『天使のおやつ』を作っていることを知らないらしい。そんな彼女に、俺は真実を伝える。
「『天使のおやつ』を作っているのは俺たちだ」
「……え?」
俺の一言でイーリスは全てを悟ったらしく、顔面蒼白になる。
それでも俺は容赦せず、希望の芽を一つ一つ摘み取っていく。
「それだけじゃない。『天使のおやつ』の製法を知っているのもこの街の限られた人間だけだ」
イーリスは何かを言いたそうにしているが、言葉が出てこない様子だ。
俺は構わずに話を続ける。
「この同盟話がご破算になれば、俺たちは街に籠って徹底抗戦するつもりだ。領民たちも納得してくれていて、最後の一兵まで戦うことになるだろう」
「――めて」
「つまり、女王が首を横に振った瞬間、あなたが『天使のおやつ』を食べる機会は永遠に失われ――」
「同盟をお受けします! だから、意地悪を言うのはもう止めてください!!」
少しやり過ぎただろうか。イーリスは涙目になって荒い呼吸を繰り返している。
他のみんなは俺に鋭い視線を向けていて、フィーナさえ「うわぁ」とドン引きしていた。




