第9話 三十日を埋める日々
昼の日差しが石畳を照らしている。
時刻はまだ昼過ぎ。
日が沈むには早い。
宿へ戻り、裏庭へ向かう。
物干し竿には、朝に干した黒いローブが風に揺れていた。
手に取り、布地を確かめる。
湿り気は残っていない。
問題はなかった。
ローブに袖を通し、肩へ馴染む重みを確かめる。
そのまま宿へ戻った。
主人へ部屋の鍵を返す。
「もうお帰りですか」
「ああ」
「また街へ来られた際は、ぜひお立ち寄りください」
軽く頷き、宿を後にする。
借りた家へ向かった。
室内を一通り見回る。
寝台。
机。
椅子。
窓。
必要な物は揃っていた。
十分だ。
日はまだ高い。
今日やるべきことは終わっている。
だが、一日は終わっていない。
何もせず過ごすのも退屈だった。
家を出て、石畳の通りを歩く。
やがて、一軒の建物の前で足を止めた。
木製の看板には、
『依頼組合』
と刻まれている。
三十日。
少女との約束の日まで、まだ時間がある。
仕事でも受ければ、その時間も潰せる。
理由は、それだけだった。
扉を押す。
鈴が鳴った。
組合の中には、昼間にもかかわらず多くの冒険者がいる。
受付で依頼を受ける者。
依頼を終えて報酬を受け取る者。
壁際で地図を広げる者。
酒場ほど騒がしくはない。
それでも、人の熱気に満ちていた。
受付へ向かう。
「いらっしゃいませ。本日はどのようなご用件でしょうか」
「依頼を受けたい」
「初めてのご利用ですね。それでは冒険者登録をお願いいたします」
一枚の紙が差し出される。
「お名前をお願いいたします」
「好きに書け」
羽根ペンが止まった。
「……お名前が、ないのでしょうか」
受付の女は少しだけ困った顔を見せる。
だが、すぐに営業用の笑みに戻った。
「……承知いたしました。組合では身元を明かせない方のために、無記名登録もご用意しております」
紙へ記入する。
やがて、小さな木札が差し出された。
「こちらが登録札です。依頼の受注、報酬の受け取りには必ず必要となりますので、大切に保管してください」
木札を収納袋へしまう。
「続けて、組合の利用方法をご説明いたします」
俺は黙って頷いた。
「冒険者にはE級からA級まで五段階の等級がございます。登録直後はE級。依頼を達成し、実績と信用を積み重ねることで昇級していきます」
「強さだけで決まるのか」
「いいえ」
受付の女は首を横へ振る。
「組合は、強い方ではなく、安心して依頼を任せられる方を評価いたします」
「依頼達成率。期限の厳守。依頼人からの評価。問題行動の有無。判断力や協調性。それらを総合的に審査いたします」
「そのため、どれほど強くても昇級できない方もおりますし、突出した力がなくても信用を積み重ねて上位等級へ進まれる方もおります」
合理的だ。
俺には関係ないが。
「依頼にもE級からA級まで難易度がございます」
女は掲示板を示した。
「E級冒険者はE級依頼のみ。D級はD級以下。C級はC級以下というように、受注できる範囲が決まっております」
「例外は」
「組合が認めた場合のみ、一つ上の等級まで受注可能です。過去の実績や適性などを審査し、安全と判断した場合に限ります」
「ああ」
「ご質問はございますか」
「ない」
「それでは、ごゆっくりお選びください」
受付を離れる。
護衛、採取、討伐、荷運び。
依頼書が隙間なく並んでいる。
その隣には、賞金首を並べた掲示板があった。
盗賊。
逃亡犯。
魔物。
そして中央に、一枚だけ額縁まで付けられた巨大な手配書がある。
『特別手配』
『支配の魔術師』
生死不問。
報奨金――金貨一億枚。
描かれていたのは、白髪に長い髭を蓄えた老人だった。
深い皺。
老賢者のような穏やかな顔。
俺は一瞥する。
……誰だ、それは。
知らない顔だった。
冒険者たちの笑い声が聞こえる。
「まだ貼ってあったのか」
「俺の親父がガキの頃から貼ってあるらしい」
「金貨一億枚だぞ」
「一生遊んで暮らせるどころか、国が建つ」
「どうせ何百年も前の死人だろ」
「いや、化け物だから今も生きてるって話もある」
「実在したかどうかも怪しいけどな」
誰も本気では信じていない。
昔話を笑うような口調だった。
俺は興味を失い、視線を外す。
どうでもいい。
掲示板から一枚の依頼書を剥がした。
『E級 薬草採取 十束』
報酬は銅貨八枚。
安い。
だが、金額は関係ない。
一番早く終わる。
それで十分だった。
依頼書を受付へ置く。
「薬草採取ですね」
受付の女は依頼書へ目を通し、小さく頷いた。
「街の西にある森で採取できます。指定の薬草を十束、日没までに納品してください」
「ああ」
収納袋へ登録札をしまい、組合を後にする。
やがて門が見えてきた。
昨日と同じ門番が立っている。
俺の姿に気付くと、小さく会釈をした。
「昨日お見かけした方ですね」
「ああ」
「もう出られるのですか」
「依頼だ」
収納袋から登録札を取り出して見せる。
門番は木札を確認し、静かに頷いた。
「依頼組合でしたか。確認しました」
登録札を返す。
「お気を付けて」
そこで、ふと思い出したように口を開いた。
「昨日、ご一緒だった少女は」
「役所だ」
短く答える。
門番は事情を察したように頷いた。
「そうですか」
それ以上は何も聞かなかった。
職務以上のことへ踏み込まない。
それが門番としての務めなのだろう。
「お通りください」
重い門が開く。
俺はそのまま街の外へ出た。
石畳はやがて土の道へ変わる。
風が草を揺らし、森の匂いが鼻を掠めた。
西の森は、もう目の前だった。
昨日歩いた道と、大きく変わることはない。
違うのは、一人だということだけだった。
収納袋から依頼書を取り出す。
指定されている薬草は、ごく一般的なものだ。
群生地も知っている。
探すほどのものではない。
手際よく摘み取っていく。
一束。
二束。
三束。
やがて十束。
必要な数が揃うまで、大した時間は掛からなかった。
「退屈で、簡単。だが、これでいい」
そのまま街へ戻る。
「もうお戻りですか」
「ああ」
「薬草採取でしたね」
「終わった」
門番は収納袋を一瞥し、小さく目を見開いた。
「……仕事が早いのですね」
通行証を確認し、静かに門を開ける。
「お通りください」
組合まで戻ってきた。
受付へ薬草を差し出すと、受付の女は束を数え、小さく頷いた。
「確認いたしました。依頼達成です」
銅貨八枚が机へ置かれる。
収納袋へしまう。
「まだ依頼を受けられますか?」
「もちろんです」
その日は倉庫の荷運びを一件受けた。
荷を運び終えても、日はまだ高い。
翌日は街道沿いの倒木撤去。
その次の日は、農家から依頼された畑の柵の修繕。
どれも難しい仕事ではなかった。
そして数日後。
俺は畑を荒らす小型魔物の討伐依頼を受けていた。
依頼書に記されていたのは、角兎と小鬼。
街の周辺に現れる低位魔物だ。
森へ入ると、茂みが揺れた。
一匹の角兎が飛び出してくる。
本来なら、支配の魔術で一言命じれば終わる。
だが、それは使わない。
今日は雨の日ではない。
森には薬草採取へ来る者や冒険者が出入りしている。
誰に見られているか分からなかった。
この時代の魔術師は、生まれ持った適性魔術しか扱えない。
俺も、本来なら支配の魔術しか使えない。
だが、俺は魔術式そのものを支配できる。
他者の魔術式を掌握し、強引に成立させることで、適性のない魔術すら扱える。
借り物は、所詮借り物だ。
魔術式を支配できても、その魔術そのものにはなれない。
火炎魔術なら火炎魔術。
水魔術なら水魔術。
理を超えることはできない。
だが、支配だけは違う。
あれは俺自身の魔術だ。
人も、魔術も、概念すら支配する。
だからこそ、あれだけは限界が存在しない。
だからこそ、正体を晒すわけにはいかない。
今は、ごく普通の火炎魔術師で十分だった。
魔術式を支配する。
火球が一つ、空中に生まれた。
放たれた火球が角兎を撃ち抜き、そのまま後方の小鬼を焼き払う。
残った魔物も同じだった。
数分後には、依頼は終わっていた。
それからも依頼を受け続けた。
朝に受けた依頼は昼前には終わる。
午後には別の依頼を受ける。
そんな日が続いた。
組合では、次第に無記名の冒険者のことが話題になり始めていた。
「また戻ってきたのか」
「今日でもう三件目ですよ」
「荷運びの次は魔物討伐、その次は素材採取……全部終わらせてるじゃないか」
「失敗も一度もありません」
「しかも、いつも予定より早い……」
受付の女たちも、感心したように依頼書へ視線を落とす。
「依頼達成率は百パーセントです」
「仕事も丁寧ですね。依頼人から苦情もありません」
「無記名なのだけが不思議なくらいです」
そんな会話が聞こえてきても、俺には関係なかった。
依頼を受ける。
終わらせる。
報酬を受け取る。
帰る。
それだけだ。
依頼の内容も選ばない。
薬草採取。
荷運び。
倒木撤去。
柵の修繕。
小型魔物の討伐。
街の周辺で終わる依頼なら何でもよかった。
等級にも興味はない。
名誉も実績も必要ない。
時間が潰れれば、それで十分だった。
それでも、結果だけは積み重なっていく。
依頼を達成するたび、登録札へ記録が刻まれた。
受付の女も、俺の姿を見ると、書類へ目を通すより先に口を開くようになっていた。
「ちょうど終わったところです」
「短時間で終えられそうな依頼が何件かございますが、ご覧になりますか」
「ああ」
差し出された依頼書を受け取り、一瞥する。
薬草採取。
荷運び。
家畜小屋の修繕。
どれもすぐ終わる。
迷う必要はなかった。
「これだ」
「承知いたしました」
受付の女は慣れた手つきで受注手続きを済ませる。
「お気を付けて」
俺は軽く頷き、再び組合を後にした。
そんな日々を、ただ繰り返す。
三十日後。
あいつが答えを出す、その日まで。
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【設定】
「冒険者ランク(E級〜A級)」
A級冒険者
位置付け:街・地方を代表する一流冒険者
国家や領主、都市組合から直接依頼が届くほどの信頼を得た冒険者。
単独で高位魔物の討伐が可能な者も存在し、戦闘能力だけではなく、判断力・統率力・実績・信用すべてを認められた者が到達する。
主な依頼:
・国家規模の護衛
・災害級魔物への対応
・未知の地域の調査
・特別指定依頼
※人数は少なく、一般冒険者から見れば憧れの存在。
B級冒険者
位置付け:熟練冒険者
多くの危険な依頼を任される実力者。
戦闘能力だけでなく、依頼を確実に成功させる経験と判断力を持つ。
主な依頼:
・上位魔物討伐
・危険地域の護衛
・高難度素材の採取
・大規模調査
街では「腕の立つ冒険者」として知られることが多い。
C級冒険者
位置付け:一人前の冒険者
組合から正式に一人前と認められた冒険者。
基本的な依頼から、ある程度危険を伴う仕事まで安定してこなせる。
多くの冒険者が最終的に目指す現実的な到達点。
主な依頼:
・中級魔物討伐
・商隊護衛
・危険区域での採取
・調査依頼
D級冒険者
位置付け:駆け出しを卒業した冒険者
新人期間を終え、最低限の経験と実績を積んだ冒険者。
単独行動も可能になるが、依頼内容によっては上位冒険者との同行が推奨される。
主な依頼:
・低級魔物討伐
・採取依頼
・簡単な護衛
・街周辺の調査
E級冒険者
位置付け:新人・登録直後
冒険者として登録されたばかりの者。
組合による試用期間のような扱い。
依頼達成数や態度、依頼人からの評価を確認し、問題がなければD級へ昇級する。
主な依頼:
・薬草採取
・簡単な素材収集
・荷運び
・街周辺の雑用
「昇級基準」
冒険者ランクは、単純な戦闘能力では決まらない。
評価項目:
・依頼達成率
・期限遵守
・依頼人からの評価
・仲間や他冒険者との協調性
・問題行動の有無
・戦闘能力
・判断力
組合は「強い人間」ではなく、「安心して依頼を任せられる人間」を評価する。
そのため、
・実力はあるが問題を起こす者 → 昇級しない
・戦闘力は平均的でも信用を積んだ者 → 昇級する
という仕組みになる。
「依頼制限」
E級:E級依頼のみ
D級:E級・D級依頼
C級:E級〜C級依頼
B級:E級〜B級依頼
A級:全ての依頼
例外として、組合が認めた場合のみ自身のランクより一つ上の依頼を受注可能。
ただし、
・過去の実績
・依頼内容への適性
・同行者
・成功率
を審査した上で許可される。
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