第32話 知らない所持金
依頼組合へ戻る。
朝と比べると、受付には少し人が増えていた。
依頼を終えた冒険者たちが、受付で報告をしている。
魔石や毛皮などを取り出している者もいる。
俺は受付へ向かう。
「お疲れ様です。依頼は終わりましたか?」
俺は収納袋からグラスボアを五体取り出す。
受付台の前に並べる。
「これでいいだろ?」
ノティが目を向ける。
「グラスボア五体ですね」
依頼書を確認する。
「問題ありません。依頼達成です」
ノティは続けて、別の依頼書を確認する。
「それと……グラスボアの毛皮と魔石を必要としている依頼があります」
俺に依頼書を見せる。
そこには、グラスボアの毛皮三枚と、魔石三つを求める依頼が書かれていた。
「次にその素材を持ってきていただければ、こちらの依頼も達成として処理しますね」
「ああ。分かった」
「では、討伐依頼の報酬はこちらになります」
ノティが銅貨二十枚の報酬を用意する。
俺はそれを受け取った。
グラスボア五体を収納袋に戻し、依頼組合を出る。
解体屋は、依頼組合から少し歩いたところにある。
数分歩くと、魔物の解体を扱っている店が見えてきた。
中へ入る。
「ソギ、居るか?」
「お、あんたか」
奥から青年が出てくる。
タオルで顔を拭っている。
「今日は何だ?」
「グラスボアを十四体だ」
「多い日か」
「そうみたいだ」
「なら、二つ目の場所に置いていってくれ」
「ああ」
俺は奥の解体部屋へ向かう。
いくつかの作業場所が並んでいる。
一つ目の場所には、まだ二体ほど魔物が残っていた。
その隣、二つ目の空いている場所へ向かう。
グラスボアを一体ずつ取り出し、並べていく。
「夕方くらいには終わると思うから、そん時に荷車を持ってきてくれ。肉がかなり出る」
「分かった」
俺は解体屋を出る。
家へ戻ることにした。
扉を開けると、アマネが顔を上げた。
「おかえりなさい」
「ああ」
アマネは机に向かっていた。
机の上には、一冊の絵本が置かれている。
ラフィアが以前持ってきたものだ。
絵本には、二匹の小さな動物が描かれている。
一つの大きな木の実を見つけた二匹が、どうするかを考えている話だった。
アマネは絵を見ながら、ゆっくりと文字を追っている。
「読んでいたのか?」
「はい」
「分からないところはあるか?」
「少しだけです。でも、前より読めるようになりました」
「そうか」
以前は文字を読むことすらできなかった。
今はこうして、一人で本を読んでいる。
それなら――。
「アマネ、これから出かけるぞ」
「どこへ行くんですか?」
「銀行だ」
「銀行……?」
「ああ。それと、本屋にも寄る」
アマネが絵本へ目を落とす。
「本を買うんですか?」
「一、二冊くらいはな。そればかりも飽きるだろ」
「……はい」
アマネが嬉しそうに頷いた。
家を出る。
まずは銀行へ向かう。
フローレには銀行が三つある。
一つは、役所や高級店が集まる街の中心部。
残りの二つは、住宅街や露店などが並ぶ外周部にある。
俺たちの家から近いのは、その内の一つだ。
「銀行って、何をするところなんですか?」
「金を預けたり、引き出したりするところだ」
「お金を預ける……?」
「ああ。全部が全部持ち歩かなくて済む」
「でも、カナタさんには収納袋がありますよね?」
「そうだな」
俺もこれまで、金を収納袋に入れて持ち歩いていた。
銀行を利用したことはない。
「だが、金を別で管理できるなら、その分収納袋の空きを作れる」
「なるほど」
アマネが頷く。
「じゃあ、銀行に預けたほうが便利なんですね」
「そういうことだ」
しばらく歩くと、銀行が見えてきた。
石造りの、周囲の建物より少し大きな建物だ。
正面には看板が掲げられている。
中央には一枚の硬貨が描かれ、その左右から矢印が伸びていた。
一方は硬貨へ向かい、もう一方は硬貨から離れている。
銀行を示すものらしい。
受付には数人の客が並んでいた。
商人らしい男が、窓口で何かを話している。
俺は空いている窓口へ向かった。
「いらっしゃいませ。本日はどのようなご用件でしょうか?」
「どうやったら銀行を利用できる?」
「初めての利用ですね。でしたら新規口座の開設からの手続きになります。身分証はお持ちですか?」
「これでいいか?」
冒険者カードを渡す。
銀行員はそれを確認する。
「ありがとうございます。通帳をお持ちでなければ、こちらで発行いたします」
「ああ。持っていない」
「かしこまりました。では、こちらにお名前をお願いします」
銀行員が一枚の紙を差し出す。
俺は言われた通りに名前を書く。
銀行員が内容を確認し、いくつかの手続きを進めていく。
「こちらで口座の開設は完了です」
銀行員が一枚の薄い板を取り出した。
紙ではない。
半透明でもなく、硬質な素材でできている。
「こちらが通帳になります」
「これが通帳?」
「はい」
通帳の右下には、小さな数字がいくつも並んでいた。
「この数字は?」
「口座番号です。お客様の口座を識別するための番号になります」
「そうか」
「預け入れや引き出しの際には、こちらの入出金機を使用します」
銀行員が窓口から出る。
俺とアマネも、その後についていく。
窓口の近くには、台座のような魔道具が置かれていた。
上面には、通帳と身分証を置くための場所がそれぞれ用意されている。
その下には、小さな表示盤が埋め込まれていた。
預け入れ、引き出し、送金。
さらに、その下には数字を入力するための板と、「決定」と書かれた部分がある。
中央には硬貨を入れるための口。
魔道具の側面には緩やかな傾斜があり、その先には硬貨を受ける浅い受け皿が置かれていた。
「こちらに通帳と身分証を置いてください」
俺は言われた通り、通帳と冒険者カードをそれぞれの場所へ置く。
すると、二つの板を中心に淡い光が走った。
「これで認証が完了しました」
銀行員が表示盤を指す。
「預け入れや引き出しはこちらから選択できます」
続いて、送金の項目を指す。
「送金もできるのか?」
「はい。別の口座へお金を移すことができます。商人の方がよく利用されますね」
「なるほど」
「送金する場合は、送金先の口座番号を入力し、金額を指定して確認すれば完了です」
「そういうものか」
思っていたより便利なものらしい。
「では、預け入れの場合はこちらへ硬貨を入れてください」
銀行員が魔道具の中央にある口を指す。
「銅貨、銀貨、金貨は分けなくても大丈夫です。魔道具が自動で識別します」
「まとめて入れていいのか?」
「はい」
俺は収納袋へ手を入れる。
銅貨と銀貨を中心に、一掴みほど取り出した。
その中には、金貨が一枚だけ混ざっている。
「これくらいでいいか?」
「はい。試してみましょう」
俺は硬貨を投入口へ入れる。
チャラチャラと音を立てながら、銅貨や銀貨が魔道具の中へ落ちていく。
最後に、金貨が一枚。
硬質な音を立てて、魔道具の中へ落ちていった。
魔道具の内部が淡く光る。
しばらくすると、通帳の表面にも変化が起きた。
何もなかった場所から淡い光が滲み出し、数字へ変わっていく。
「こちらが現在の残高になります」
表示された数字を見る。
1,101,000。
先ほど入れた金額が、そのまま反映されている。
「問題ありませんね。これで預け入れは完了です」
銀行員は一礼すると、窓口へ戻っていった。
俺は収納袋を見る。
まだ、かなり残っている。
せっかく来たのだから、このまま預けてしまおう。
「アマネ」
「はい?」
「少し手伝ってくれ」
「分かりました」
俺は収納袋から硬貨を取り出す。
アマネも硬貨を取り出し、二人で投入口へ入れていく。
チャリン。
チャリン、チャリン。
入れる。
確認する。
また入れる。
それを繰り返す。
五分ほど経った頃だった。
チリン。
今までとは違う音が、魔道具から聞こえた。
俺が顔を上げる。
魔道具の淡い光が、白に近い色から薄い赤色へ変わっていた。
少し離れたところにいた銀行員も、それに気づいたようだった。
「少々お待ちください」
「どうした?」
「硬貨の収容量が上限に達したようです。これ以上入れると処理できませんので、一度回収いたします」
銀行員が魔道具を確認する。
「それにしても……かなり入れられましたね」
「まだ入るか?」
「回収すれば、また使えます」
「そうか」
銀行員が俺を見る。
「まだお預けになるお金がございますか?」
「ああ」
俺は収納袋の中を少しだけ見せる。
そこには、まだ大量の硬貨が残っていた。
「これくらいある」
「……まだ、これほど」
「ああ。全部預けたい」
「かしこまりました」
銀行員は魔道具へ目を向ける。
「でしたら、こちらの入出金機では少々時間がかかりますね。大口のお客様向けに、奥に別の設備がございます」
「別のものがあるのか?」
「はい。よろしければご案内いたします」
「頼む」
銀行員は、硬貨を受ける傾斜とは反対側の側面を開く。
中に溜まった硬貨を、用意された箱へ移していく。
「こちらは一度、奥の管理場所へ運びます」
「ああ」
俺は通帳と冒険者カードを回収する。
アマネも手元の硬貨を収納袋へ戻した。
「こちらです」
銀行員が窓口の奥にある扉を開ける。
その先では、銀行員たちが机に向かい、事務作業をしていた。
書類を確認する者もいれば、帳簿に数字を書き込んでいる者もいる。
職員同士の話し声や、紙をめくる音が聞こえていた。
俺たちは職員たちの間を抜け、そのさらに奥へ進んだ。
その一角には、先ほどの入出金機よりも大きな魔道具が置かれていた。
周囲にはいくつかの箱が並んでいる。
「こちらが大口のお客様向けの設備になります」
銀行員が説明する。
俺は同じように通帳と冒険者カードを所定の場所へ置く。
「こちらでは一度にかなりの量を処理できます」
魔道具は、先ほどのものとは比べ物にならないほどの速さで硬貨を処理していく。
投入口へ入れた硬貨が、次々と内部へ吸い込まれていく。
チャリン。
チャリン、チャリン。
俺は収納袋へ手を入れる。
硬貨を掬う。
投げ入れる。
また掬う。
投げ入れる。
それを繰り返した。
隣では、アマネが通帳の表示を眺めている。
382,460,000。
アマネは数字を左から追っていく。
「八千……二百……四十……六……」
八千二百四十六万。
そこまでは読める。
だが、その前にある数字が分からない。
「……カナタさん」
「なんだ?」
「これ、いくらですか?」
「三億八千二百四十六万だな」
「……三億?」
「ああ」
「それは……?」
アマネは首を傾げる。
「まだ、そこは教わっていません」
「そうか」
「八千二百四十六万までは分かります。でも、その前の『三億』が分かりません」
「なるほどな」
俺は通帳を見る。
「一億は、金貨百枚分だ」
「……百枚」
アマネが目を丸くする。
「金貨が、百枚……?」
「ああ」
アマネはもう一度、通帳を見る。
「じゃあ、これは金貨が三百枚と……」
「そういうことになるな」
「……」
金貨百枚。
それが一億という数字になる。
今まで知らなかった数字だった。
「カナタさん」
「なんだ?」
「お金持ちなんですね」
「そうなのか?」
「……分からないんですか?」
「自分がいくら持っているか、考えたことがなかったからな」
「……そうなんですね」
アマネは不思議そうに俺を見る。
銀行員も、少し離れたところからこちらを見ていた。
その表情には、驚きとわずかな戸惑いが混じっている。
俺は気にせず、収納袋から硬貨を取り出し続ける。
チャリン。
チャリン、チャリン。
魔道具が硬貨を飲み込んでいく。
数字が少しずつ増えていく。
銀行員たちは何度も箱を交換していた。
「……これで、最後だ」
俺が収納袋の中を確認する。
残っているのは、普段使うために必要な分だけだ。
「こちらでよろしいですか?」
「ああ」
銀行員が魔道具を確認する。
しばらくして、通帳の表示が変わった。
アマネが数字をじっと見つめる。
「カナタさん」
「なんだ?」
「……これ、いくらですか?」
俺は数字を見る。
989,746,321,500。
「大体、九千九百億だな」
「……」
アマネが固まる。
「九千九百……億」
「ああ」
「それって……」
「正確には少し違うが、金貨なら約九十九万枚だ」
「……九十九万枚」
アマネは通帳と俺を交互に見る。
「……これって、どれくらい多いんですか?」
「さあな」
「カナタさんにも分からないんですか?」
「自分の所持金を、ちゃんと数えたことがないからな」
これまで、魔物を倒しては素材を売ってきた。
それを長い間、繰り返している。
金を使うことも、あまりなかった。
気づけば、収納袋の中には大量の硬貨が溜まっていた。
アマネは通帳へ視線を戻す。
「これだけあれば、何が買えるんですか?」
「大抵のものは買えるんじゃないか?」
「家なら、百個くらい買えますか?」
「たぶん買える」
「百個……」
アマネの目が少しだけ大きくなる。
「そんなに家はいらないですね」
「そうだな」
「じゃあ、二人で暮らすなら……」
アマネは少し考えてから言った。
「今の家で十分です」
「そうか」
「はい」
アマネらしい答えだった。
銀行員はそんな二人の会話を聞きながら、何とも言えない表情をしていた。
「……お客様。一つ、確認してもよろしいでしょうか?」
「なんだ?」
「この残高は、すべて現在のお客様の資産ということで間違いございませんか?」
「そうなるな」
「……」
銀行員が黙る。
「何か問題があるのか?」
「いえ。問題はございません」
銀行員は首を横に振る。
「ただ、これほどの金額を一つの口座で扱った記録は、私の知る限りございませんので」
「そうか」
「はい」
銀行員は少しだけ言葉を選ぶように間を置いた。
「ただ……これだけの金額になりますと、少しだけお伝えしておきたいことがございます」
「なんだ?」
「大金をお持ちであることを、あまり周囲に知られないようにされたほうがよろしいかと」
銀行員の声が、少しだけ小さくなる。
「こちらからお客様の情報を外部へお伝えすることはございません。ですが、人の口まで完全に防ぐことはできませんので」
「……なるほどな」
金を持っていると知られれば、面倒なことになる。
それくらいは俺にも分かる。
「特に、これだけの金額を一つの口座で扱われますと、何かの拍子に知られてしまう可能性もございます」
「分かった。気をつける」
「ありがとうございます」
銀行員は、少しだけ安心したように頷く。
「それと、もう一つ」
「まだあるのか?」
「はい」
銀行員が冒険者カードへ目を向ける。
「こちらの口座からお金を引き出す場合、通帳だけでは手続きできません。ご本人様の確認が必要になります」
「なるほど」
「先ほどのように、通帳と身分証の両方を確認させていただきます」
「それなら安心だな」
「はい。ただ……」
銀行員は一度、言葉を切った。
「通帳だけではなく、ご本人様まで危険な目に遭われるようなことがあれば話は別です」
「……」
「大金を持っていると知られた場合、狙われるのはお金そのものとは限りません」
それ以上は言わなかった。
けれど、言いたいことは分かる。
金を奪うために、俺自身を狙う。
あるいは――。
俺の身近な人間を利用する。
そこまで考えれば、確かに注意する必要はある。
「分かった」
「はい」
「今まで通り、あまり金の話はしないようにする」
「それがよろしいかと思います」
銀行員は深く頭を下げる。
「余計なお世話かもしれませんが、念のためお伝えさせていただきました」
「いや。助かった」
「ありがとうございます」
銀行員は、ようやく少し表情を緩めた。
俺は通帳を収納袋へしまう。
「行くぞ、アマネ」
「はい」
アマネが俺の隣へ来る。
銀行を出る前に、俺は一度だけ振り返った。
銀行員は、まだこちらを見ていた。
俺は軽く頭を下げる。
銀行員も頭を下げ返した。
そして、俺たちは銀行を出た。
外へ出ると、昼の街はいつもと変わらない。
人が歩いている。
店から声が聞こえる。
荷車が通りを進んでいる。
何も変わっていない。
けれど――。
「カナタさん」
「なんだ?」
「さっきの人、少し怖かったですね」
「そうか?」
「はい。なんだか、すごく真剣でした」
「仕事だからな」
「……それだけですか?」
「それだけだろ」
「そうでしょうか」
アマネは少し考える。
「でも、気をつけたほうがいいんですよね?」
「ああ」
「分かりました」
アマネは素直に頷いた。
俺も歩きながら収納袋に触れる。
中には、必要な分だけの金が残っている。
それ以外は、銀行に預けた。
金を持ち歩く必要がなくなった。
それだけでも、銀行へ来た意味はあっただろう。
「それで、次は本屋ですよね?」
「ああ」
「どんな本を買うんですか?」
「アマネが選べばいい」
「私が?」
「ああ。読みたいものを選べばいい」
「……はい」
アマネの顔が少し明るくなる。
「じゃあ……どんな本があるのか、見てみたいです」
「そうだな」
俺たちは、そのまま本屋へ向かって歩き始めた。




