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支配の魔術師と名を持たぬ少女  作者: 雪美夜
第一章 『名前のない日々』

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第29話 花祭り⑥

 夜になった。


 街は魔石を用いた灯りに照らされ、大人たちが一層騒がしく酒盛りをしている。


 けれど、花園区へ近づくにつれて、その喧騒は少しずつ遠ざかっていった。


 いつもの花園区なら、夜には閉じられている。


 けれど今日は、花祭りの日だ。


 普段なら入ることのできない時間まで、特別に開放されている。


「こんばんは!」


 花園区の入口近くで、先に到着していたラフィアが手を振った。


「ああ」


「こんばんは」


 少女も頭を下げる。


「では、行きましょうか」


 三人で花園区へ入る。


 昼間に歩いた道だった。


 けれど、今は様子が違う。


 昼間は色とりどりの花が陽の光を浴びていた。


 今は、道の脇に置かれた小さな灯りが足元を淡く照らしている。


 園芸師たちの姿も少なく、花を世話するための道具も片付けられていた。


 静かだった。


 街の中央では祭りが続いているはずなのに、ここだけ別の場所のように感じる。


「夜の花園区って、こんな感じなんですね」


 少女が辺りを見回す。


「そうですよ」


 ラフィアが答える。


「普段は夜になると閉まっていますから、こうして入れるのは花祭りの時くらいです」


「昼間とは違いますね」


「でしょう?」


 ラフィアが嬉しそうに笑う。


「昼は花を見る場所ですけど、夜は静かで、これはこれで綺麗なんですよ」


 三人は花園区の奥へ進んでいく。


 やがて、昼間に見た温室が見えてきた。


 その前には、小さな壇上が設けられている。


 周囲には、すでに何人もの人が集まっていた。


 壇上では園芸師たちが何かを準備している。


 小さな植木鉢がいくつも並べられていた。


 どの鉢にも、まだ開いていない蕾をつけた植物が植えられている。


 一方で、温室へ入っていく人の姿もあった。


 夜に咲いているエヴァーブルームを見に来たのだろう。


 中を見終えた人が出てくると、今度は別の人が入っていく。


 人の流れは途切れない。


 それでも、街の中央ほどの騒がしさはなかった。


 誰もが、これから始まるものを待っているようだった。


「人が集まっていますね」


「そうですね。もうすぐ始まると思いますよ!」


 ラフィアが壇上を見る。


 そのとき、一人の園芸師が壇上へ上がった。


「皆さん、お待たせしました」


 園芸師が壇上の中央へ立つ。


「これより、エヴァーブルームの開花の儀を行います」


 周囲の話し声が静まっていく。


「こちらに用意してあるのは、まだ花を開いていないエヴァーブルームです。これから皆さんには、この株へ魔力を流していただきます」


 園芸師が植木鉢を示す。


「ただし、魔力は多く流せばいいというものではありません。エヴァーブルームが花を開くためには、一定の魔力を、一定の流れで与える必要があります」


 園芸師は参加者たちを見渡す。


「大切なのは、最初から最後まで安定して魔力を流し続けることです。途中で魔力が途切れたり、流れが大きく乱れたりすれば失敗となります」


 そして、蕾へ目を向ける。


「花弁が一枚、二枚と開いても、それだけでは成功ではありません。五枚すべてが開き、その状態を保てれば開花成功です」


 園芸師が笑う。


「特別な魔術は必要ありません。ご自身の魔力を、丁寧に扱ってください」


「それでは、挑戦される方を募集します。参加を希望される方は、手を挙げてください」


 何人かの手が上がった。


「ありがとうございます。それでは――そちらの方、お願いします」


 指名された男が壇上へ上がる。


「準備ができましたら、始めてください」


「分かりました」


 男が両手を鉢へ添える。


 しばらくすると、蕾が小さく震え始めた。


 緩やかに一枚目の花弁が開く。


 二枚目。


 三枚目。


 順調に開いていく。


 けれど、四枚目へ移ろうとしたところで動きが止まった。


 男の表情が僅かに強張る。


 次の瞬間、開いていた花弁が少しずつ内側へ戻っていった。


「残念ですが、魔力の流れが乱れてしまいましたね」


 園芸師が静かに告げる。


「少し魔力が強すぎたようです。エヴァーブルームは許容できる魔力の範囲が狭いので、流れが乱れると開きかけた花も閉じてしまいます」


「……閉じちゃいました」


 少女が呟く。


「三枚開かせたのも十分すごい結果ですよ」


 園芸師は男を責めることなく、穏やかに続ける。


「ありがとうございました。次の方、お願いします」


 男が壇上を降りる。


 次々と参加者が挑戦していく。


 一枚目。


 二枚目。


 三枚目。


 そこまでは順調に開く者もいる。


 けれど、四枚目で魔力の流れが乱れる。


 途中で魔力が途切れ、開花に届かない者もいる。


 中には、挑戦を終えたあと、膝に手をついて深く息を吐いている者もいた。


「思ったより難しいんですね」


 少女が言う。


「そうですね」


 ラフィアも壇上を眺めている。


「でも、面白いですよ!」


「ラフィアさんもやったことがあるんですか?」


「ええ。何度かあります」


 ラフィアが元気よく頷く。


「花祭りに来たときは、だいたい挑戦していますよ」


「毎年ですか?」


「そうですね。最初の頃は二枚目まででした。三枚目まで行けるようになったのも、ここ数年です」


 ラフィアは自分の手を見る。


「治癒魔術でも魔力を調整することはありますけど、エヴァーブルームは本当に細かいんですよ」


「そんなに違うのか?」


 俺が尋ねる。


「はい!」


 ラフィアが頷く。


「治癒魔術なら、傷の状態を見ながら魔力を変えられます。でも、この花は受け取れる量が決まっていて、その範囲から少し外れただけでも流れが乱れるんです」


 ラフィアが壇上を見る。


「だから、量だけじゃなくて、ずっと同じ状態を維持する集中力も必要なんですよ」


「なるほど」


 俺は壇上を見る。


 必要なのは、単純な魔力の量ではない。


 花が受け入れられる範囲に魔力を収め続ける精密な制御。


 それを維持する集中力。


 そして最後まで送り続ける持久力。


 三つが揃って、ようやく五枚の花弁が開く。


 そんな中、次の参加者が壇上へ上がった。


 今度の人物は、魔力の流れが安定している。


 一枚。


 二枚。


 三枚。


 四枚目。


 そして最後の一枚。


 五枚の花弁がすべて開いた。


 花弁の縁に淡い光が浮かび上がる。


「成功です」


 園芸師が告げる。


 周囲から静かな拍手が起こった。


 少女も小さく拍手をしている。


「すごいですね」


「ああ」


 成功した参加者は、しばらく花を見つめていた。


 やがて鉢から手を離す。


「……はぁ」


 大きく息を吐く。


 もう一度、深く息を吸う。


 顔色も少し悪い。


「お疲れ様でした。少し休んでください」


「……ありがとうございます」


 参加者は何度か深呼吸を繰り返している。


 それだけ集中して魔力を維持していたのだろう。


 園芸師は新しいエヴァーブルームの鉢を用意する。


「やっぱり、すごいですね」


 ラフィアが小さく息を吐く。


 そして、どこか楽しそうに壇上を見る。


「私も、今年はもう少しいける気がします」


「……やるのか?」


「もちろんです」


 ラフィアが笑う。


「せっかくですから、今年も挑戦します!」


「三枚より先を狙うのか?」


「はい!」


 ラフィアが胸を張る。


「できれば四枚目まで」


「五枚ではないのか?」


「それはまだ無理ですよ」


 ラフィアが苦笑する。


「でも、去年より一枚多く開けられたら嬉しいじゃないですか」


 そう言って、ラフィアは手を挙げた。


「参加希望の方は、手を挙げてください」


 園芸師が呼びかける。


「はい!」


 ラフィアの手が高く上がる。


 園芸師がこちらへ目を向けた。


「そちらの方、どうぞ」


「はい!」


 ラフィアが嬉しそうに壇上へ向かう。


「あ、ラフィアさんでしたか。今年も参加されますか?」


「はい! 今年こそ四枚目です!」


 園芸師が笑う。


「では、楽しみにしています」


 ラフィアが台の前へ立つ。


 周囲から小さな声が聞こえた。


「今年もラフィアさんが出るみたいだ」


「毎年参加してる人だよな」


 俺はラフィアを見る。


 家庭教師を頼んだときも、依頼組合からラフィアを紹介された。


 (そういえば、そうだったな)


 フローレでは、それなりに知られている冒険者だと聞いていた。


 いつも家で少女に勉強を教えている姿を見ているせいか、町でのラフィアを意識することは少なくなっていた。


「では、準備ができましたら、始めてください」


「はい!」


 ラフィアが両手を鉢へ添える。


 しばらくすると、蕾が小さく震え始めた。


 魔力が流れている。


 やがて、一枚目の花弁がゆっくりと開いた。


「……」


 少女がじっと見つめている。


 二枚目。


 さらに三枚目。


 花弁が一枚ずつ開いていく。


 ラフィアの表情は真剣だった。


 魔力の流れを一定に保ちながら、慎重に力を調整している。


 三枚目が開き切る。


「三枚、開きましたね」


 少女が小さく呟く。


「ああ」


 俺も壇上を見る。


 ラフィアはそのまま魔力を流し続ける。


 四枚目の花弁が、ゆっくりと動き始めた。


「……!」


 少女が息を呑む。


 花弁が少しずつ開いていく。


 あと少し。


 そう思ったところで、ラフィアの指先が僅かに震えた。


 魔力の流れが揺らぐ。


 四枚目の花弁が止まった。


「……」


 ラフィアが息を詰める。


 その直後、花弁が僅かに内側へ戻った。


 魔力の流れが乱れた。


 開いていた三枚の花弁も、少しずつ閉じ始める。


「残念です」

 

 園芸師が声をかける。


「四枚目まで、かなり開いていましたよ」


「……あと少しだったんですけどね」


 ラフィアが悔しそうに笑う。


「今年もダメでしたかぁ……」


「去年より明らかに開いています。十分な進歩ですよ」


「本当ですか?」


「ええ。来年は四枚目まで開くかもしれませんね」


「じゃあ、また来年ですね」


 ラフィアが笑う。


「ありがとうございました!」


 ラフィアは壇上を降りてくる。


「惜しかったですね」


 少女が声をかける。


「でしょう?」


 ラフィアが笑う。


「でも、去年よりは進みました! 来年こそ頑張ります!」


 そして、ふと俺を見る。


「そういえば」


「なんだ?」


「あなたも魔術師ですよね?」


「ああ」


「火炎魔術の適性があるって、町の人から聞いたことがあります」


「……そんな話まで広まっているのか」


「はい!」


 ラフィアが頷く。


「だったら、こういう魔力の調整も得意なのかなって」


「どうだろうな」


「依頼主さんもやってみませんか?せっかくですし……」


「……」


 特に返事はしない。


 ラフィアが少し首を傾げる。


「どうです?」


 俺はエヴァーブルームを見る。


 (こういう魔力の扱いを求められるのは、いつぶりだろうな)


 そんな精密さを求められること自体が、ずいぶんと久しぶりだった。


「……やってみるか」


「本当ですか!?」


 ラフィアの目が輝く。


「はい!」


 少女も俺を見る。


「見てみたいです」


「そうか」


 俺は少女に頷く。


 そのとき、壇上の園芸師が周囲を見渡した。


「それでは、最後にもう一度だけ確認します」


 何人かが顔を上げる。


「他に挑戦される方はいませんか?」


 誰も手を挙げない。


「……よろしいですか?」


 再度確認をする。


「では、今年の開花の儀は――」


 俺は手を挙げた。


「……」


 園芸師が言葉を止め、こちらを見る。


「そちらの方、挑戦されますか?」


「ああ」


「分かりました。では、最後にお願いします」


 周囲から僅かに視線が集まる。


 俺はそのまま壇上へ向かった。


 階段を上がる。


 先ほどまでラフィアが立っていた場所だ。


「こちらへどうぞ」


 園芸師が台の前を示す。


 その上には、まだ閉じたエヴァーブルームの鉢が置かれている。


「準備ができましたら、始めてください」


「ああ」


 俺は鉢の前に立つ。


 手を伸ばす必要はない。


 ただ、花を見る。


 意識をエヴァーブルームへ向ける。


 魔力を流す。


 細く。


 一定に。


 砂時計から砂が落ちていくように。


 一粒ずつ。


 同じ速さで。


 途切れることなく。


 蕾が小さく震えた。


 一枚目の花弁が開く。


 周囲から小さな声が漏れる。


 二枚目。


 三枚目。


 魔力の流れに乱れはない。


 多すぎることもない。


 少なすぎることもない。


 必要な分だけを送り続ける。


 四枚目。


 そして――五枚目。


 最後の花弁が、ゆっくりと開いた。


 淡い光が五枚の花弁を縁取る。


「……」


 園芸師が目を見開く。


「成功、です」


 少し遅れて、周囲から拍手が起こった。


 少女も目を丸くしている。


「……すごい」


 小さな声が聞こえた。


 俺は花を見る。


 五枚すべてが開いている。


 思っていたより、難しくない。


 むしろ――。


 (こんなものか)


 そんな感想が浮かんだ。


「お見事です」


 園芸師が花を見つめる。


「まさか最後の最後で成功されるとは思いませんでした」


「そうか」


「今年の開花の儀を締めくくるに相応しい、綺麗な開花でしたよ」


「ああ」


 園芸師が花の状態を確認する。


「では、こちらの株はこのまま保護させていただきます」


 園芸師が鉢の横に用意されていた透明なガラスケースを持ち上げる。


 鉢を覆うように、ゆっくりと被せていく。


 ガラスの縁が鉢の枠へ収まり、留め具で固定された。


「これで大丈夫です」


「ああ」


 ガラス越しに、淡い光を帯びた五枚の花弁を見る。


 先ほどまで蕾だった花が、完全に開いている。


 園芸師はその鉢を壇上の端へ移動させた。


 そこには、今回の開花の儀で成功した花が並べられている。


 俺のものを含め、四つ。


 どの花も五枚の花弁を開き、静かに光を放っていた。


「それでは、最後に開花を成功させた方々を表彰します。他のお三方も壇上に上がられてください」


 三人が壇上へ上がってくる。


 顔色を悪くした、先ほどの男。


 長い耳を持つエルフの男。


 眼鏡を掛けた女。


 俺もそのまま、その場に残る。


「皆さん、お疲れ様でした。今年の開花の儀では、四名の方が見事にエヴァーブルームを開花させました」


 周囲から、先ほどより少し大きな拍手が起こる。


 園芸師が、壇上に並ぶ四人へ手を向ける


 拍手が少し落ち着く。


「それでは、今年の開花を成功させた方々を表彰いたします」


 一人の女性が、小さな箱を四つ載せた細長い盆を持って壇上へ上がってくる。


 園芸師が箱を受け取った。


「こちらは、今回の開花を成功させた皆さんへの記念品です」


 箱を一つ開ける。


 中には、小さな金属製のメダルが入っていた。


 五枚の花弁を持つ花を模した形で、中央には小さな宝石のような飾りが嵌め込まれている。


「花祭りの記念として、毎年お渡ししているものです」


 園芸師が一人ずつにメダルを渡していく。


「おめでとうございます」


「ありがとうございます」


「おめでとうございます」


「どうも」


「おめでとうございます」


「嬉しいです。ありがとうございます」


 そして最後に、俺の前へ立つ。


「今年の開花の儀を見事に締めくくってくださったあなたへ。おめでとうございます」


「ああ」


 俺は箱を受け取る。


 中のメダルを手に取る。


 軽い。


 小さな花を模した、簡素なものだった。


 特に欲しかったわけではない。


 こういうものにも、あまり興味はない。


 けれど、ふと壇上の下を見る。


 少女がこちらを見ていた。


 目が合う。


 少女は慌てたように視線を逸らした。


 俺はメダルを箱へ戻した。


「それでは、開花したエヴァーブルームは、こちらで預かって管理します」


 園芸師が説明する。


「しばらくの間は、この状態で皆さんにも見ていただけます。花やガラスケースには触れないようお願いいたします」


 周囲から小さな声が上がる。


 すでに何人かが、花へ近づこうとしていた。


「また、温室にもエヴァーブルームを展示しております。まだご覧になっていない方は、そちらもぜひご覧ください」


 園芸師が周囲を見渡す。


「それでは――」


 少し間を置く。


「これをもちまして、本年度のエヴァーブルーム開花の儀を終了いたします」


 拍手が起こった。


 今度は、先ほどより少し大きい。


 それでも、花園区の静かな空気を壊すほどではなかった。


「本日はご参加いただき、ありがとうございました」


 園芸師が頭を下げる。


 少しずつ人が動き始めた。


 壇上へ近づいて花を見る者。


 温室へ向かう者。


 その場に残って、開花した花を眺める者。


 それぞれが思い思いに動いている。


「それでは、皆さん」


 園芸師が俺たち四人へ声をかける。


「本日は本当にありがとうございました」


「ああ」


 俺は短く返す。


 他の三人も、それぞれ言葉を返している。


 これで終わりらしい。


 俺は壇上を降りた。


 階段を下りると、少女とラフィアがこちらを見ていた。


「お疲れ様でした!」


 ラフィアが笑う。


「まさか、本当に成功させるとは思いませんでした!」


「そうなのか?」


「はい!」


 ラフィアは壇上に並ぶ四つの花を見る。


「私も実際にやったから分かりますけど、あれ、結構難しいんですよ!」


「四枚目までいっていたな」


「あと少しだったんですけどね」


 ラフィアが悔しそうに笑う。


「だから、五枚全部開いたときは、本当に驚きました!」


「すごかったです」


 少女も頷く。


「私も、最後まで開くとは思いませんでした」


「でしょう?」


 ラフィアが少女へ笑いかける。


「私なんて三枚目で終わっちゃいましたからね」


 そして、俺の手元へ視線を向ける。


「ところで、それが記念品ですか?ちょっと見せてくださいよ」


 俺は箱をラフィアへ渡す。


 ラフィアが蓋を開けた。


「わあ……可愛いですね!」


 ラフィアは屈み、少女が覗き込みやすいようにする。


「……本当ですね」


 少女が小さく呟く。


 花の形をした小さなメダル。


「花の街らしい記念品です」


 少女はじっと見つめている。


 視線が、メダルから俺へ移る。


「これは……どうするんですか?」


「俺には必要ない、やるよ」


「え?」


 少女が目を見開く。


「これを……私に?」


「ああ」


「でも……」


 少女はメダルへ視線を戻す。


 それから、俺の顔を見る。


「……ありがとうございます。大切にします」


「ああ」


「よかったですね」


 ラフィアは少女の頭を軽く撫でる。ふと少女の髪へ目を向ける。


 何かを思いついたように、ぱっと表情が明るくなった。


「あっ、これ、髪留めにしたらどうですか?」


「髪留め?」


 少女が首を傾げる。


「はい!」


 ラフィアがメダルを持ち上げる。


「このメダルを使って、髪をまとめられるようにしてもらうんです。花の形ですし、小さいから、きっと似合いますよ」


 少女は自分の髪に触れる。


「……髪留め」


「ええ!」


 少女はもう一度、メダルを見る。


「いいと思います」


「でしょう!?」


 ラフィアが嬉しそうに笑う。


「私の知り合いに頼めば、布を使った小さな髪留めに加工してもらえると思います」


「布を使ったものですか?」


「はい。髪をまとめる部分を布で包んだ、小さなものです」


 少女はメダルを大切そうに握る。


「お願いします」


「分かりました!」


 ラフィアが元気よく頷く。


「だったら、一旦この箱に戻しておきましょう。そっちの方が管理しやすいですから!」


 ラフィアが少女からメダルを受け取り、箱へ戻す。


 蓋を閉じる。


「では、これは私が預かっておきますね」


「ああ」


「ちゃんと髪留めにしてもらいますから、楽しみにしていてくださいね!」


「はい」


 少女が頷く。


 その顔には、嬉しそうな表情が浮かんでいた。


 俺はもう一度、壇上へ目を向ける。


 中央には、四つのエヴァーブルームが並んでいる。


 どの花も五枚の花弁を開き、淡い光を静かな夜へ放っていた。


「もう少し見ていきますか?」


 ラフィアが尋ねる。


「いや。十分だ」


「そうですか」


 ラフィアも花を見る。


「じゃあ、帰りましょうか」


「ああ」


 三人は花園区を後にする。


 入口を抜ける。


 今日は、これで終わりだ。


 少女はラフィアが持つ小さな箱を、何度か振り返って見ていた。


 その中に入っているものが、これから自分の髪を飾るものになる。


 そんなことを考えているのかもしれない。


 やがて、三人は街の中央区まで戻ってきた。


「では、私はここで」


 ラフィアが足を止める。


「ああ」


「また明日ですね」


「そうだな」


「おやすみなさい」


「おやすみなさい」


 少女も頭を下げる。


 ラフィアは小さな箱を持ったまま、二人に手を振った。


 俺と少女も、それを見送る。


 やがて、ラフィアの姿が人の中へ消えていく。


「帰るか」


「はい」


 少女が俺の隣へ並ぶ。


 二人で家へ向かって歩き始めた。


——————————————————————————


 鍵を開け、扉を開ける。


 俺は油灯に火を入れる。


 暗かった部屋が、淡い明かりに照らされた。


「今日はもう遅い。先に体を洗ってこい」


「はい」


 少女は収納から着替えとタオルを取り出す。


 俺は油灯を手に取ると、少女へ渡した。


「持っていけ」


「ありがとうございます」


 少女は油灯を受け取り、そのまま外へ出ていった。


 しばらくして、少女が戻ってくる。

 

 着替えを済ませた少女は、自分の寝台へ向かう。


 俺も外へ出て、身体を洗う。


 戻ってくると、少女と一緒に歯木を使って歯を磨いた。

 

 そして二人は、自分の寝台へと身を預ける。


 淡い明かりの中で、ふと少女が小さく口を開いた。


「……今日は、楽しかったです」


「そうか……。よかったな」


「朝から、いろんなところへ行きました」


「ああ」


「美味しいものも、いっぱい食べました」


 少女の声が少し弾む。


「花も、たくさん見ました」


「昼間も夜も見たな」


「はい」


 少し間が空く。


「来年も、ラフィアさんと一緒に行けるといいですね」


「それは分からないな。あいつはあいつで、自分の居場所があるからな」


「……そうですね」


 少女は少しだけ考えるように黙る。


「でも、今日みたいに、また美味しいものを食べて、お花を見て……」


 少女は今日一日のことを思い出しているのだろう。


「……今日が、一番楽しかったです」


「そうか」


「はい」


 少しだけ間を置いて、少女が続ける。


「あなたと出会ってから、毎日が楽しいです」


「……」


「今まで知らなかったことを、たくさん知りました。美味しいものも食べられるようになって、文字も読めるようになって、自分でいろんなものを選べるようになりました」


 少女の声は静かだった。


「だから……毎日が楽しいです」


 少女が小さく息を吐く。


「でも、その中でも今日は特別でした」


「花祭りだからな」


「はい」


 少女が笑う。


「来年も、また一緒に行きましょうね」


「暇だったらな」


「……はい」


 少女は小さく笑った。


 やがて、その目が少しずつ閉じていく。


 しばらくすると、隣から静かな寝息が聞こえ始めた。


 俺は油灯の淡い明かりを眺める。


 今日は、長い一日だった。


 それでも、不思議と嫌な疲れではなかった。


 油灯の明かりが、静かな部屋を照らしている。


 俺も目を閉じた。


 花祭りの夜は、こうして終わった。

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。 


これにて花祭りの一幕は終わりとなります。

三人にとって楽しいものになったのでしょうか?

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