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支配の魔術師と名を持たぬ少女  作者: 雪美夜
第一章 『名前のない日々』

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第28話 花祭り⑤

 五枚の花びらが、ゆっくりと外へ向かって広がっている。


 花弁は幾重にも重なっているわけではない。


 それぞれが独立したように伸び、中心から外側へ向かって、わずかに内側へ反っている。


 淡い乳白色。


 けれど、光の当たり方によっては、その輪郭が薄い水色に浮かんで見える。


 花そのものが光っているわけではない。


 ただ、花弁の縁に沿って、ごく淡い光が滲んでいる。


「……綺麗」


 少女が呟いた。


「エヴァーブルームですよ」


 ラフィアが答える。


「……」


 少女は花の前から目を離さない。


「フローレでは有名な花なんですよ!」


 ラフィアが少し嬉しそうに説明する。


「ずっと咲き続ける花なんです」


「ずっと……?」


「はい!」


 ラフィアが頷く。


「普通のお花なら、いつかは枯れてしまいますよね? でもエヴァーブルームは、きちんと管理されている限り、咲いている状態をずっと維持できるんです」


「ずっと……」


 少女は花に視線を戻す。


「じゃあ、ずっとこのままなんですか?」


「そういうことです!」


 ラフィアは花を見ながら頷く。


「もちろん、植物ですから何をしても平気というわけではありません。茎を折ったり、根を傷つけたりしてしまえば、普通の植物と同じように生命を失ってしまいます」


「……」


「でも、そうならないように育ててあげれば、花は咲いたままなんですよ!」


 ラフィアは嬉しそうに言った。


「不思議ですね」


「そうでしょう?」


 ラフィアが楽しそうに笑う。


「私も初めて見たときは、ずっと見ていましたよ!」


「ラフィアさんも?」


「ええ。子供の頃ですけどね」


 ラフィアは少し懐かしそうに花を見る。


「フローレでは昔から有名な花ですから。花が好きな人なら、一度は見てみたいと思うものですよ!」


「そうなんですね」


 少女はもう一度、エヴァーブルームを見る。


 枯れずに、ずっと咲き続ける花。


 そのことが、気になったのだろう。


「この花は、どうやって作られたんですか?」


 少女が尋ねる。


「それは……」


 ラフィアが少し考える。


「詳しいことまでは、私も知りません」


 そう言ってから、少しだけ笑う。


「でも、ずっと咲いている花を作りたいと思った園芸師さんがいて、その人の研究から生まれた花だと聞いています」


「ずっと咲いている花……」


「はい」


 ラフィアは花を見つめる。


「花が好きな人の願いから始まったんですよ」


「願い……」


 少女は小さく呟く。


 それ以上は何も言わず、花を眺めていた。


 俺も花を見る。


 確かに、普通の花とは違う。


 ただ、枯れないというだけではない。


 花弁の縁に浮かぶ淡い光。


 それが、花そのものに不思議な存在感を与えている。


 そして、俺はそれが何なのか知っている。


 魔力だ。


 花弁の縁に浮かぶ淡い光も、この花が咲き続けている理由も、魔力が関わっている。


 だが――。


 俺が気になったのは、そこではなかった。


 ずっと咲いている花を作りたい。


 その願いから、この花は生まれたという。


 何故、そこまでして咲き続ける花を作ろうと思ったのだろう。


 花が好きだったからか。


 それとも、枯れてしまうことを惜しむ何かがあったのか。


 俺には分からない。


 ただ――。


 その人間が抱いた願いは、こうして今も残っている。


 目の前で、一輪の花として。


「でも、こういう花を作るのって大変だったんでしょうね」


 ラフィアが言った。


「今ではフローレ独自の技術として扱われていますけど、最初から簡単にできたわけではないでしょうから」


 ラフィアはエヴァーブルームを見つめる。


「長い時間をかけて、少しずつ研究してきたものなんでしょうね」


 そう言って、ラフィアは少し嬉しそうに笑った。


「フローレの自慢の一つですよ!」


 少女は温室の中を見回す。


 エヴァーブルームだけではない。


 色鮮やかな花々が、いくつもの区画に分けられている。


 その一つ一つを園芸師たちが世話をしている。


 少女は近くの花へ歩み寄る。


 名前の書かれた札を読み、花を眺める。


 少し進んでは、また別の花へ目を向ける。


「もう少し見てもいいですか?」


「もちろんです!」


 ラフィアが笑う。


 昼間からずっと花を見ている。


 それでも、少女はまだ楽しそうだった。


 少女は温室の中をゆっくりと歩いていく。


 花を一つずつ眺めながら、少しずつ奥へ進んでいった。


 やがて、温室を出る。


 外には、まだ人がいる。


 けれど、昼間よりも少なくなっていた。


 花園区の奥へ進むほど、人の声も少なくなっていく。


 作業を終えた園芸師たちが道具を片付けている。


 荷車も、少しずつ減っていた。


「そろそろ戻りましょうか!」


 ラフィアが言う。


「はい」


 少女が頷く。


 三人は来た道を戻っていく。


 途中、少女は何度も後ろを振り返った。


 花園区の花を、最後まで目に焼き付けているようだった。


 やがて、花園区の入口近くまで戻ってくる。


「……」


 少女が足を止める。


「どうした?」


「……また、来てもいいですか?」


 少女が花園区を見る。


「もちろんですよ」


 ラフィアが笑う。


「花は逃げませんからね」


「……はい」


 少女が頷いた。


 その顔には、少しだけ名残惜しそうな表情が浮かんでいた。


 花園区を出る。


 街の中央へ戻るにつれて、人の声が大きくなっていく。


 昼間から続いていた花祭りは、まだ終わっていない。


 通りには多くの人が行き交い、店先では花祭りの料理を楽しむ人たちが談笑している。


 広場では音楽が流れ、その周囲では酒を片手に祭りを楽しんでいる人の姿も見えた。


 笑い声や話し声が重なり、街の中央は昼間とはまた違った賑わいを見せている。


「今日はもう、十分楽しみましたね!」


 ラフィアが笑う。


「そうだな」


 俺は少女を見る。


 少女は少し疲れているようだった。


 それでも、表情には満足そうなものが浮かんでいる。


「……楽しかったです」


 少女が小さく言った。


「そうか」


「はい」


 少女は頷く。


 花を見て。


 料理を食べて。


 花園区では、自分で花まで植えた。


 今日一日だけでも、少女にとっては初めてのことが多かった。


「では、今日はこの辺りで帰りましょうか!」


 ラフィアが言う。


「はい」


 少女が頷く。


 三人でしばらく歩く。


 やがて、いつも通っている道へ入った。


 花祭りの中心から離れるにつれて、人の数も少なくなっていく。


「そういえば、今夜もう一つ花園区で催しが行われるんですよ!」


「夜に?」


「ええ! 花祭りの間だけ行われる夜の催しです!」


 少女がラフィアを見る。


「どんな催しですか?」


「それは夜のお楽しみです!」


 ラフィアが笑う。


「せっかくですから、見に行ってみませんか?」


「……行きたいです」


 少女がすぐに答えた。


「そうですよね!」


 ラフィアが嬉しそうに笑う。


「では、一度それぞれ家に戻って、夜に花園区でまた集まりましょう!」


「ああ」


 ラフィアは俺たちとは違う方向へ歩いていく。


 俺たち二人も、家へ向かって歩き始めた。


 中心部から離れていく。


 それでも、食堂や酒場からは人の声が聞こえていた。


 音楽に混じって、大きな笑い声も聞こえてくる。


 俺たちはそのまま家へ戻った。


 扉を開ける。


 朝から出ていた外の喧騒が、少し遠くなった。


 静かな部屋。


 俺は収納袋から、花祭りで買ったマーガレットと瓶を取り出した。


 白い花。


 露店で少女自身が選んだものだ。


「お前、これを飾るんだろ?」


「はい」


 少女はマーガレットを受け取る。


 それから、瓶を見る。


 花祭りで飲んだ果汁飲料の瓶だ。


「ありがとうございます」


 少女は瓶を水で洗う。


 中に水を入れる。


 そして、マーガレットをそっと差し込んだ。


「……」


 少女は完成した花を見つめる。


 白い花が、小さな瓶の中で静かに揺れている。


 少女はそれを窓辺へ運んだ。


 窓から差し込む光の下に、そっと置く。


「綺麗ですね」


「そうだな」


 昼間、花園区で見た色とりどりの花とは違う。


 小さな一輪の花。


 それでも、少女が自分で選んだ花だった。


 少女はしばらく窓辺のマーガレットを眺めていた。

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