第24話 花祭り①
「今日は、花祭りですね」
「ああ」
少女は窓の外を見ている。
朝だというのに、街はいつもより賑わっている。
人の話し声。
荷車の音。
店の戸を開ける音。
普段から聞こえてくる街の音に、今日はどこか浮き足立ったような雰囲気が混じっている。
そして、いつもの街とは景色が違っていた。
向かいの家の窓辺に、花が飾られている。
隣の家の軒先にも花が吊るされている。
扉の脇には小さな花束。
その先に並ぶ家々にも、色とりどりの花が飾られていた。
店だけではない。
街にある一軒一軒の家が、それぞれ花で彩られている。
「……どの家にも、花があります」
「ああ」
「きれいですね」
「そうだな」
少女はしばらく窓の外を眺めていた。
「……今日は、街全部がお祭りなんですね」
「ああ」
俺は窓の外へ視線を向ける。
花祭り。
フローレでは、花祭りの日になると街中が花で彩られる。
店だけではない。
普段は花を飾らないような家にも、この日だけは花が並ぶ。
昔、一度だけ見たことがある。
もう、ずいぶん昔の話だ。
「楽しみです」
少女が小さく笑った。
そのときだった。
コンコン。
扉が叩かれる。
「おはようございます!」
聞き慣れた声。
ラフィアだ。
俺が扉を開ける。
「おはようございます、ラフィアさん」
少女は頭を下げる。
「今日は勉強はお休みですからね。準備はできていますか?」
「あ!」
少女が何かを思い出したように声を上げる。
そのまま自分の収納棚へ向かった。
棚の中から、一枚の手ぬぐいを取り出す。
外へ出るときに使うため、最近は持ち歩くようにしているものだ。
少女は手ぬぐいを軽く畳み直すと、服のポケットへ入れた。
「……これで大丈夫です」
少女が振り返る。
以前なら、外へ出るときに何を持っていけばいいのかさえ、自分では分からなかった。
今は、自分で必要なものを考えて準備している。
「そうか」
「はい」
少女は小さく笑った。
「では、行きましょうか!」
三人で家を出る。
外へ出た瞬間、街の賑わいが一気に近くなった。
家々の軒先。
窓辺。
扉の脇。
通りに面した場所には、どこを見ても花がある。
赤。
黄色。
白。
青。
色とりどりの花が、街を彩っている。
「わあ……」
少女が足を止める。
「すごいでしょう?」
ラフィアが笑う。
「はい」
少女は何度も周囲を見回している。
通りを歩く人の数も、普段よりずっと多い。
露店も並んでいる。
花そのものを売る店。
花を使った菓子を並べている店。
花から作った染料を扱う店。
薬や香りの品を売る店。
花を使った様々な商品が、通りのあちこちに並んでいた。
「……お花が、いっぱい使われています」
「そうですよ」
ラフィアが頷く。
「花は見るだけのものではありませんから」
少女の視線が、一つの露店で止まった。
小さな瓶が、いくつも並んでいる。
中には赤や黄色、紫など、様々な色が入っていた。
「これは?」
「染料です」
「染料……」
「花から作ったものもあるんですよ」
少女は瓶を覗き込む。
「お花から、こんな色ができるんですか?」
「ええ。花の種類によって、取れる色も違います」
「……」
少女は瓶の中の色をじっと見つめる。
以前、服を買いに行ったときに見た色鮮やかな布を思い出しているのかもしれない。
「じゃあ、あのとき見た服も……」
「全部が花から作られているわけではありませんが、花を使った染料で染めたものもありますよ」
「そうなんですね」
少女は小さく頷いた。
以前見たものと、今日初めて知ったこと。
それが、少しずつ繋がっていく。
その隣には、小さな焼き菓子が並んでいた。
丸い形をした菓子。
表面には、細かな花びらが散らされている。
赤や黄色、紫。
小さな花びらが焼き菓子の上にあり、いつもの菓子とは少し違った見た目になっていた。
「これは?」
少女が尋ねる。
「花を使ったクッキーですね」
ラフィアが答える。
「食べられる花を混ぜたり、表面に飾ったりしているんですよ」
「お花を……お菓子に?」
「ええ」
少女はクッキーをじっと見つめる。
「花って、こんなふうにも使えるんですね」
「そうですよ」
ラフィアが笑う。
「以前お話した通りです」
「……すごいです」
少女は感心したように頷いた。
だが、クッキーに手を伸ばすことはなかった。
まだ他にも見たいものがあるのだろう。
「行きましょうか」
「はい」
三人で再び歩き出す。
しばらく歩いたところで、少女がふと口を開いた。
「……そういえば」
「どうした?」
「私たちの家には、花がありませんね」
「ああ」
「花祭りの日なのに、飾らなくていいんですか?」
ラフィアが横から口を挟む。
「飾らなくても、別に問題はありませんよ」
「そうなのですか?」
「ええ。決まりではありませんから」
「そうか」
俺は花祭りにそこまで興味がない。
昔、一度見たことがある程度だ。
だから、祭りの日だからといって、わざわざ家に花を飾る必要もないと思っていた。
「でも……」
少女が家々を見る。
「みんな、飾っています」
「そうですね」
ラフィアも周囲を見る。
「せっかくですし、飾ってみてもいいんじゃないですか?」
「……そうだな。買っておくか」
「はい」
「どんな花にします?」
ラフィアが少女を見る。
「好きな花を選んでみたらどうですか?」
「……好きな花」
少女が近くにある花の露店を見る。
「はい。今日はそういう日でしょう?」
少女は少し考え、店の前へと向かう。
俺たちもその露店の前まで歩いていく。
店先には、様々な花が並んでいた。
束になった花。
一輪ずつ売られている花。
小さな鉢に植えられた花。
少女は、それらを一つずつ眺めていく。
しばらくして、その視線が一つの花で止まった。
「……これがいいです」
少女が指差した。
そこにあったのは、マーガレットだった。
「マーガレットですね」
ラフィアが言う。
「マーガレット……」
少女は、その名前を小さく繰り返す。
「これが好きなのか?」
「……はい」
「理由は?」
少女は少し考えた。
「……分かりません」
そして、マーガレットを見つめる。
「でも、好きです」
ラフィアが優しく笑った。
「それでいいと思いますよ」
「ああ」
俺も頷く。
「じゃあ、これにするか」
「はい」
俺は店主に声をかける。
「これを一束」
「ありがとうございます」
店主がマーガレットを何本か束ね、紙で包んでくれる。
代金を支払い、少女へ渡す。
少女は両手で大切そうに抱えた。
白い花が、紙の間から顔を覗かせている。
「帰ったら、どこに飾りましょうか?」
「好きなところでいい」
「……じゃあ、窓のところがいいです」
「ああ」
少女は嬉しそうに花を見つめる。
そのとき、ラフィアが少し考えるように首を傾げた。
「ふと思いましたが……」
「何だ?」
「お家に、花を飾れるものってあるのですか?」
「……ないな」
花瓶もない。
花を植えるような鉢もなかったはずだ。
「ですよね」
ラフィアが頷く。
「それなら、何か代わりになるものを使えばいいんじゃないでしょうか」
「代わり?」
「ええ」
ラフィアが少女の抱えているマーガレットを見る。
「例えば、瓶とか」
少女の視線が、近くの露店へ向いた。
そこには、色のついた飲み物が入った瓶が並んでいる。
「……あれですか?」
「そうです」
ラフィアが笑う。
「飲み終わった瓶なら、花瓶代わりにできますよ」
「……花瓶に」
少女は瓶を見つめる。
「捨てずに取っておけばいいんですね」
「ああ」
俺も頷く。
「飲み終わったら、洗って使えばいい」
「はい」
少女はマーガレットを見下ろす。
窓辺に飾られた白い花を想像しているのか、少し嬉しそうな顔をしている。
「じゃあ、瓶も取っておきます」
「そうしましょう」
ラフィアが満足そうに頷いた。
「花瓶を買う必要もありませんしね!」
「……お前、そういうところだけ妙に現実的だな」
「生活を教えるのも、家庭教師の仕事ですから!」
ラフィアが胸を張る。
「そこは威張るところなのか?」
「もちろんです!」
ラフィアは楽しそうに笑った。
そのまま三人で、果汁飲料の露店へ向かう。
「二つ」
「はい。銅貨二枚です」
代金を払い、瓶を二つ受け取る。
「持っておけ」
「はい」
少女が二つの瓶を受け取る。
その横から、ラフィアが覗き込んだ。
「私の分は?」
「自分で買え」
「ええ?」
「自分の金があるだろ」
「一本くらいいいじゃないですか」
「駄目だ」
「……ケチですね」
「お前、ふてぶてしくなったな」
「親しくなったんですよ!」
「自分で言うな」
ラフィアは楽しそうに笑いながら、店主のところへ向かった。
「では、私も一つください!」
三人はそれぞれ飲み物を手に、再び祭りの通りを歩き始めた。
少女はマーガレットを片手に抱え、もう片方の手には果汁飲料の瓶を持っている。
瓶の中で、淡い色の果汁が揺れている。
「俺の分くれるか?」
少女は一つの瓶を渡す。
「飲んでいいぞ」
「はい」
少女が瓶を口元へ運ぶ。
小さく傾けると、こくりと喉を鳴らした。
「……おいしいです」
「そうか」
「甘いですね」
「果汁だからな」
少女はもう一口飲む。
その隣では、ラフィアも自分で買った瓶を開けていた。
「やっぱり、こういう日は飲み物が欲しくなりますね」
「そうか?」
「そうですよ!」
ラフィアが笑う。
「今日は歩きますからね」
俺は返事をせず、瓶を開け、一口飲む。
前を見ると、通りには相変わらず人が多い。
家族連れ。
友人同士。
恋人らしき男女。
それぞれが花を眺めたり、露店を覗いたりしながら歩いている。
その中には、人間ではない姿も混じっていた。
長い耳を持つ者。
獣の耳や尻尾を持つ者。
人間よりも身体の大きな者。
頭に角を持つ者。
様々な種族が、同じ通りを歩いている。
その中で、俺の目が一人の女性に留まった。
長い耳。
エルフだ。
一瞬だけ、その姿を見る。
そして、視線を戻した。
「……」
少女の足が止まった。
目を大きくして、周囲を見回している。
「どうしました?」
ラフィアが少女の視線を追う。
「あの人……」
少女が指差す。
そこには、長い耳を持った女性が歩いていた。
「エルフですね」
「……エルフ」
少女は、その言葉を繰り返す。
今度は別の方向を見る。
獣の耳を持つ子供。
その後ろには、尻尾を揺らす大人の姿もある。
「あの人は……?」
「獣人ですよ」
「獣人……」
さらに視線を動かす。
小柄だが、がっしりとした身体つきの男。
「ドワーフです」
「あの人は?」
今度は頭に角を持った女性。
「竜人族ですね」
「……」
少女は、しばらく何も言わなかった。
ただ、目の前を通り過ぎていく人々を見つめている。
「……本当に、いるんですね」
「ええ」
ラフィアが笑う。
「以前お話ししましたよね。この世界には、人間以外にも様々な種族がいるって」
「はい……」
少女は頷く。
「でも、見たことがありませんでした」
「そうでしょうね」
少女はもう一度、エルフの女性を見る。
長い耳。
人間とは違う姿。
けれど、歩き方も、表情も、特別変わったものには見えない。
ただ、そこに人として歩いている。
「……いろんな人がいるんですね」
「そうですよ」
ラフィアが答える。
「人間にも色々な人がいるように、他の種族にも色々な人がいます」
「……はい」
少女は小さく頷いた。
そして、少しだけ笑う。
「なんだか、不思議です」
「何がだ?」
俺が尋ねる。
「今まで、知らなかったものが……こんなにたくさんあるんだなって」
俺は少女を見る。
その目には、恐怖よりも好奇心があった。
「そうだな」
それだけ答える。
少女はまた、通りへ視線を戻した。
気がつくと、少女の手にある瓶が空になっていた。
「飲み終わったか」
「はい」
少女が瓶を見下ろす。
「じゃあ、それを使うか」
「分かりました」
少女は空になった瓶を花と一緒に大切そうに抱え直した。
花を飾るための、最初の花瓶になる。
そのときだった。
風に乗って、香ばしい匂いが漂ってきた。
肉を焼く匂い。
野菜を焼く匂い。
それに混じって、どこか甘い香りもする。
俺は匂いのする方へ視線を向ける。
少し先に、鉄板を使った露店があった。
鉄板の上で肉や野菜が焼かれている。
店主が木べらで具材を返すたび、じゅう、と音が鳴った。
時計があるわけではない。
だが、朝から歩き続けている。
まだ昼には少し早いが、そろそろ昼飯にしてもいい頃だ。
「……昼飯にするか」
「もうですか?」
少女が俺を見る。
「まだ少し早いがな」
「はい」
少女は素直に頷いた。
ラフィアも鉄板の上を覗き込む。
「いい匂いですね!」
「ああ」
三人で露店の前まで歩いていく。
店先には、いくつかの料理が並んでいた。
花を練り込んだ生地を焼いた、平たいパン。
香草を混ぜた挽き肉を焼き、花びらを散らした肉料理。
野菜を盛り合わせ、その上に食べられる花を飾った料理。
花を使って燻した肉。
どれも花祭りに合わせた料理だった。
「……いろいろありますね」
少女が料理を眺める。
「ああ」
俺も並んだ料理を見る。
その中には、食事とは別に小さな菓子も並んでいた。
花びらを何枚か重ね、煮詰めた蜂蜜を絡めて固めたもの。
光を受けて、表面が薄く輝いている。
「……きれい」
少女が目を留める。
「花飴ですね」
ラフィアが教える。
「蜂蜜を煮詰めた蜜で、花びらを固めているんですよ」
「花を……飴にするんですか?」
「ええ。花祭りではよく売られています」
少女はしばらく花飴を見つめていた。
だが、俺は少女に声をかける。
「甘いものばかり食べるなよ」
「……はい」
「まず昼飯だ」
少女は少し名残惜しそうに花飴から視線を離した。
そして、並んだ料理を一つずつ見ていく。
「どれにする?」
俺が尋ねる。
「……」
少女はしばらく考えていた。
そのとき、少し離れた場所から甘い匂いが漂ってきた。
少女の視線が、そちらへ向く。
そこにあったのは――
「……あ」
少女が小さく声を漏らした。
薄く焼かれた生地。
その上には果物が並べられ、白いクリームが添えられている。
さらに、その上には赤みを帯びた花びらの混じったジャムがかかっていた。
「クレープですね」
ラフィアが少女の視線に気づく。
「……はい」
少女はクレープをじっと見つめている。
以前、食べたことがある。
あのときは、蜂蜜とジャムだけだった。
けれど、今目の前にあるものには、白いクリームまで乗っている。
そして、花の蜜と花びらを使ったジャム。
「今日は、少し豪華ですね」
少女が言う。
「花祭りですからね。今日は特別なんでしょう」
ラフィアがクレープを覗き込む。
「花の蜜と花びらを使ったジャムも使っているみたいですよ」
「花の……ジャム?」
「ええ。花から採った蜜に、花びらを煮込んだものです」
少女はクレープを見つめたまま、少しだけ目を輝かせた。
「……食べたいです」
「そうか」
俺は少女を見る。
少女はまだクレープから目を離さない。
「もしかして、クレープが好きなんですか?」
ラフィアが尋ねた。
「……好き?」
少女が振り返る。
「はい」
ラフィアが優しく笑う。
「……」
少女はもう一度、クレープを見る。
食べたい。
見ているだけでも、少し嬉しい。
前に食べたときのことを思い出す。
あのときも、おいしかった。
「……そうかもしれません」
「では、好きなんですね」
「……」
少女は少しだけ考えた。
それから、小さく頷く。
「はい」
今度は、迷わなかった。
「私、クレープが好きです」
ラフィアが嬉しそうに笑う。
「見つかりましたね!」
「……はい」
少女も小さく笑った。
俺はその様子を見ながら、クレープの露店へ視線を向ける。
「昼飯を食べたら、買ってやる」
「……本当ですか?」
「ああ」
少女の顔が、ぱっと明るくなる。
「はい!」
ラフィアが楽しそうに笑った。
「よかったですね!」
「はい」
少女は嬉しそうに頷く。
そしてもう一度、クレープを見た。
今度はただ眺めているだけではない。
自分が好きだと思えるものを、見つけた目だった。
俺たちはまず、昼食を選ぶことにした。
花祭りは、まだ始まったばかりだ。
急ぐ必要もない。
今日は依頼でも、勉強でもない。
ただ、この街で一日を過ごす。
それだけの日だ。




