第23話 好きなものを考える
あれから、数日が経った。
昼過ぎ。
物置の隅には、魔物から解体した肉を入れた木箱が置いてある。
依頼から戻ったあと、収納袋から取り出して移しておいたものだ。
量が多いため、少しずつ焼いて消費している。
俺は竈の前にいた。
鍋もフライパンもない。
串に刺した肉を、竈の火にかざす。
肉を焼くくらいなら、これで十分だ。
火が肉を炙り、表面から脂がじわりと滲み出てくる。
香ばしい匂いが、部屋の中へ広がっていく。
焼けた肉を木皿へ移す。
物置の木箱から新しい肉を取り出し、串に刺す。
再び竈の火にかざす。
以前より、食器も少し増えた。
木皿や木椀、木製のコップがいくつか並んでいる。
その間、少女とラフィアは机に向かっていた。
机の上には紙と本。
少女は紙に向かって、何かを書いている。
「では、次はこれを計算してみましょうか」
「はい」
少女は数字を見つめる。
少し考えてから、紙へ答えを書いた。
「……できました」
ラフィアが紙を覗き込む。
そして、ぱっと顔を明るくした。
「正解です!」
「……本当ですか?」
「はい! ちゃんと合っていますよ!」
ラフィアが嬉しそうに笑う。
「最近、本当に覚えるのが早くなりましたね」
「……」
少女は少しだけ嬉しそうにする。
「文字も、前よりずっと綺麗に書けるようになっていますよ」
「ありがとうございます」
「計算もそうです。最初の頃とは比べものになりません!」
ラフィアが紙を指差す。
「ほら、ここなんて、最初は少し迷っていたでしょう?」
「……はい」
「それが今では、こんなに早く解けるようになりました」
少女は紙を見る。
「……ありがとうございます」
「いえいえ。頑張ったのはあなたですから!」
ラフィアは楽しそうに笑った。
俺は肉を焼きながら、その様子を見ていた。
覚えが早い。
それは確かにそうなのだろう。
だが――。
怒られないために覚える。
間違えないために覚える。
そういうことを、あの環境では嫌というほど叩き込まれていたのかもしれない。
教えられたことを覚えなければ、怒られる。
言われたことを間違えれば、痛い目を見る。
だから、覚えることだけは早かった。
そんなところだろう。
今は、怒られることもない。
それでも少女は、一つひとつを真剣に覚えている。
「よく頑張りましたね」
「……はい」
ラフィアが少女の頭を軽く撫でる。
少女は少しだけ目を細めた。
「では、今日は勉強をここまでにして――」
ラフィアが紙を片付ける。
すると、少し楽しそうに少女を見る。
「今日は、ちょっと違うことを考えてみましょう!」
「違うこと?」
「はい!」
ラフィアが身を乗り出す。
「今日はですね――好きなものについて考えてみましょう!」
「好きな……もの?」
「そうです!」
少女は少し首を傾げる。
「好きというのは、どういう意味ですか?」
「そうですね……」
ラフィアが少し考える。
「自分が気に入っているものや、もっと見たい、もっと食べたいと思うもののことですね」
「気に入っている……」
「はい!」
ラフィアが頷く。
「たとえば、私は本を読むのが好きです」
「本……」
「はい。新しいことを知ったり、知らない話を読んだりするのが楽しいんです」
ラフィアは机の上の本を手に取る。
「この本も、面白いんですよ。昨日の夜に少し読んでいたら、続きが気になってしまって……」
そこで、ラフィアが少し恥ずかしそうに笑う。
「気づいたら遅い時間になっていました」
「それが……好き?」
「そうです!」
ラフィアが本を胸元へ抱える。
「もっと読みたい、もっと知りたいと思えるなら、それも好きってことですよ」
少女は机の上に置かれた本を見る。
「じゃあ、好きというのは……楽しいと思うことですか?」
「それも一つですね」
ラフィアが頷く。
「でも、必ずしも楽しいものだけではありません」
「……?」
「見ていると安心するもの。食べると嬉しくなるもの。大切にしたいと思うもの。そういうものも『好き』と言えます」
「……」
少女は黙って考えている。
俺は肉を焼きながら、二人の話を聞いていた。
串を少し回す。
焼け具合を確認する。
「たとえば、私は――」
ラフィアが周囲を見回す。
「あ、そうです。花も好きですよ!」
「花……」
「フローレにはたくさん咲いていますからね」
少女も窓の外へ目を向ける。
街のあちこちに咲く花。
これまで何度も見てきたものだ。
「……私も、花は嫌いではありません」
「おっ」
ラフィアが少し嬉しそうな顔をする。
「では、好きですか?」
「……分かりません」
「ああ、なるほど」
ラフィアはすぐに頷く。
「それで大丈夫ですよ。好きかどうかは、すぐに答えを出さなくてもいいんです」
少女は少し考える。
「……食べ物でも、いいんですか?」
「もちろんです!」
ラフィアが即答する。
「食べ物、大歓迎ですよ!」
「甘いものとか?」
「はい! 甘いものが好きな人もたくさんいます」
「……」
少女の視線が竈へ向いた。
俺が焼いている肉。
木皿に置かれた肉。
少女はしばらくそれを見ている。
「好きですか?」
少女が俺に尋ねる。
「……普通だ」
「普通……」
「食べる必要があるから食べているだけだ」
「そうなんですね」
少女は再び肉を見る。
俺は次の肉を焼く。
火に炙られた肉の表面が、少しずつ色を変えていく。
香ばしい匂いが、また部屋に広がった。
「……いい匂い」
少女が小さく呟く。
ラフィアが少女を見る。
「好きですか?」
「……分かりません」
「では、食べてみますか?」
「……いいんですか?」
少女が肉へ手を伸ばす。
「勝手に食うな」
「……」
少女の手が止まる。
ラフィアが俺を見る。
「私が食べてみますか、と聞いたんですから、別にいいじゃないですか!」
「お前の肉じゃないだろ」
「それはそうですけど……」
ラフィアが少しだけ頬を膨らませる。
「食べさせてあげようと思っただけじゃないですか」
「食べていい」
「……はい」
少女は少し安心したように肉を取った。
一口。
ゆっくりと噛む。
「……おいしいです」
「そうですか!」
ラフィアが嬉しそうに笑う。
「どうです? もう一口いけそうですか?」
少女は小さく頷いた。
俺は再び肉を焼く。
別に、食べさせるつもりではいた。
だが、勝手に取られるのは違う。
少女はもう一口、肉を食べる。
「どうですか?」
ラフィアが尋ねる。
「……おいしいです」
「では、好きなものの候補に入れておきましょうか!」
「……候補」
少女は小さく呟く。
そして、もう一口食べる。
「……はい」
「他にはどうでしょう?」
ラフィアが尋ねる。
「以前食べたものでもいいですよ」
少女は少し考える。
「……クレープ」
「クレープ?」
「はい」
「クレープが好きなんですか?」
「……たぶん」
「どうしてですか?」
「甘かったから……」
「なるほど!」
ラフィアが頷く。
「甘くて、おいしかったんですね」
「はい」
少女は小さく頷く。
「いちごの味もしました」
「ああ、以前食べたものですね」
「はい」
少女は少し考えてから続ける。
「甘くて……おいしかったです」
その答えには、先ほどより迷いがなかった。
「じゃあ、クレープは好きなものですね」
「……好き」
少女が小さく呟く。
その言葉を、自分で確かめるように。
「はい!」
ラフィアが嬉しそうに笑う。
「今のは、ちゃんと『好き』だと思いますよ!」
少女は少しだけ嬉しそうに頷いた。
だが、しばらくすると、また考え込む。
「……でも」
「はい?」
「嫌いなものなら、分かります」
ラフィアの表情が少しだけ変わった。
「嫌いなもの?」
「はい」
少女は自分の手を見る。
「痛いことは……嫌いです」
「……」
「怒鳴られるのも」
少女の声が少し小さくなる。
「首輪も……嫌いです」
俺は肉を焼きながら、黙って聞いていた。
それは、考えなくても分かることなのだろう。
嫌なこと。
怖いこと。
痛かったこと。
そういうものなら、少女は知っている。
「そうですか」
ラフィアは否定しなかった。
「それも大切なことですよ」
「……大切?」
「はい」
ラフィアが優しく頷く。
「自分が嫌だと思うものが分かるということは、自分の気持ちが分かるということですから」
「……自分の気持ち」
「はい!」
ラフィアが明るく頷く。
「好きなものは、これから少しずつ見つけていけばいいんです」
少女は黙って聞いている。
「食べ物でも、花でも、本でも、人でも構いません」
「人……?」
「はい」
ラフィアは笑う。
「誰かと一緒にいると安心する。話していると楽しい。そう思える人も、好きな人と言えます」
「……」
少女は少し考えるように俯いた。
「だから、これからいろいろなものを見て、いろいろなことを経験してみましょう」
「そうすれば、自分の好きなものが見つかるんですか?」
「きっと見つかりますよ!」
ラフィアが微笑む。
「急いで決めなくても大丈夫です」
少女は小さく頷いた。
「……はい」
俺は焼けた肉を木皿へ移す。
そして、また新しい肉を串に刺した。
そのとき。
「あっ」
ラフィアが何かを思い出したように声を上げた。
「そういえば、もうすぐ花祭りですよ!」
「花祭り……」
少女が顔を上げる。
「はい。以前お話ししましたよね」
「……はい」
少女は頷く。
「今年も、もうすぐですよ!」
ラフィアが嬉しそうに笑う。
「この時期は、普段よりずっとたくさんの花を見ることができるんです」
「……たくさん?」
「はい!」
ラフィアが頷く。
「普段はこの街に住んでいない人たちも、花祭りを見るために来るんですよ」
「他の街から……」
「そうです!」
「だから、いつものフローレとは少し違った雰囲気になります」
少女は窓の外を見つめている。
「……見てみたいです」
「そうですよね!」
ラフィアが嬉しそうに笑う。
「依頼主さんも、もちろん来ますよね?」
「依頼がなければな」
「もう、そういうところですよ!」
ラフィアが呆れたように笑う。
「花祭りくらい、一緒に見に行ってあげてもいいじゃないですか」
「……」
「それに」
ラフィアが少女を見る。
「この子が行きたいと言っていますよ」
「……」
俺も少女を見る。
少女は少し困ったようにこちらを見ている。
「……見てみたいです」
「……そうか」
「はい」
「……」
俺は焼けた肉を木皿へ移す。
「依頼がなければ、行く」
「本当ですか?」
「ああ」
「やった!」
ラフィアが小さく拳を握る。
「よかったですね!」
少女へ笑いかける。
少女も、小さく笑った。
俺は再び肉を串に刺す。
竈の火にかざす。
好きなもの。
少女はこれから、それを少しずつ探していくのだろう。
俺には、まだよく分からない。
だが。
今は、それでいい。
今年の花祭りは――どうやら、行くことになったらしい。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
次回はお祭りという楽しいイベントが起こりますね。
この三人にとって楽しいものになりますように(†祈祷†)
まぁ、物語の方向性は作者が決めますが.....。
期待に添えられるように、頑張ります。




