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支配の魔術師と名を持たぬ少女  作者: 雪美夜
序章 『鎖の先へ 』

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第11話 選べない答え

 あれから、何日が経ったのだろう。


 両手で数えきれないくらいの日が過ぎていた。


 毎朝、目を覚ます。


 朝になると、あの女の人が部屋へ来る。


「おはようございます」


 優しく笑って、朝ご飯へ連れて行ってくれる。


 温かいスープ。


 焼きたてのパン。


 時々、小さな果物もあった。


 毎日、お腹いっぱい食べられた。


 食べ終われば、お風呂へ案内される日もある。


 汚れた服は洗ってもらい、新しい服を渡される。


 どれも綺麗だった。


 破れていない。


 血も付いていない。


 そんな服を着るたびに、少しだけ落ち着かなかった。


 何かを命じられるわけでもない。


 怒鳴られることもない。


 だから、何をすればいいのか分からなかった。


 部屋へ戻る。


 窓から差し込む光を眺めながら、部屋の隅で膝を抱える。


 それが毎日のようになっていた。


 誰も「働け」と言わない。


 誰も「掃除しろ」と命じない。


 何もしなくていい。


 そう言われるたびに、胸の奥がざわついた。


 何もしない私は、ここにいてもいいのだろうか。


 そんなことばかり考えてしまう。


 ある日だった。


 食べ終えたお皿を見つめていると、あの女の人が声を掛けてきた。


「もしよかったら、お皿洗いをお願いしてもいいですか?」


 私は思わず顔を上げた。


「……いいんですか?」


「もちろんです。無理なら断ってくださって構いませんよ」


 断る。


 そんなことができるのだろうか。


 分からない。


 でも、できることは、それしかなかった。


「……やります」


 お皿を洗う。


 水で流し、布で拭く。


 何度もやってきた仕事だった。


「ありがとうございます」


 洗い終えると、女の人が笑った。


 ありがとう。


 その言葉を向けられたことは、一度もなかった。


 次の日は、廊下を掃く。


「お願いできますか?」


 その次の日は、洗濯物を畳む。


「手伝ってもらえると助かります」


 誰も命令しなかった。


 「やれ」ではなく、


 「お願いできますか」


 そう言われる。


 その違いが、私にはよく分からなかった。


 お願いなのに、断ってもいいと言われる。


 でも、私は断れなかった。


 断ったら、ここにいられなくなるような気がしたから……。


 ある日の昼。


 廊下を歩いていると、少し開いた扉の向こうから声が聞こえてきた。


「……引き取り手は、まだ現れませんか」


「商会からも返事はありません」


「相続人も見つからないそうです」


 少しの間が空く。


「このまま三十日が過ぎれば、国の管理になりますね」


「ええ。その可能性が高いでしょう」


 国の管理。


 その言葉の意味は分からなかった。


 でも、一つだけ分かることがある。


 私は、また誰かのものになるのかもしれない。


 胸の奥が冷たくなった。


 思わず首元へ手を当てる。


 何もない。


 もう、あの鉄の輪はない。


 それなのに。


 首には、まだ重さが残っている気がした。


(……もう、嫌)


 首輪は、もう嫌だった。


 あの冷たい鉄も。


 命令される毎日も。


 叩かれることも。


 全部、嫌だった。


 だから。


 あの人について行った方がいい。


 頭では分かっている。


 あの人は怒鳴らなかった。


 殴らなかった。


 命令もしなかった。


 食べ物をくれた。


 首輪を壊してくれた。


 そして。


『三十日後、その時、お前がまだ俺のところへ来たいと思うなら迎えに来る』


 そう言ってくれた。


 行けば、きっと。


 あの日々へ戻ることはない。


 そう思う。


 それでも。


 胸の奥で、何かが引っ掛かっていた。


 考えろ。


 あの人はそう言った。


 でも。


 私は、考え方を知らない。


 自分で選んだことなんて、一度もない。


 どうやって選べばいいのか、それすら知らない。


 何がしたいのか。


 どこへ行きたいのか。


 本当は、どうしたいのか。


 何一つ分からなかった。


 部屋へ戻る。


 いつものように隅へ座り、膝を抱える。


 三十日は、少しずつ過ぎていく。


 けれど、私の答えだけは、まだ見つからなかった。


——————————————————————————


 それからも、同じ日々が続いた。


 朝、目を覚ます。


 温かい朝ご飯を食べる。


 頼まれれば皿を洗い、廊下を掃き、洗濯物を畳む。


 終われば部屋へ戻る。


 何もしない時間が訪れる。


 その繰り返しだった。


 ある日。


 洗濯物を畳み終えると、女の人が嬉しそうに笑った。


「本当に丁寧ですね」


 私は思わず顔を上げる。


「……そう、ですか?」


「はい。とても助かっています」


 胸の奥が少しだけ温かくなる。


 けれど、その気持ちが何なのかは分からなかった。


 毎日が少しずつ変わっていく。


 でも、一つだけ変わらないことがある。


 夜になると。


 私はいつも、あの人のことを思い出していた。


 黒いローブ。


 低い声。


 無愛想な顔。


 怖い人だった。


 でも。


 優しい人だった。


『三十日考えろ』


 あの言葉だけは、毎日思い出す。


 どうすればいいのか。


 毎日、自分に問い掛ける。


 何度問い掛けても、答えは見つからない。


 それでも。


 やめることだけは、できなかった。


 あの冷たい鉄だけは、二度と付けたくない。


 誰かの命令だけで生きるのも、もう嫌だった。


 それだけは、はっきりと分かるようになっていた。


 だけど、その先が分からない。


 あの人のところへ行きたいのか。


 それとも。


 ただ首輪のない場所へいたいだけなのか。


 その違いだけは、まだ分からなかった。


 だけど、一つだけ思う。


 もし答えが見つからなかったら。


 あの人なら――選び方を教えてくれるのだろうか。


 そんなことを考えてしまう自分がいた。


 窓の外を見る。


 私の知らない平穏が、ここにはある。


 この贅沢が、これからも続けばいい。


 三十日は、今日も静かに過ぎていく。


 あの約束の日まで、あと少しだった。

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