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第89章「“東雲巳波の握手会”⑸――残り数十秒の世界で、止まらない3000人の鼓動」


列は、ついに最後の区画へ入っていた。


残りはもう、数百人ではない。


一人一人の顔が“終わりに向かう列”として認識され始める距離。


それなのに、会場の熱はまだ落ちない。


むしろ、最後だからこそ上がっていた。



「次の方、どうぞ」


スタッフの声はもう叫びではない。


静かに、確実に、終わりへ導くための音になっている。



2900人。


2950人。


数字が減るたびに、空気が少しずつ変わっていく。


「終わる」という現実が、少しずつ形を持ち始める。



巳波の手は、それでも止まらない。


握って、離して、笑って、言葉を交わす。


その動作はもう“仕事”ではなく、“呼吸”に近い。



「ありがとう」


「来てくれて嬉しいです」


その声が何千回も積み重なっているのに、まだ枯れていない。


むしろ、終わりに向けて研ぎ澄まされている。



そして――


列の外側。


琉偉が静かに立っている。


もう近づかない。


ただ、見ている。



視線が合う。


巳波が一瞬だけ微笑む。


それだけで、空気が整う。



残り100人。


残り50人。



このあたりから、会場の“音”が変わる。


拍手も歓声もない。


ただ、静かな圧が積み重なる。



誰もが理解している。


この3000人は、もう終わる。


だからこそ、最後の一秒を逃したくない。



【やばい終わる】

【ここまで来たのか】

【本当に完走するやつだ】

【空気が重すぎる】


SNSの投稿は、もはや実況ではなく“見届け”になっていた。



99人目。


98人目。


97人目。



一人減るたびに、時間が少し遅く感じる。


まるで世界が“終わりを惜しんでいる”ように。



巳波は、ふと一瞬だけ手を止めかける。


だが、すぐに動く。


止まらない。


止めない。



そして――


残り10人。



会場の空気が一段下がる。


静かすぎて、逆に怖い。



スタッフの声が少しだけ震える。


「次……お願いします」


それはもう業務ではない。


儀式に近かった。



残り5人。



ここで初めて、観客の誰かが息を呑む音が聞こえる。



4人。


3人。



巳波の手はまだ止まらない。


でも、わずかに動きが“丁寧”になっていく。


終わりに向かう動作。



2人。


最後の前。



そして――


最後の1人。



列の終点。


3000人目。



その人物が前に立つ瞬間、


会場全体がほんの一秒だけ静止した。



巳波はその人を見て、小さく笑う。


「来てくれて、ありがとう」


その言葉は、いつもの何百倍も重かった。



握手。


最後の握手。



手が離れる。


その瞬間――


空気がほどける。



「ありがとうございました!!」


スタッフの声。


拍手。


そして、ようやく戻る音。



3000人完走。



一瞬、誰も動かなかった。


理解が追いついていない。


終わったのに、終わっていないような感覚。



巳波は静かに息を吐く。


「……終わったね」



その声で、ようやく現実が戻る。



拍手が広がる。


歓声が遅れて爆発する。


SNSが同時に崩れるように動き出す。



【完走した】

【3000人やり切った】

【これは伝説確定】

【空気が異常だった】



そして、列の外。


琉偉は小さく頷く。


誰にも聞こえない声で言う。


「見届けました」



巳波はその視線に気づき、


遠くから、ただ一度だけ頷いた。



それだけで十分だった。



3000人の握手会は終わった。


だが――


この瞬間が、本当の“始まり”だった    



最後まで読んでくださり、ありがとうございます!

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