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第88章「“東雲巳波の握手会”⑷――2500人を超えた列、崩れない笑顔と限界の境界線」


列はすでに、終盤手前に差しかかっていた。


2500人。


数字だけ見れば“あと少し”だが、現場にいる全員にとっては、その「あと少し」が一番重い。


疲労は限界に近いのに、流れだけは止まらない。


むしろ、加速しているようにすら感じる。



スタッフの声はもう“機械的”だった。


「次の方、どうぞ」


その一言が、呼吸のように繰り返される。


握手して、離れて、次へ。


それだけのはずの動作が、いつの間にか異常な集中力を必要とする仕事になっていた。



巳波は、それでも笑っていた。


2500人を超えても、表情は崩れない。


ただ、笑顔の奥にほんのわずかな“呼吸の間”が混じり始めている。


それに気づけるのは、近くで見ているスタッフだけだった。



「……あと少しだね」


小さく呟いたのは、誰にも届かない独り言。


その声は、疲労ではなく“確認”だった。



そのとき。


列の外側に、少しだけ空気の違う気配が生まれる。



琉偉。


再びスタッフ導線の近くに立っていた。


関係者席ではない。


ただ、“そこにいるべき場所”に戻ってきている。



巳波が一瞬だけ視線を上げる。


目が合う。


それだけで、空気が少し整う。



琉偉は何も言わない。


ただ、静かに頷く。


巳波も頷く。


それで十分だった。



列は止まらない。


2600人。


2700人。



人の顔が“個”ではなく“流れ”に見えてくる領域に入っている。


それでも巳波は、一人一人に目を向けている。


同じ動作なのに、同じではない。



「ありがとうございます」


「来てくれてありがとう」


その言葉が、何百回も繰り返される。


それでも声は枯れない。


むしろ、リズムになっている。



その中で――


異変は小さく始まった。



握手の合間。


ほんの一瞬だけ、巳波の指先が止まる時間が増える。


ほんの一秒にも満たない遅れ。


誰も気づかないほどのズレ。


だが、現場の空気はそれを“疲労”として認識し始めていた。



スタッフが小声で交わす。


「あと400くらいか……」


「いけるか?」


「いける。もう流れできてる」


その会話に、緊張と安堵が混じる。



列の中では、すでに“異常な熱”が生まれていた。


SNSのリアルタイム投稿。


切り抜きの即時拡散。


海外ファンの翻訳コメント。


すべてが同時進行で膨れ上がっている。



【まだ続いてるのやばい】

【2500超えても崩れないの何】

【この人ずっと笑ってるの怖いレベルで凄い】

【現場の空気がもうイベント超えてる】



その一方で――


琉偉は列の外で、静かに見ていた。


ただの観客ではない。


ただの関係者でもない。


“流れの外にいる唯一の固定点”のように。



巳波が一瞬だけ視線を送る。


琉偉は頷く。


それだけで、呼吸が整う。



そして――


2800人を超えたあたりで、空気は一段階変わる。



静かになる。



いや、正確には“音が減る”。


スタッフの声、足音、会話。


すべてが必要最低限に削られていく。


残るのは、握手の音と呼吸だけ。



巳波はその中で、小さく息を吐く。


「あと少し……」


その声は、もはや確認でも宣言でもない。


ただの“現在地”だった。



そして列は、いよいよ最終ブロックへ入る。


残り数百人。


終わりが“数字として見える”領域。



それでも――


誰もまだ終わりを信じきれていない。


なぜなら、この握手会は最初からずっと、


「限界の一歩手前」を維持したまま進んできたからだ。



琉偉は小さく呟く。


「……ここからですね」


誰に向けた言葉でもない。


ただの確認。



巳波はその声を遠くで受け取りながら、次の人へ手を伸ばす。


笑顔は崩れない。


しかし、その奥で確実に“何かが終わりに向かっている感覚”だけが濃くなっていく。



2500人を超えた列は、まだ止まらない。


だが――


終わりの気配だけは、確実に近づいていた。   



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