第8章「追跡者と秘密の影」
水曜日、朝。
教室の空気は、いつも通り――のはずだった。
だが。
(……違う)
廣瀬琉偉は、席に座った瞬間に感じていた。
視線。
明らかに一人分、多い。
「……おはよ」
横から声。
九条蒼。
「……おはよ」
返す。
だが、蒼はすぐには離れない。
机に軽く寄りかかる。
「今日さ」
「……なんだよ」
「放課後、予定ある?」
(来たな)
直感だった。
「……ある」
「ふーん」
視線が外れない。
「じゃあさ」
少しだけ、声を落とす。
「その“用事”見せてよ」
「……は?」
意味が分からない。
いや、分かりたくない。
「何言ってんだよ」
「気になるだけ」
淡々としている。
だが、その奥にあるのは“確信に近い疑い”。
「……無理」
即答。
「なんで?」
「……プライベートだろ」
「へぇ」
蒼は小さく笑う。
「“プライベート”って言い方するんだ」
(やばい)
言葉選び、ミスった。
「……別に普通だろ」
「普通の高校生はあんまり使わないけどな」
追い詰めてくる。
確実に、距離を詰めている。
「……放課後な」
最後に一言だけ残して、蒼は離れた。
「逃げるなよ」
(……詰んだかもしれない)
⸻
昼休み。
「なぁ琉偉」
黒川蓮司が声をかけてくる。
「……なんだよ」
「最近、蒼と何かあったか?」
「……別に」
「さっきの、ちょっと変だったぞ」
やっぱり見られていた。
「……気にすんな」
「気にするだろ」
短く返される。
その隣で、白石彩音が静かに言う。
「……蒼、ああいう時は確信ある時だよ」
「……え」
心臓が跳ねる。
「中途半端に疑うタイプじゃないから」
「……」
「気をつけた方がいい」
その言葉は、警告だった。
幼馴染としての。
(……もう遅い気もするけどな)
⸻
放課後。
教室を出る。
(……来る)
背後の気配。
振り返らない。
校門を出る。
歩く速度を上げる。
だが。
「待てって」
声。
すぐ後ろ。
「……何」
振り返る。
九条蒼。
一人。
「逃げんなよ」
「逃げてねえよ」
「じゃあ見せろよ」
「……何を」
「“用事”」
真正面から来る。
逃げ道はない。
「……無理だって言ってるだろ」
「なんで?」
「……関係ないだろ」
「ある」
即答。
「お前、何か隠してる」
「……」
「しかも“普通じゃない何か”」
核心に近い。
(やばい)
「……違うって」
「じゃあ証明して」
「……」
無理だ。
証明できるわけがない。
「……じゃあ」
蒼は一歩近づく。
「俺が確認する」
「……は?」
「今日、お前の後つける」
(最悪だ)
一気に血の気が引く。
「やめろよ」
「嫌なら見せろ」
完全に詰みの構図。
「……」
言葉が出ない。
その沈黙が、答えになる。
「やっぱりな」
小さく呟く。
「何かある」
⸻
帰り道。
(どうする……)
頭の中が回る。
尾行される。
確定している。
(家に行ったら終わりだ)
東雲巳波。
その存在が露出する。
=終わり。
スマホを取り出す。
【M】
『やばいです』
すぐに返信。
『どうしたの』
『尾行されてます』
数秒。
『誰に』
『クラスメイト』
既読。
そして。
『家、来ないで』
(……え)
一瞬、思考が止まる。
『今日は別行動』
『適当に時間潰して』
合理的。
完璧な判断。
でも。
(……帰る場所がない)
一瞬だけ、感情が揺れる。
だが。
『分かりました』
それしか返せない。
⸻
夕方。
公園のベンチ。
時間を潰す。
何もせず。
ただ、座る。
少し離れた場所。
(……いるな)
九条蒼。
距離を保っているが、確実に視界にいる。
(マジでやってるよ)
笑えない。
(どうすればいい)
動けば追われる。
止まれば見られる。
完全に詰んでいる。
その時。
スマホが震える。
【M】
『今どこ』
『公園です』
『動かないで』
(……え)
数分後。
一台の車が、ゆっくりと近づいてくる。
見覚えのある車。
ドアが開く。
中から、帽子とマスク姿の女性。
「乗って」
小さな声。
東雲巳波。
「……っ」
一瞬で理解する。
これが、唯一の突破口。
(でも)
後ろを見る。
蒼。
距離はある。
だが。
見ている。
(……賭けるしかない)
一気に走る。
車へ。
ドアを開ける。
乗り込む。
その瞬間。
「――今の」
後ろから声。
振り返る暇はない。
ドアが閉まる。
車が発進する。
⸻
車内。
「……はぁ……」
息が荒い。
「ギリギリだったね」
巳波の声。
落ち着いている。
「……見られました」
「どのくらい?」
「乗るところ」
「……最悪一歩手前」
冷静な判断。
運転席には、筒香雷斗。
「……本当にやりますね」
呆れた声。
「緊急事態だから」
巳波は即答。
「でも、これで“車”はバレた可能性ありますよ」
「……ナンバーは?」
「多分見られてない」
「祈るしかないですね」
現実的な会話。
完全に“戦略”の領域。
琉偉は、その中でただ息を整える。
(……やばい)
完全に。
一線を越えた。
⸻
「……ね」
巳波が横から言う。
「怖い?」
「……はい」
正直に答える。
「でも」
視線を上げる。
「……やめたいとは思ってないです」
沈黙。
数秒。
「……ほんと、厄介だね」
小さく笑う。
でも。
その目は、少しだけ優しかった。
⸻
疑念は、確信へと近づいた。
そして。
“秘密”は、初めて外の世界と衝突した。
次に崩れるのは――時間の問題。
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