第79章「握手会応募――“2万人の中の一行”」
車は静かに都心の道路を走っていた。
後部座席には巳波とマネージャーの筒香雷斗。
運転手は別におり、車内は仕事の空気だけが淡く流れている。
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巳波のスマホには、握手会応募フォームの集計画面が開かれていた。
リアルタイムで更新される数字。
応募者数。
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「……2万人か」
雷斗が低く呟く。
まだ受付開始からそれほど時間は経っていない。
それでも、数字はすでに想定を超えていた。
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・応募者数:20,000人
・当選枠:3,000人
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完全な倍率。
そしてその中身は、ただの数字ではなかった。
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年齢層はバラバラ。
10代から50代まで。
職業も趣味も国籍も違う。
コメント欄には、短い一言から長文まで混ざっている。
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【いつも元気をもらっています】
【ラーメン配信は一生忘れません】
【家族で見ました】
【初めて推しという存在ができました】
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そして――その中に一つだけ、明らかに“異質”なものがあった。
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雷斗が画面をスクロールする指を止める。
「これ……」
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そこにあったのは、異様な長文だった。
感想でもあり、分析でもあり、距離の近い視点。
そして何より、内容が“内部を知っているかのように具体的”だった。
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巳波もそれを見て、少しだけ目を細める。
「琉偉だね」
即答だった。
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雷斗は苦笑する。
「やっぱり分かりますか」
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巳波はスマホを閉じる。
「コメントの書き方が違う」
「見てる距離が近すぎる」
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雷斗は少しだけ頷く。
「しかも、4枚分応募してますね」
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画面にはしっかりと記録されている。
16桁の引換券を複数使用。
そしてコメントの質。
完全に“個人識別可能レベル”。
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雷斗は少し真面目な声になる。
「この人、2日間で4回当選枠に入れますか?」
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巳波は窓の外を見る。
少しだけ沈黙。
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「……どう思う?」
逆に返した。
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雷斗は腕を組む。
「運営としては公平性を保つなら1回」
「でもこのケースは、単純なファンというより“関係者に近い距離”ですよね」
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巳波は小さく笑う。
「関係者ではないよ」
「でも一番近い人」
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車の中が少しだけ静かになる。
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雷斗は再び画面を見る。
倍率。
応募者数。
そして一つの特別な存在。
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「……2日間で4回」
「やるなら、理由が必要ですね」
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巳波は少しだけ考える。
そして、静かに言う。
「理由なんていらないと思うけど」
「でも、他の人から見たら特別扱いになる」
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雷斗は頷く。
「炎上リスクはあります」
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巳波は少しだけ微笑む。
「でもね」
「その人は“そういう枠”じゃない気がする」
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雷斗はその言葉に一瞬だけ黙る。
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そして現実的な判断に戻る。
「では案としては2つです」
「①通常通り1回当選扱い」
「②特例枠として2日間4回参加」
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巳波は即答しない。
少し間を置く。
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「……②にするなら」
「“理由が伝わらない形”にして」
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雷斗は眉を少し動かす。
「つまり?」
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巳波は静かに言う。
「特別扱いに見せない特別」
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雷斗は小さく息を吐く。
「難しいですね、それ」
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でもすぐに頷く。
「分かりました。調整します」
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車はそのまま進む。
外の景色は変わっていくのに、
車内の空気だけは少しだけ“決定”に近づいていた。
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巳波はスマホをもう一度開く。
琉偉のコメント。
長い一文。
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それを見て、静かに呟く。
「……ちゃんと見てるんだよね」
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誰に向けた言葉でもない。
でも確かに、そこには“選ばれてしまった一人”の存在があった。
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車はそのまま次の現場へ向かう。
握手会という名の、
まだ形になりきっていない“出来事”へと近づいていく。
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