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第75章「選択と日常――“断る朝と、変わらない行ってきます”」


日曜の朝は、金曜や土曜とは違う静けさを持っていた。


外の街はゆっくりと動き始めているのに、この家の中だけは時間が少し遅れているようだった。



リビングのテーブルには、昨日届いた配信関連の案内資料が置かれている。


軽い企画説明。

追加コラボの提案。

スケジュール調整の候補。



その横で、スマホが震えた。


巳波は一度だけ画面を見る。


そして、迷わず言う。


「これは、今回はやめておくって伝えてください」



電話の相手はマネージャーの雷斗だった。


「分かりました。理由は?」


少しだけ間が空く。


巳波はコーヒーを一口飲んでから答える。


「今は、そっちじゃない気がするから」


それだけだった。



雷斗は小さく息を吐く。


「了解です。調整しておきます」



通話が切れる。


部屋にまた静けさが戻る。



琉偉がその様子を見ている。


「断ったんですね」



巳波は軽く頷く。


「うん。今は撮影の方に集中したいかなって」


その声は迷いがない。




この日、蒼と彩音はすでに帰宅していた。


昨日までの数日間の“非日常の滞在”は終わり、


今はそれぞれの生活に戻っている。



家の中は、完全にいつもの二人の空気になっていた。


静かで、落ち着いていて、少しだけ広く感じる空間。



琉偉が洗い物をしていると、巳波が玄関の方へ向かう。


今日はグラビア誌の表紙撮影。


昨日とは違うスタジオ。


また別の“仕事の顔”になる日だった。



鏡の前で軽く髪を整える。


バッグを持つ。


そして一度だけ振り返る。



「行ってきます」



その声は、いつも通りのはずなのに、


どこか少しだけ柔らかかった。



琉偉は手を止める。


「気をつけてください」



その言葉に、巳波は小さく笑う。


そして――


一歩近づく。



唇が重なる。



“濃厚なキス”


長くはない。


けれど、呼吸が少しだけ重なる距離。



琉偉の手が自然に背中に触れる。


引き止めるわけでもなく、ただそこにあるだけの温度。



巳波は小さく息を漏らす。


「……ん」


そして離れると、少しだけ笑う。



「行ってきます」


今度ははっきりと。




ドアが閉まる。


静寂。



残された琉偉は、そのまま数秒だけ動かない。


そして小さく呟く。


「今日も、変わらないですね」


それは安心にも、現実にも聞こえる言葉だった。




外に出ると、巳波は朝の光の中に立つ。


仕事用の空気に切り替わる前の、一瞬だけの素の時間。



スマホにはマネージャー雷斗からの返信。


「了解しました。スケジュール調整済みです」



巳波はそれを見て、小さく息を吐く。


そして歩き出す。



撮影現場へ向かう道。


昨日の配信とは違う、静かな日常の延長線。



けれどそのどちらも、


もう同じひとりの人生の中に存在していた。



そしてその中心には、


いつも変わらない“行ってきますのキス”があった。   



最後まで読んでくださり、ありがとうございます!

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