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第71章「日常回帰――“静けさの中の現実”」


あの電話の翌日。


部屋の空気は、少しだけ“普通”に戻っていた。


少なくとも見た目だけは。



リビングには昨日までの緊張感はない。


ラーメンの器も、配信機材の箱も、きれいに片付けられている。


ただ、完全に消えたわけではなく――“隅に追いやられている”という表現が正しかった。



巳波はキッチンで朝食を作っていた。


焼いたパンの匂いが、やけに安心する。


「……こういうの久しぶりな気がする」


小さく笑う。



琉偉はテーブルで牛乳を注いでいる。


「普通の朝、ですね」


その言葉に巳波が頷く。


「普通って、ちょっと怖いね」



蒼(AQUOS)はソファでスマホを見ている。


「昨日までの騒ぎ、まだトレンド残ってるんだけど」


彩音あやねんはそれを覗き込む。


「ほんとだ……“ラーメン12杯配信”まだ出てる」



画面には、切り抜き動画が並んでいた。


・伝説の大食い配信まとめ

・声だけ3人の正体考察

・海外リアクション集


再生数は、昨日よりさらに伸びている。



蒼がぽつりと呟く。


「これ、終わってないやつじゃん」


彩音も苦笑する。


「むしろ始まってるやつだよね」



巳波はトーストを皿に置く。


「でも今日は配信しないよ」


その一言に、少しだけ空気が軽くなる。



琉偉が頷く。


「休むのも大事です」



蒼が安心したように背もたれに寄りかかる。


「正直ちょっと助かる」


彩音も笑う。


「胃じゃなくて心が疲れてる」




午前中。


部屋は完全に“日常の空気”に戻っていた。


洗濯機の音。


テレビのニュース。


コーヒーの香り。


昨日のような熱狂はどこにもない。



だが――スマホだけは静かではなかった。


通知はまだ止まらない。


・フォロワー増加

・切り抜き再生継続

・海外コメント増加



蒼がスマホを伏せる。


「見ない方がいいやつだこれ」


彩音が笑う。


「でも気になるんだよね」



巳波はその様子を見ながら、少しだけ考える。


「……普通の生活、できるのかな」



琉偉は静かに答える。


「できます。ただ、少し形は変わるかもしれません」



その言葉は現実的で、否定でも肯定でもなかった。




昼前。


買い物に行くことになる。


スーパーまでの短い距離。


それだけなのに、少しだけ“外の世界”が遠く感じる。



蒼が玄関で靴を履きながら言う。


「なんかさ、普通の買い物なのに緊張するんだけど」


彩音も頷く。


「昨日のせいで感覚おかしい」



巳波は笑う。


「ただのスーパーだよ」



琉偉も淡々と言う。


「ただのスーパーです」



その言葉で少しだけ安心する。




外に出ると、普通の街だった。


誰も昨日の配信のことを知らない顔で歩いている。


コンビニの看板。


自転車の音。


日常の流れ。



蒼が小さく言う。


「……戻ってきた感じするな」


彩音も頷く。


「うん。こっちはこっちで現実だね」



巳波は空を見上げる。


「どっちも現実なんだろうね」



琉偉は少しだけ前を見て言う。


「切り替えが必要なだけです」



その言葉で、全員が歩き出す。




スーパーの中は、いつも通りだった。


野菜売り場。


惣菜コーナー。


日常の匂い。



蒼がカートを押しながら言う。


「昨日ラーメン12杯食ってたのに、今日キャベツ選んでるの意味わからん」


彩音が笑う。


「落差がひどい」



巳波はトマトを手に取る。


「こういうの大事なんだよ、たぶん」



琉偉が頷く。


「バランスですね」



そのやりとりは、昨日と同じ人物たちとは思えないほど普通だった。



だが――


完全に戻ったわけではない。


ただ“戻ろうとしている途中”だった。



そして誰もが薄く感じている。


この静けさは、永遠ではないということを。



それでも今だけは――


確かに日常だった。



最後まで読んでくださり、ありがとうございます!

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