第62章「ラーメン大食い生配信⑵ 沈黙の数分と、増え続ける視聴者」
ラーメンの器がすでに数個空き始めた頃。
巳波は、少しだけ箸を置く。
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一瞬、配信のテンポがゆるむ。
湯気だけが画面の中でゆらゆらと揺れていた。
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「ちょっとトイレ行ってきます」
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軽い一言。
まるで何も特別なことはないように。
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配信画面には「休憩中」の空気が流れる。
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コメント欄も一瞬だけ緩む。
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【休憩かー】
【まだ半分くらい?】
【大食いって地味に体力使うよな】
【ラーメン見てるだけで腹減る】
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だが、その直後。
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音声がミュートに切り替わる。
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“無音”。
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カメラは変わらず、ラーメンの器と機材だけを映し続ける。
湯気の音さえ消えたような静寂。
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その“無音の数秒”。
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巳波は一度だけ、背後を振り返る。
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そして――
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琉偉の方へ、自然に近づく。
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何の躊躇もなく。
まるで呼吸の延長のように。
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次の瞬間。
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唇が重なる。
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“濃厚なキス”。
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ただの接触ではない。
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長く、静かで、逃げ場のない距離。
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巳波は最初、ほんの少しだけ躊躇うように息を止め――
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そのあと、ふっと力が抜けるように、さらに深く寄せる。
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「……んっ」
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小さな声が漏れる。
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それはマイクには乗らない。
しかし、空気だけが確かに変わる。
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琉偉の方も、一瞬だけ呼吸が乱れる。
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それでも拒むことなく、静かに受け止める。
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時間にして数秒。
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だが、配信画面の“無音”の中では異様なほど長く感じられる。
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やがて巳波は、名残を残すようにゆっくりと離れる。
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唇が離れる瞬間、ほんのわずかに息がこぼれる。
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「……はぁ」
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小さな吐息。
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そしてそのまま、何事もなかったように背を向ける。
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「すぐ戻るね」
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それだけ言って、トイレへ向かう。
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残された空間。
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蒼と彩音は、完全に固まっていた。
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ポカーン。
その言葉以外にない表情。
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蒼が数秒遅れて口を開く。
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「……今の」
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彩音も続く。
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「普段の生活なの?」
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琉偉は少しだけ間を置いて、淡々と答える。
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「朝は必ずあります」
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「自然に、ですね」
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さらに付け足すように。
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「好きなので」
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その一言で、空気が止まる。
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蒼は頭を抱える。
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「いや……情報量多すぎるって」
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彩音は小さく笑いながらも困惑する。
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「それ、普通じゃないと思うんだけど」
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琉偉は視線をそらしながら一言。
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「普通かどうかは、もう分からないです」
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その頃。
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トイレから戻った巳波。
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手を洗いながら、鏡を見る。
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少しだけ息を整える。
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「よし」
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そして小さく笑う。
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「頑張るね」
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戻ってくると。
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何事もなかったように席へ。
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そして迷いなく――
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もう一度、琉偉の方へ寄る。
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今度は短い。
しかし確実な“確認”のようなキス。
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「……ん」
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巳波の喉がわずかに鳴る。
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その声もまた、配信には乗らない。
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その瞬間、コメント欄は一気にざわつく。
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【今戻った瞬間距離近すぎw】
【空気変わったのバレる】
【ミュートの間絶対なんかあった】
【でも誰も説明しないの草】
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【この配信、情報伏せすぎ】
【見えないところで何してるんだ】
【逆に気になるやつ】
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【ルーキーズ生きてる?】
【AQUOSとあやねんの反応もっと欲しい】
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そして数字は止まらない。
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250万人。
260万人。
275万人。
そして――
285万人。
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巳波は画面を見て、ほんの少し目を見開く。
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「……え?」
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そして自然に笑う。
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「増えてる」
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カメラに向かって、少しだけ姿勢を整える。
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「切り替えるね」
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その一言。
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そして――
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もう一度だけ。
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琉偉へ、短く確かにキス。
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「……行くよ」
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音声オン。
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「再開します」
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コメントが一気に戻る。
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【来た!】
【再開待ってた】
【切り替え早いw】
【空気戻るの草】
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巳波は軽く頭を下げる。
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「登録者数285万人、ありがとうございます」
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「本当にたくさん見てくれて嬉しいです」
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そして続ける。
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「これからも大食いだけじゃなくて」
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「メイク動画とか、ゲーム配信とか」
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「カードゲームとかもやっていくので」
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「よろしくお願いします」
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深く一礼。
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コメント欄はさらに加速する。
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【真面目モード好き】
【ギャップすごい】
【さっきとの差w】
【でも可愛いから許す】
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【ラーメンまだ?】
【これ胃袋企画だよな】
【普通にすごい】
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巳波は顔を上げる。
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そして再び、ラーメンへ視線を戻す。
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「じゃあ」
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「続きをいきます」
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湯気の向こうで、
配信は再び“食の戦場”へ戻っていく。
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