第3章「マネージャーの現実」
夜。
都内の車内。
エンジンはかかっているが、車は動いていない。
運転席に座る筒香雷斗は、ハンドルに軽く手を置いたまま、深く息を吐いた。
(……頭おかしいだろ)
それが、正直な感想だった。
東雲巳波、38歳。
トップクラスのグラビアアイドル。
SNSフォロワー数、YouTube登録者250万人。
仕事は安定、人気も継続中。
――その全てを背負っている人物が。
「交際0日婚しました」
しかも相手は。
「18歳の高校生」
ありえない。
いや、“ありえてはいけない”。
雷斗はスマホの画面を見た。
スケジュール帳。
撮影、収録、イベント、打ち合わせ。
びっしりと詰まった予定。
そのすべてに共通する前提。
“東雲巳波は独身であること”
恋愛はグレー。
だが結婚は、完全アウト。
特に相手が高校生となれば――
(炎上じゃ済まない)
仕事の打ち切り。
スポンサー撤退。
事務所問題。
最悪、引退。
それが現実だ。
「……で」
小さく呟く。
「どうするつもりですか」
誰もいない車内に向けて。
だが、その問いにはすでに答えが出ている。
――守るしかない。
それがマネージャーの役割。
好き嫌いではない。
“決めた以上、成立させる”
それだけだ。
⸻
翌日。
事務所の会議室。
向かいに座るのは、東雲巳波。
いつもの“仕事モード”。
髪を上げ、眼鏡なし。
完璧な外見。
だが。
雷斗には分かる。
中身は昨日と何も変わっていない。
「で」
雷斗が口を開く。
「本気なんですね」
「うん」
即答だった。
迷いはない。
「……撤回は?」
「しない」
「……離婚は?」
「前提にしてない」
短い会話。
だが、それだけで十分だった。
雷斗は深く息を吐く。
「分かりました」
そう言って、資料を一枚取り出す。
「じゃあ、ルールを決めます」
「ルール?」
「これを守れなければ、即終了です」
空気が少しだけ変わる。
巳波の目も、わずかに鋭くなる。
「聞くよ」
⸻
雷斗は指を一本立てる。
「一つ目。“外で会わない”」
「……え」
「例外は、完全変装かつこちらが許可した場合のみ」
「……まあ、分かる」
「二つ目。“連絡は最低限”」
「それは無理」
即否定。
「バレる原因の大半はデジタルです」
「でも普通に連絡するでしょ」
「“普通”が一番危険なんです」
言い切る。
「履歴、通知、誤送信。全部リスクです」
巳波は少し考えてから、肩をすくめた。
「……じゃあ気をつける」
「三つ目」
雷斗は少し間を置く。
「“仕事優先”」
「それは当然」
「いえ、“絶対”です」
強調する。
「高校生との生活が理由で、仕事に影響が出た時点で終わりです」
「……」
「あなた一人の問題じゃない」
現場、スタッフ、スポンサー。
すべてが関わっている。
「そこは、分かってるよ」
巳波の声は落ち着いていた。
軽いノリではない。
ちゃんと理解している。
「最後に」
雷斗は、少しだけ視線を外してから言った。
「“感情で動かないこと”」
「……それは難しいね」
初めて、少しだけ笑う。
「結婚した時点で無理じゃない?」
「だから言ってるんです」
静かに返す。
「これ以上は、全部リスクになる」
沈黙。
数秒。
やがて巳波は、小さく頷いた。
「……分かった」
その一言で、契約は成立した。
⸻
その頃。
鎌倉。
廣瀬琉偉の部屋。
「……これ、やばくないか」
スマホを見ながら、呟く。
【東雲巳波】
『今日、遅くなる』
『帰れないかも』
『そっち泊まっていい?』
(軽い!!)
頭を抱える。
だが同時に。
(……普通に来る前提なんだよな)
それが現実。
そして。
“嬉しい”と思ってしまった自分に気づく。
「……ダメだろこれ」
完全に巻き込まれている。
だが。
もう遅い。
⸻
夜。
再び鳴るインターホン。
「……はい」
ドアを開ける。
そこにいたのは――
帽子とマスク、そして眼鏡。
完全に変装した巳波。
「ただいま」
小さな声。
だが。
その一言は、はっきりとした意味を持っていた。
「……おかえり」
自然に返してしまう。
その瞬間。
雷斗の言葉が、頭をよぎる。
――“感情で動かないこと”
(無理だろ)
心の中で、即答する。
⸻
この関係は、すでに“日常”に入り込んでいる。
だからこそ。
壊れる時も、日常の延長で訪れる。
気づかないまま。
少しずつ。
確実に。
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