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第30章「初めて会う現実」


玄関の扉が開いた瞬間。


夜の空気が一気に流れ込んだ。


そして、その中に――彼女は立っていた。



東雲巳波。


ただし、いつもの“画面の中の姿”ではない。


髪は下ろされている。


眼鏡をかけている。


派手さはない。


けれど、どこか整いすぎている静かな存在感。



「こんばんは」


深く、丁寧なお辞儀。


その所作だけで空気が変わる。



「……どうも」


最初に動いたのは兄・優介だった。


一瞬遅れて、軽く頭を下げ返す。



姉・美紗都は目を見開いたまま固まる。


「え……本物?」


小さく漏れる声。



母・聖樹は一歩前に出る。


「……テレビとかと、雰囲気違うね」



巳波は少しだけ微笑む。


「これは素の状態です」


落ち着いた声。



その一言に、空気がわずかに緩む。



父・優斗はじっと見ていた。


そして短く言う。


「入ってください」



巳波はもう一度丁寧に頭を下げる。


「失礼します」



リビングへ。


全員が移動する。


椅子に座る順番すら、少しぎこちない。



沈黙。


テレビもついていない。


時計の音だけが聞こえる。



母が口を開く。


「……それで、本当に結婚してるの?」



その瞬間。


姉・美紗都が身を乗り出す。


「ねえ、それどういう流れ!?」



巳波は一度琉偉を見てから、静かに言う。


「ファンレターをいただきました」



空気が一瞬止まる。



「ファンレター?」


父が眉をひそめる。



巳波は頷く。


「そこに“金曜日18時、みなとみらいの観覧車の前に来てほしい”と書かれていました」



「……え」


母が小さく声を漏らす。



「実際に行きました」


巳波は続ける。


「そして、観覧車の頂上で」



少しだけ間。



「“結婚してください”と言われました」



姉・美紗都が固まる。


「え、それで?」



巳波は淡々と続ける。


「交際を経ない結婚でもいいと」



沈黙。



父・優斗がゆっくり息を吐く。


「……普通なら断るだろう」



巳波は一瞬だけ目を細める。


「普通なら、そうですね」



しかし。


視線を琉偉に向ける。



「でも、この人は」



少しだけ間。



「逃げなかったので」



その言葉に、部屋の空気が変わる。



兄・優介がぽつりと言う。


「……ああ、なるほどな」



母が混乱したように言う。


「そんな理由で結婚って……」



姉がすかさず割り込む。


「いやいやいやいや!」


「軽すぎない!?」



だが、巳波は動じない。


ただ静かに座っている。



その横で、琉偉はいつも通りの顔だった。


落ち着いている。


逃げていない。



父・優斗が琉偉を見る。


「お前……本気だったのか」



「本気」


即答。



沈黙。



兄・優介が腕を組む。


「ファンレターで呼び出して結婚って、行動力えぐいな」


少し呆れたように、でも笑っている。



姉・美紗都は頭を抱える。


「情報量が現実じゃないんだけど」



母・聖樹はまだ信じきれない顔だが、それでも少し落ち着いてきている。



父が静かに言う。


「……で、巳波さん」



視線が集まる。



「なぜ承諾した」



その問いに、巳波は少しだけ間を置く。



「最初は、冗談だと思いました」



静かに続ける。


「でも、彼は本気でした」



「そして」



視線を琉偉に戻す。



「昔から言っていたと聞きました」



兄・優介が軽く笑う。


「ああ、それな」



「“巳波さんと結婚できたらいい”って」



母・聖樹が小さく頷く。


「……言ってたね、昔」



姉・美紗都も思い出したように顔を上げる。


「確かにそんなこと言ってた気がする」



父も黙っている。


そしてゆっくり頷く。



沈黙のあと。


空気は少しだけ変わる。



“否定”ではなく


“理解できないけど、存在は受け止める”


その段階に入っていた。



巳波は静かに一礼する。


「突然のことで申し訳ありません」



その礼儀正しさが、逆に現実味を強くする。



琉偉はその横で、ただ一言だけ言う。


「事実です」



夜のリビングに、その言葉だけが落ちた。



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