第18章「誰にも見せない姿」
土曜日、朝。
まだ少し眠気が残る中、琉偉はスマホを握っていた。
(……やっぱり)
迷ったまま、通話ボタンを押す。
数秒後。
『もしもし』
東雲巳波の声。
少しだけ低くて、落ち着いている。
「……あの」
言葉が詰まる。
『どうしたの』
「……撮影会、行かないって決めたんですけど」
『うん』
「……でも」
一度、深呼吸する。
「……ひと目でいいから、見たいです」
沈黙。
数秒。
『……正直だね』
少しだけ笑う声。
「……すみません」
『謝らなくていい』
短く言う。
そのまま、少し考えるような間。
そして――
『ちょっと待って』
通話の向こうで誰かと話す気配。
⸻
「それなら」
別の声。
低く、落ち着いた男性の声。
筒香雷斗。
『事務所で見ます?』
「……え?」
『誰もいない時間帯なら、会議室使えますよ』
「……いいんですか?」
『その代わり、短時間で』
現実的な条件。
『あくまで“確認”ってことで』
「……はい」
即答だった。
⸻
夕方。
都内の事務所。
ガラス張りのビルの前で、琉偉は少しだけ足を止める。
(……ここか)
普段は絶対に来ることのない場所。
扉が開く。
「どうも」
中から出てきたのは、筒香雷斗。
「……今日は」
軽く頭を下げる。
「……お願いします」
「緊張してます?」
少しだけ笑う。
「……してます」
正直に答える。
「まあ、普通そうなりますよね」
軽く肩をすくめる。
「こっちです」
⸻
通されたのは、少し小さめの会議室。
扉の前で、雷斗が一言。
「中にいます」
「……はい」
「俺は外にいますんで」
「……ありがとうございます」
軽く頭を下げる。
そして。
ドアを開ける。
⸻
「……来た」
部屋の中。
東雲巳波。
すでに撮影用の準備をしている。
普段見ている“家の姿”とは違う。
(……やっぱり)
空気が違う。
「……そんな緊張しないで」
くすっと笑う。
「……無理です」
正直に言う。
「まあ、そうか」
少しだけ照れたように笑う。
「じゃあ」
軽く手を広げる。
「今日は特別に」
その言葉と同時に。
「撮影会の衣装、見せるね」
⸻
一着目。
明るめの色合い。
「これ、最初に着るやつ」
自然に説明する。
プロの表情。
でも。
(……近い)
距離が近い。
リアルすぎる。
「どう?」
「……似合ってます」
それしか言えない。
「それだけ?」
少しだけ意地悪な笑顔。
「……めちゃくちゃ」
言葉を探す。
「……いいです」
「ふふ」
軽く笑う。
⸻
二着目、三着目と続く。
その度に、巳波は自然に説明しながら見せる。
完全に“仕事の顔”。
でも。
(……俺しかいない)
その事実が、重く響く。
⸻
そして。
最後の一着。
「これが、最後」
少しだけ落ち着いた色合い。
「一番人気出そうなやつ」
くるりと軽く回る。
その動きの中で――
一瞬。
ほんの一瞬だけ。
布の位置が崩れる。
「……」
時間が止まる。
琉偉の視線が、完全に固まる。
「……?」
巳波はまだ気づいていない。
「……どう?」
普通に聞いてくる。
「……」
答えられない。
顔が一気に熱くなる。
「……ちょっと」
巳波が違和感に気づく。
「なんでそんな顔して――」
視線を落とす。
そして。
一瞬で理解する。
「……っ」
慌てて整える。
「ちょっと待って、今の――」
「……見えました」
正直すぎる返答。
「……言わなくていい」
顔を少し赤くする。
普段見せない反応。
(……珍しい)
「……忘れて」
「……無理です」
「無理って言うな」
少しだけ睨む。
でも。
その空気は、どこか柔らかい。
⸻
数秒の沈黙。
そして。
琉偉が一歩近づく。
「……」
言葉はない。
そのまま。
そっと、唇を重ねる。
最初は静かに。
でも。
次第に、深くなる。
「……ん」
巳波も、自然に応える。
誰もいない部屋。
外には雷斗がいる。
それでも。
止まらない。
「……これ」
少し離れて。
「反則」
巳波が小さく言う。
「……すみません」
「……謝るな」
少しだけ笑う。
⸻
その後。
「……はい、終わり」
軽く手を叩く。
「特別撮影会」
「……贅沢すぎます」
「でしょ」
少し得意げに笑う。
「これで我慢して」
「……はい」
「本番は見に来ないで」
「……分かってます」
⸻
最後に。
もう一度だけ。
軽く、でもしっかりとしたキス。
「ありがとう」
「……こっちこそ」
⸻
外に出る。
「どうでした?」
雷斗が聞く。
「……最高でした」
正直に答える。
「それはよかった」
少しだけ笑う。
「じゃあ、気をつけて」
「……ありがとうございました」
⸻
帰宅。
リビングには、家族の姿。
「おかえり」
「……ただいま」
「どこ行ってたの?」
母親が聞く。
「……ちょっと」
軽く流す。
「……そう」
深くは聞かれない。
(……助かった)
⸻
自室。
ベッドに倒れ込む。
(……やばいな)
さっきの光景が、頭から離れない。
「……」
目を閉じる。
(……これで我慢できるかよ)
無理だと分かっている。
でも。
それでも。
「……我慢するしかないか」
小さく呟く。
⸻
誰にも見せない姿。
それを知っているのは――
たった一人だけ。
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