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第111章「雨上がりを待ちながら――“一本の電話”と新しい招待」


午後五時過ぎ。


戸塚の空は、相変わらず厚い雲に覆われていた。


朝から降り続いていた雨は、ようやく少しだけ弱まり始めていたが、窓ガラスにはまだ無数の雨粒が残っている。


長時間に及んだサッカーゲーム生配信。


約三時間半。


視聴者と共に過ごした熱量の大きな時間は、配信終了後も巳波の体力を確実に削っていた。


リビングのソファ。


巳波はブランケットを膝に掛けながら、ゆっくりと背もたれに身体を預けていた。


「……さすがに疲れたかも」


小さく呟く。


その表情には充実感がある一方で、わずかな疲労も見えていた。


先日から続いている軽い体調不良。


妊娠検査薬では陰性だったものの、巳波自身、どこか身体の変化を意識している部分もあった。


そんな巳波を見ながら、キッチンに立つ琉偉は手を止める。


「大丈夫ですか?」


「うん。少し疲れただけ」


「無理はしないでください」


琉偉はそう言いながら、夕食の準備を続ける。


今日の夕食は、疲れた身体でも食べやすいように考えた献立だった。


・鶏もも肉と長ねぎの照り焼き


・ほうれん草としめじのおひたし


・じゃがいもと玉ねぎ、豆腐の味噌汁


・だし巻き卵


・雑穀入りご飯


・トマトとレタスのサラダ


キッチンには、甘辛い照り焼きの香りが広がっている。


フライパンの上では、鶏肉に照りが出始めていた。


巳波はソファからその様子を見つめる。


「いい匂い……」


「もう少しで出来ます」


琉偉は手際よく味噌汁をよそいながら続けた。


「それと」


「もしまた体調が悪くなったり、検査で陽性になったりしたら、授業中でも構いませんから電話してください」


巳波は少し驚いたように顔を上げる。


「授業中でも?」


「はい」


琉偉は迷いなく頷いた。


「その時は大学より、巳波さんを優先します」


「……でも授業あるでしょ?」


「あります」


「単位もあります」


「でも、もし本当に何かあったら、その時はすぐに行きます」


その真面目な声に、巳波は少しだけ目を細めた。


「相変わらず真面目だね」


「心配なので」


「ありがとう」


巳波はそう言って、小さく笑った。


その時だった。


テーブルの上に置いてあったスマートフォンが震える。


画面には、


『筒香雷斗』


と表示されていた。


「雷斗さん?」


巳波は通話ボタンを押す。


「もしもし?」


『巳波さん、お疲れ様です』


電話の向こうから、いつもの落ち着いた雷斗の声が聞こえる。


「お疲れ様です。どうしたんですか?」


『今日の配信、見ました』


「え?」


『かなり話題になっています』


巳波は苦笑した。


「またですか?」


『またです』


雷斗も少し笑う。


『それで、本題なんですが』


『今日のサッカーゲーム配信で横浜F・マリノスを使用しましたよね?』


「はい」


『実は、横浜F・マリノスの関係者の方から連絡がありました』


巳波は思わず姿勢を正した。


「え?」


『内容をそのままお伝えします』


雷斗は資料を確認するように一呼吸置いた。


『――本日のゲーム配信において、弊クラブを使用していただき誠にありがとうございました』


『視聴者の皆様にも大きな反響があり、クラブ関係者一同大変嬉しく思っております』


『つきましては、ぜひ一度、実際の試合をスタジアムでご観戦いただけませんでしょうか』


『もしご都合が合いましたら、特別ゲストとしてご招待させていただきたいと思っております』


しばらく沈黙が流れる。


「……え?」


巳波は思わず聞き返した。


「本物?」


『本物です』


「マリノス?」


『はい。本物の横浜F・マリノスです』


巳波はしばらく言葉を失った。


キッチンから琉偉が不思議そうにこちらを見る。


「どうしたんですか?」


巳波はスマホを押さえながら、小声で答える。


「マリノスから招待された」


「……はい?」


今度は琉偉が固まった。


電話の向こうで雷斗が続ける。


『試合観戦だけでなく、可能であれば選手との挨拶も検討してくださるそうです』


『もちろん、極秘対応も可能とのことです』


巳波は思わず笑ってしまう。


「ゲーム配信しただけなのに……」


『影響力が大きいですからね』


『今日の配信だけで、関連動画の再生数もかなり伸びているそうです』


巳波は少し考え込む。


そして、自然と琉偉を見る。


琉偉もこちらを見ていた。


「……行ってみたいかも」


『では、その方向で調整しておきます』


「お願いします」


通話が終了する。


静かになったリビング。


数秒後。


琉偉が口を開いた。


「すごいですね」


「うん……」


「まさか本当に呼ばれるとは思わなかった」


「今日、マリノスでプレーしていましたからね」


巳波は小さく笑った。


「でも、実際の試合、見てみたいな」


「俺も行きたいです」


「一緒に?」


「はい」


巳波は少しだけ嬉しそうに笑う。


「じゃあ、雷斗さんに相談してみようかな」


窓の外では、ようやく雨が弱まり始めていた。


そして二人の日常に、また一つ、新しい予定が増えようとしていた。



最後まで読んでくださり、ありがとうございます!

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