第110章「サッカーゲーム生配信終了… “裏ではお疲れ様のキス①”」
午後三時三十分。
戸塚の空は、まだ厚い雨雲に覆われていた。
朝から降り続いている雨は弱まることなく、静かに住宅街を濡らし続けている。
窓ガラスを伝う雨粒。
屋根を叩く一定の雨音。
そんな静かな日曜日の午後。
しかし、東雲家の配信部屋だけは、まだ熱を帯びたままだった。
三時間半に及んだサッカーゲーム生配信。
その長い時間を共に過ごした視聴者たちが、今もコメント欄を埋め尽くしている。
【本当に楽しかった!】
【神配信ありがとう!】
【雨の日なのに最高の休日になった】
【サッカー配信またやって!】
【三時間半あっという間だった】
【終わってほしくない】
【巳波ちゃん、お疲れ様!】
【次回も絶対見る!】
画面を見つめながら、巳波は小さく息を吐いた。
「みんな、今日は本当にありがとう」
コメント欄。
【こちらこそ!】
【楽しかった!】
【ありがとう!】
【お疲れ様!】
巳波は少しだけ笑う。
「今日はね、本当は一時間くらいで終わる予定だったんだけど……」
コメント欄。
【知ってた】
【絶対伸びると思ってた】
【いつものこと】
【三時間半で済んでるからセーフ】
そのコメントを見て、巳波は吹き出してしまう。
「三時間半でセーフって何?」
「みんな感覚おかしくなってない?」
コメント欄。
【ラーメン十二杯配信経験者だから】
【基準がおかしい】
【伝説配信者】
【巳波ちゃんだから仕方ない】
巳波は苦笑した。
「それは否定できないかも」
コメント欄がさらに流れていく。
【次は何のゲームするの?】
【また日本代表使って!】
【世界選抜もう一回見たい】
【ルーキーズさん元気?】
【隣の部屋にいる?】
そのコメントを見た巳波は少しだけ視線を横へ向ける。
壁一枚向こう。
隣の部屋には琉偉がいる。
ずっと配信を見てくれている。
それを思うだけで、自然と表情が柔らかくなった。
「うん」
「たぶん、見てくれてると思う」
コメント欄。
【やっぱり!】
【仲良し】
【サポーターだ】
【ルーキーズさんお疲れ様】
巳波は笑った。
「本当に、サポーターです」
「いつもありがとうって感じかな」
その言葉に、コメント欄がさらに盛り上がる。
【尊い】
【いい関係】
【素敵】
【雨の日に癒やされた】
巳波は最後にカメラへ向かって頭を下げる。
「今日は長い時間ありがとうございました」
「また配信するので、その時は遊びに来てください」
コメント欄。
【絶対行く!】
【待ってる!】
【お疲れ様!】
【ありがとう!】
【またね!】
巳波はゆっくりと笑った。
「それじゃあ――」
「またね」
そして。
配信終了ボタンを押した。
画面が暗転する。
コメントの流れも止まる。
静寂。
配信部屋には、急に静かな空気が戻ってきた。
「ふぅ……」
巳波は大きく息を吐いた。
そして、そのまま椅子の背もたれへ体を預ける。
「疲れたぁ……」
三時間半。
ゲームに集中しながら、コメントを読み、話し続けた。
さすがに疲労は大きかった。
それでも、不思議と嫌な疲れではない。
むしろ心地良い疲労感だった。
その時だった。
コンコン。
控えめなノックの音。
「どうぞ」
扉が開く。
そこには琉偉が立っていた。
「お疲れ様です」
巳波は少しだけ笑う。
「見てた?」
「全部見てました」
「本当に?」
「はい」
琉偉は頷いた。
「最初から最後まで」
巳波は嬉しそうに笑った。
「どうだった?」
琉偉は少し考える。
「普通に面白かったです」
「特に日本代表対ブラジル戦」
「あと世界選抜対日本代表」
「最後のPK戦も」
「全部見入ってしまいました」
巳波は少し照れたように笑う。
「そっか」
「ありがとう」
しばらく静かな時間が流れる。
すると。
琉偉はゆっくりと巳波へ近づいた。
「本当に、お疲れ様でした」
そう言って、そっと巳波を抱き寄せる。
巳波も自然にその腕の中へ身を預けた。
「うん……疲れた」
「でも楽しかった」
「はい」
「見ていて分かりました」
二人はしばらくそのままだった。
窓の外では雨が降り続いている。
配信部屋には、もう視聴者の声はない。
あるのは二人だけの静かな時間だった。
やがて。
琉偉はゆっくりと巳波の顔を見る。
「もう一回言います」
「お疲れ様でした」
その言葉と共に、静かに距離が縮まる。
そして――
唇が重なった。
長く、穏やかなキスだった。
配信中には決して見せない、二人だけの時間。
巳波は目を閉じる。
静かな雨音だけが部屋に響く。
しばらくして、ゆっくりと唇が離れた。
巳波は少しだけ頬を赤くしながら笑う。
「……ありがとう」
琉偉も小さく笑った。
「大好きです」
その言葉に、巳波は少しだけ照れながらも、もう一度琉偉へ近づく。
「私も」
そして今度は巳波の方から唇を重ねた。
窓の外では、まだ雨が降り続いている。
けれど、二人にとってその雨音は、どこか心地良いものだった。
長かった日曜日。
三時間半のサッカーゲーム生配信。
その最後を締めくくったのは――
誰にも見せない、二人だけの「お疲れ様」だった。
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