第10章「隠すための距離、近づくための嘘」
木曜日、夜。
リビングのテーブルの上に、スマホが二台並んでいる。
東雲巳波と、廣瀬琉偉。
その間にあるのは――
「……まず、これ」
巳波が指差す。
「通知、全部オフ」
「……全部ですか」
「全部」
即答。
「LINEも、通話も、SNSも」
「……」
「画面見られた時点で終わるから」
合理的すぎる。
「……分かりました」
琉偉は設定を開く。
ひとつひとつ、通知を消していく。
音も、バイブも、ポップアップも。
全部。
(……繋がってる感じ、なくなるな)
ふと、そんな感覚がよぎる。
「次」
巳波が続ける。
「履歴、定期的に消す」
「……はい」
「あと」
少しだけ間を置く。
「会う回数、減らす」
「……え」
思わず顔を上げる。
「昨日言ったでしょ」
「……」
確かに言っていた。
でも。
「……減らすって、どのくらい」
「週2くらい」
「……」
今までほぼ毎日だった。
それが、半分以下。
「無理?」
試すような視線。
「……」
言葉が出ない。
無理だと言いたい。
でも。
「……やります」
出た言葉は、それだった。
「……そっか」
巳波は小さく頷く。
「ちゃんと分かってるね」
褒められているのか分からない。
でも。
(これが“現実”か)
少しずつ、理解していく。
⸻
金曜日、朝。
玄関。
いつも通りの空気。
でも。
どこか違う。
「……今日からだね」
巳波が言う。
「……はい」
「会わない日」
その言葉が、思っていた以上に重い。
「……じゃあ」
軽く近づく。
「行ってらっしゃい」
キス。
でも。
昨日より、少しだけ長い。
「……今日は長いですね」
「しばらくできないから」
さらっと言う。
「……」
胸の奥が、少しだけ締まる。
「……行ってきます」
ドアを開ける。
振り返らない。
振り返ったら、戻りたくなる気がした。
⸻
教室。
「おはよー」
晴斗の声。
「……おはよ」
「なんかスッキリしてね?」
「……そうか?」
「昨日までと違う」
「……」
(バレてる?)
一瞬焦る。
だが。
「なんか余裕ある感じ」
「……」
それは予想外だった。
「いいことあっただろ」
「……別に」
適当に流す。
だが。
(……距離取ると、逆に安定するのか?)
妙な皮肉。
⸻
昼休み。
スマホを見る。
通知はない。
当たり前だ。
全部切った。
(……静かだな)
昨日まであった“繋がり”の感覚がない。
それが、妙に空白を作る。
「琉偉」
声。
白石彩音。
「……何」
「今日、放課後空いてる?」
「……いや」
反射的に答える。
「用事?」
「……まあ」
「最近そればっか」
じっと見てくる。
「……何かあるでしょ」
(……鋭いな)
でも。
「……何もない」
言い切る。
すると彩音は少しだけ目を細めて。
「……嘘つくの、下手」
「……」
何も言えない。
「でも」
少しだけ距離を詰める。
「無理に聞かない」
「……え」
「言えないこともあるでしょ」
その言葉が、妙に優しい。
「……」
「ただ」
少しだけ笑う。
「困ったら頼って」
それだけ言って、離れる。
(……なんなんだよ)
助けられてるのか、追い詰められてるのか分からない。
⸻
放課後。
帰り道。
スマホを見る。
何もない。
(……本当に来ないな)
当然だ。
ルールを決めたのは自分たち。
でも。
(……こんなに空くのか)
少しだけ、寂しさが出る。
(いや、慣れろ)
そう言い聞かせる。
⸻
家。
ドアを開ける。
静か。
「……いない」
分かっていた。
今日は“会わない日”。
それでも。
「……」
部屋が、妙に広く感じる。
ソファに座る。
テレビをつける。
でも。
頭に入ってこない。
(……これ、普通だったよな)
数日前までは。
一人で帰って、一人で過ごす。
それが当たり前。
なのに。
(……戻れないな)
もう。
⸻
夜。
スマホが震える。
バイブは切っている。
でも、画面が光る。
【M】
『ちゃんと帰った?』
短いメッセージ。
(……来た)
それだけで、少しだけ安心する。
『帰りました』
数秒。
『えらい』
(……なんだそれ)
思わず少し笑う。
『そっちは?』
『仕事終わった』
『今帰り』
淡々としたやり取り。
でも。
それだけで十分だった。
『明日、会う?』
送るか迷う。
ルール。
でも。
『……』
数秒。
そして。
『少しだけなら』
返事。
(……やっぱり)
完全には切れない。
「……だよな」
小さく呟く。
⸻
“隠すための距離”は、確かに必要だった。
だが。
その距離は、同時に――
“近づきたい理由”を、より強くする。
そして。
その矛盾が。
いつか、必ず歪みになる。
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