第102章「土曜日の朝――“変わらない日常”と二人だけの穏やかな休日」
土曜日の朝。
平日とは違い、目覚まし時計の音は鳴らなかった。
戸塚駅近くの一軒家には、ゆっくりとした時間が流れている。
カーテンの隙間から差し込む朝日が、寝室を柔らかく照らしていた。
窓の外では、小鳥の鳴き声が聞こえる。
遠くからは電車の走る音も微かに聞こえてきた。
それでも、この家の中だけは静かだった。
⸻
琉偉はゆっくりと目を開ける。
時計を見る。
午前八時十五分。
大学がある平日なら、とっくに起きて支度を始めている時間だった。
だが今日は休日。
久しぶりに、時間に追われない朝だった。
隣を見る。
巳波はまだ眠っている。
長い髪が枕に広がり、穏やかな寝息を立てていた。
仕事では常に人前に立ち、多くの人に見られている巳波。
しかし今の彼女は、誰にも見せることのない素顔そのものだった。
琉偉はその姿を静かに見つめる。
そして小さく微笑んだ。
「……よく寝てますね」
昨日の雑談配信も大成功だった。
配信終了後も、二人はしばらくソファで話し込み、気付けば深夜になっていたのだ。
疲れているのだろう。
琉偉は起こさないように、そっとベッドを抜け出した。
⸻
リビングへ向かう。
静かな朝。
冷蔵庫を開ける。
中には昨日買った食材が綺麗に並んでいた。
卵。
ベーコン。
食パン。
レタス。
トマト。
牛乳。
琉偉は少し考える。
「朝食、作りますか」
休日くらいは、巳波をゆっくり休ませたい。
そう思った。
⸻
キッチンから、調理を始める音が聞こえ始める。
ベーコンを焼く。
フライパンの上で小気味よい音が響く。
卵を割り、スクランブルエッグを作る。
食パンをトースターへ入れる。
その間にサラダも準備する。
料理をしていると、自然と気持ちが落ち着いていった。
⸻
十分ほど経った頃。
背後から声が聞こえた。
「……おはよう」
振り返る。
そこには、少し寝ぼけた表情の巳波が立っていた。
部屋着姿のまま、目を擦っている。
「おはようございます」
「何してるの?」
「朝ご飯です」
巳波は少し驚いたように目を瞬かせる。
「え?」
「今日は休日なので」
「巳波さん、昨日遅かったですし」
巳波はしばらく琉偉を見つめていた。
そして、小さく笑う。
「ありがとう」
⸻
朝食はリビングで食べることになった。
スクランブルエッグ。
ベーコン。
トースト。
サラダ。
ホットコーヒー。
特別豪華な食事ではない。
それでも、二人にとっては十分すぎる朝食だった。
「いただきます」
「いただきます」
⸻
巳波は一口食べる。
「美味しい」
「本当ですか?」
「うん」
「琉偉、料理上手だよね」
「普通です」
「その『普通』が高いんだって」
巳波は笑う。
⸻
食事をしながら、自然と昨夜の配信の話になる。
「昨日もコメント凄かったね」
「そうですね」
「配信始めた頃は、こんな風になるなんて思わなかったな」
巳波はコーヒーを飲みながら言った。
「最初は登録者数百人だったし」
「今は二百八十五万人ですからね」
「数字だけ見ると怖いよね」
「でも、巳波さんらしい配信だからだと思います」
「そうかな」
「はい」
巳波は少し照れたように笑った。
「そういうところだよ」
「?」
「なんでもない」
⸻
朝食後。
二人はソファに座ってゆっくり過ごしていた。
テレビでは休日の情報番組が流れている。
全国のグルメ特集。
温泉特集。
秋の観光地特集。
「箱根かぁ」
巳波がテレビを見ながら呟く。
「近いですね」
「今度行く?」
「いいですね」
「じゃあ決まり」
あっさり予定が決まる。
二人らしい決め方だった。
⸻
その時。
巳波のスマートフォンが鳴った。
画面を見る。
「雷斗さんだ」
通話に出る。
「もしもし」
『おはようございます』
「おはようございます」
『急ぎではないんですが、来月発売の写真集の打ち合わせを来週入れたいんです』
「大丈夫です」
『あと、配信関連の企業案件がまた増えてます』
「増えてるんですか?」
『かなり』
『昨日の雑談配信も同時接続数が過去最高でしたから』
「そうなんですね」
『後ほど資料送ります』
「分かりました」
通話が終わる。
⸻
「仕事ですか?」
琉偉が聞く。
「うん」
「写真集の打ち合わせと案件が増えたって」
「忙しくなりそうですね」
巳波は少しだけ考える。
「でも」
「家に帰ってきたら、こうやって普通に過ごせるから頑張れるかな」
そう言って、巳波は琉偉を見る。
「それなら良かったです」
「うん」
⸻
昼が近づいてくる。
穏やかな休日。
何か特別なことをするわけではない。
ただ同じ家で、同じ時間を過ごす。
それだけなのに、二人にとっては十分だった。
窓から入る秋の風が、ゆっくりとカーテンを揺らす。
そんな静かな土曜日の朝だった。
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