間章―少年の系譜―
いつから〝ソレ等〟をそう呼ぶかなんて、興味は無い。
自分が見るのと同様の景色を、他者も見ているとは限らない。自分が何気無く出来る事が、他者には出来ない可能性。そんな当然を理解するのに、自分はあまりに幼過ぎた。
自分は他者とは異なる存在が見えている、と解ったのは、はたしていつからだったのか。
最初に〝ソレ等〟を見たのは確か、陽光輝く晴れた日の空。浮遊と飛翔の区別等つかず、只、天空に在る不可思議な生物に焦点を合わせて指で示し、兄を呼んだ。まあ兄と言っても、双子の片割れなのだけれども。
「兄上!あれは一体なんですか?」
あれですよ、ほら、あれ!あれです!
首を捻って視線が合わない兄に対して、何故伝わらないのかという疑問より先に、憤慨の情感が躍り出る。こんなにも精一杯、自分は手を伸ばしているというのに。
「……もういいです!」
結局その日は、そう言って会話を打ち切った。終わらせた筈の会話が実は、全ての始まりを告げてしまったのだと、その時は気付いてはいなかった。
一度存在を認めた〝ソレ等〟は、本当に様々な容姿をしていた。獣や鳥、昆虫に似ていたり。かと思えば人間にそっくりだったり。何種類かの生物の特徴を併せ持ち、時には大きかったり小さかったりと、不思議としか言い表せない〝ソレ等〟は、精霊なる存在なのだという。そう教えてくれたのは、精霊達自身だった。世界に誕生した瞬間に、自身の名前と共にそう悟るのだ、とか。よく分からないが、今まで〝ソレ等〟と呼んでいた精霊達は、人間達と同じく言葉に因って意思疎通を為すのだと知った。理解出来る言語を使用する精霊達との会話を試みたのは、只、純粋なる好奇心だった。
それが異様で、異常な事態なのだと。周囲の目が、どんな感情に色付いて自分を見ていたのかと覚れていれば、未来は違ったのだろうか?
「あれは何!?あの子は何と喋っているのよ!?」
「そんな事、私が知る訳がないだろう!!」
仲の良かった両親から、怒号と泣声が絶えなくなった。言い争いの苛烈さを加速させているのが他ならぬ自分である事実に、優しかった筈の両親との思い出が恐怖に塗り潰されていく。
度重なる口論の果てに、両親は兄だけを我が子として慈しむと決めたらしい。
自分は間違い無く世界に存在している筈なのに、まるで存在しない者のように扱われた。その内視界に入れる事すら嫌悪したのか、兄や、他の誰とも会えないように、窓の無い部屋に閉じ込められた。一つしかない扉から、決まった時間に食事だけが差し込まれる歪な生。普段は鍵を掛けられて、内側からは開かない扉。暗くて狭くて、小さな机と厠しかないその室内で、それまで当然に在った光の有り難さと得難さを学んだ。暗さに目が慣れていっても、裡に巣食う悲しみと苦しみの種が発芽した。それでも絶望ではなく抵抗が開花したのは、自分がこのまま、物言わぬ石像と化してしまう幻影を真実へとしない為だった。食べて、動いて、眠る。口を開いて、精霊達と言葉を交わす。そんな些細な事象でも、精神は均衡を保てると知った。食事や運動の合間の会話で、精霊達は色々な事を教えてくれた。様々な知識を与えてくれた精霊達が、そもそもの原因であるのだという憤怒は、不思議と湧き上がらなかった。
その日がいつであったのかを、正確には記憶していない。短かった髪は、大分長く伸びたのだけれど。
精霊達は人間と同様に個性がある。寡黙、おしゃべりも在る筈なのに、その日は全員が騒めいていて落ち着かない。
「……どうしたの?」
返答は支離滅裂だった。怖いのがくる、逃げなくちゃ。そんな事を言いながら、袖を引いてくる精霊もいた。
「逃げるって言っても……扉が開かなくちゃ逃げられないよ」
『じゃあ扉が開いたらすぐ逃げて!』
その言葉に、そういえばそろそろ食事が差し込まれるな、と思い至る。扉の傍で待機して、開き戸が音を奏でた途端に全身で体当たりした。弱々しい打撃だったけれど予想だにしていなかったのだろう、扉の向こうから悲鳴と異音が聞こえた。
待てと制止を掛ける人間の声と、走ってと促す精霊の声。耳を傾けたのは、勿論後者だった。
『こっちだよ!』
『其の先を曲がれ!』
『あっ!右です!右、右!』
案内に従って、必死に走った。すぐ息が切れた。それでも誰にも見つからず、捕まらなかったのは、精霊達の先導があったからだろう。
――……眩しい……!――
外へと繋がる扉を開け放てば、暗がりに慣れ過ぎた目が眩んだ。けれど、いつ以来か不明な空は、以前と同じく青かった。
「……?」
蒼穹の遥か彼方。ちらちら霞む、黒い影。陽光の残影と錯覚したのは誤りで、正しくは飛翔する何か。
徐々に形を成す黒影は、鳥の姿をしていた。黒く大きな翼で羽撃く鳥は、群れを成して近付いてくる。やがて完全に容姿を視認出来る程に迫った、巨大な怪鳥の群集。狂った両眼に宿る敵意に滲む攻撃性――魔物、だ。
獰猛で危険な存在である魔物は本能のみを有し、理性や知性を持ち合わせない。そんな魔物と他の生物とを、明確に分ける線。それは、人間に対する明白な敵意と、残虐な程苛烈な攻撃性。
騒めきが高まった。精霊達が怯えている。だから咄嗟に、護らなきゃ、と思った。
「あっち行け……ッ!!」
近付くな、と、拒絶を示して放った声。恐怖が追加された大声は、張り上げ過ぎて咽喉が掠れた。ずっと一緒にいてくれる精霊達を脅かす、魔物の存在が許せなかった。
変化が起きたのは、すぐ後だった。中空で静止した巨鳥の群集――その先頭で羽撃く一羽が、くるり、と向きを変えて、他の巨鳥達もそれに倣った。蒼穹を覆い隠す黒が、緩徐に遠ざかっていく。
背後から悲鳴が上がった。振り向くと人間がいた。慌てて逃げていく。叫声が不快だった。訳が分からず呆然としていたら、今度は近くで歓声が上がった。精霊達だった。スゴい!よくやった!と掛けられる声は、とても心地好かった。
激憤に顔を染めた父が、怒鳴りながらやって来た。腕を強く引かれた。痛い。思わず声を上げたら、頬を張られた。容姿は紛れも無く父の筈なのに、まるで知らない人間のようだった。その背後で、母と兄の容姿をした人間が震えていた。二人を背に従えて、塵芥でも見るかのような目をした父親から、勘当を言い渡された。最初からこうするべきだったと言われた。二度と戻ってくるなと言われた。お前の所為で魔物が来たと言われた。
「……私達はこうなる運命だったのだ。大いなる宿命に所詮、人間は抗えん……」
全部全部、意味が解らなかった。けれど袖を引く精霊や、獣の威嚇の如く唸る精霊達に促され、兎に角此処から離れなければと足を動かした。疲労と苦痛の訪れを危惧した獣型の精霊が、途中から背中に乗せてくれた。
この先何処へ行けばいいのか、これからどう生きればいいのかも分からない。真っ暗な夜の中にいるみたいだ、なんて思いながら背で揺られて……、
――後に最愛の姉上となる彼女と出逢ったのは、そんな時だった。
出逢った場所は、深い深い森林の中。
獣型の精霊の背に乗る自分の周囲で、飛んだり跳ねたり歩いたりしながらついてくる精霊達が、何処へ行こうかと話し合う。危険の無い場所、穏やかな場所、人間のいない場所。様々な意見を出し合い交わし合い、行き着いた場所が森林だった。数多出された意見の全部に当て嵌まり、更に水と食べられる物がある場所といった意見が重要視され、採用された結果だった。
未開の地であろう其処を深くまで分け入れば、水流の音と共に小川が顕れた。近くに、不思議な樹が生えている。
樹木は根から幹、枝葉の一片に至るまで、真っ白な巨木だった。捩くれた枝先が腕を広げるように、四方へと伸びている。
その白樹の根元に、彼女は横たわっていた。穏やかな表情で微睡んでいる。
周囲の精霊達の間に、緊張と敵意が走るのが判った。警戒と牽制の為か、唸り始める精霊もいる。
「……?」
彼女の瞼が微かに震えて、ゆっくりと開かれた。どうやら唸声が目覚めを齎したようだ。焦点の合わない瞳が、状況を把握するべく周辺を浮游して。やがて、目が合った。
気付いたら此処に居たらしい彼女は、最初は随分と混乱していた。落ち着きを取り戻すまでに暫く掛かって、その後精霊達の容姿に収まった混乱が再発してから、漸くお互い真面に話せるようになった。
容姿が認識されている事実に走った緊張と敵意は薄れ、警戒と牽制の姿勢を解いた精霊達の思考を占拠したのは、彼女に対する興味だった。
服や髪を引っ張るという些細な悪戯から、近くに座り込んだり手足に纏わり付いたりと、其々が各々の方法で彼女に接触している。対する彼女も言葉を交わしたり、撫でたりしながら距離を測りつつ接しているようで、最終的に精霊達と彼女とが打ち解けるまでに、そう時間は掛からなかった。
「――テオ君、そっち持てますか?」
精霊なんて、これまで目にした事がない。お伽噺の中の存在とされてきた。と、彼女は言った。つまりそれは実在の証明はされておらず、けれど空想の中でならば、その存在を認められているのだという事。彼女の語る精霊に対する認識は、自分のそれと異なっていた。
しかし、それは些末な問題だ。彼女が何者であろうとも、自分と同様行く宛の無い者である、という事こそが肝要だった。
迷子のような二人が出逢って行動を共にする事は、ごく自然の流れと言えた。
「はい、姉上」
互いに名前を教え合った後。テオ君、と呼ぶ彼女に対して、自分は姉上と呼んでいる。その理由は、実のところよく判らない。歳上の女性である事は、要因の一つであろうけれど。もしかすると父や母、兄との切られた縁を、新しい家族としての繋がりを、呼称に求めたのだろうか。何れにせよ親しく〝テオ〟と呼ばれる度に、胸中には甘やかな安らぎが増していった。
せーの、で持ち上げますよ、という言葉に応えて、精霊が切り出した木に触れる。
生活の為には衣食住だと強く主張した姉上は、まずは食を求めた。衣服はお互い身につけているから後まわしでも問題無い、住も重要だけれども、最優先は食なのだそうだ。だが、それはすぐに解決した。森林に詳しいという精霊達が、木の実や茸の採れる場所を教えてくれたから。流れる小川には魚もいて、食の心配は解消された。
一つ目の食が解決し、二つ目の住。即ち、住む為の家を建てる事。こればかりは、簡単にはいかないと思っていた。自分は当然、家等建てた経験はないし、それは姉上も同様だった。主材料である木材は森林だけあって豊富だが、切り出したり組み立てたりする為には道具が必要。どうするべきかという悩みはなんと、こちらも精霊が解決策を教えてくれた。
『火なら任せてよ!』
『……木を切ればいいのか?』
『家の建て方?知ってるわ、前に見ていた事があるもの』
『みんなで手伝おうぜ!』
そう、精霊達に不思議な力がある事を――精霊術なるものがある事を、その日初めて、自分は知った。もう何年も一緒にいるのになんで教えてくれなかったのか、と、少し頬が膨らんだが、あの閉ざされた部屋の中では必要無い事だったと納得した。
人間が家を造る様を観察していたという精霊を中心に、手探りでの家造りが始まった。釘や鎹等無くても組み立てられるように切り出された木材を運び、小川と白樹の傍で組み上げる。完成に至るまでは白樹の根元での寝起きを余儀無くされたのだが、どうやら危険な野獣や魔物は、この森林には棲息していないらしい。害を為す虫等の生物もおらず、雨風は四方に伸びる真白の枝葉が防いでくれる。下に生える草は柔らかく、休憩や睡眠を妨げない。正直家等不要では?と思わせるが、やはり屋根のある室内で過ごしたいし、進める作業は存外楽しかった。
火なら任せてと言った精霊が拾い集めた枝葉を燃やし、生食は不可能な食物も食べられる。二人きりなのだから建てる家の規模は小さく、無理せずのんびり建てましょう、という方針が決まり、少しずつ少しずつ作業を進めていった結果。
「……ちょっとゆがんじゃいましたね……」
「でも充分ですよ!完成ですね、姉上!」
素人細工で歪な家が完成した。完成度の低い稚拙な家具類も全て、姉上と二人の手作りである。
一部屋のみの家は、家と言うより寧ろ小屋と称した方がしっくりくる。歪んだ小さな窓に不恰好な棚、不恰好な机と椅子は自分と姉上用に二脚。隅には不恰好な寝台。が、例え稚拙でも家は家。達成感も後押しし、その日は二人して騒いでしまった。心地好い疲労感と共に出来立ての寝台に横になって、
「……固い」
「……痛い」
真なる完成にはまだ至っていなかったと、身を以て思い知らされた。
寝心地の悪い寝台を少しでも好いものへと変える寝具の必要性を痛感し、話し合いの末に買い揃える事を決めた。このままでは折角作った寝台が置物と化し、家があるのに白樹の根元――つまりは野外で眠る羽目になる。
が、生憎と手持ちの金銭等無い。そこで森林で採れた食物を売って必要な品物を購入、もしくは物々交換をするのはどうか、となった。発案者は姉上だ。
「……その、出来ればお風呂にも入りたくて……」
呟くように声を落とした姉上は、恥じ入るように視線をさ迷わせた。小川で水浴びは出来るし、材木の余りで桶も作った。だがしかし、湯を沸かす為の道具は無い。ついでに調理器具でもあれば、食事に彩も出るだろう。魚や茸の丸焼きも、確かに美味しいのだけれど。
森林から出る事に難色を示す精霊もいたし、人間はすっかり嫌いになった。けれどやはり、自分達も人間なのだ。生きる為に、必要に駆られれば本能を理性で制して、我慢するのもまた人間だ。それに姉上が傍にいれば、嫌いな人間に接する事も平気だと思えた。
森林から一番近い街で、最初は木の実や茸を買い取ってもらった。後に薬草という存在を知ってからは、そちらも採取の対象に加えた。採れる物は全て質が良いらしく、懐は徐々に暖まっていった。
あくまでも姉上と並んでいる時、が前提ではあるが、街の喧騒や人混みに対する嫌悪の情は少しずつ緩和された。人間と、拙いながらも挨拶や会話を交わせるようにもなった。常連になった買い取り先の婦人から、姉弟仲が良くていいね!と言われた時には嬉しさのあまり、そうでしょう!と声を張ってしまった。隣で微笑む姉上が、優しく頭を撫でてくれた。
念願の寝具や調理器具、道具や衣類は少しずつ増えていき、歪で小さな二人の家を埋めていった。
それは、あの狭い部屋に一人で閉じ込められた歳月の記憶が、姉上との二人暮らしへと完全に塗り替えられた頃。
森林には出現しなくても、近辺には魔物が出る。獰猛で危険な存在を放置して、それこそ姉上の身に何かあったら。その恐怖心は、あの日の魔物――巨鳥の群れと対峙した恐怖を、いとも容易く上回った。魔物が出ると、精霊達も怯える。守護の念は裡から溢れ、言葉で以て拒絶を放てば魔物は退き近寄って来ない。
その様子を、姉上に目撃された事がある。見られたくなかったと見られてしまったが混在し、心身が凍える程の絶望は、抱き締められた温もりに霧散した。
「ずっと私達を……皆を守ってくれて有り難う」
何度も自分の名を呼んでくれる優しい声と、沢山撫でてくれる手と。微笑みを向けてくれる瞳に、困惑と恐怖の彩りは無い。
「テオ君えらい!良い子良い子!」
救われた、と思った。護りたいと思った姉上に、自分をこそが護られているのだと、その瞬間漸く理解した。
――あの暗くて狭い部屋の中の幼子は、扉に閉ざされ失った光と再びの邂逅を果たしたのだ、と。
魔物とは、一体なんなのだろうか。これまで脳裡の片隅にすら浮上しなかった、存在に対する疑問。理性と知性無き、本能の肉塊。獰猛で危険で、故に人間に忌避されて、精霊に怯えを齎す存在。
「――寄るな」
知性が無いなら、拒絶の言葉は理解出来ている筈がない。ならば何故、自分の放つ言葉は有効たり得るのか。
護れるのならば何でも良いと思っていた。その思考を改める必要があると感じたのは、魔物を追い払う様を、姉上以外の人間に目撃されてしまったからだ。
その時は、些細な事だと放置した。放置、してしまった。精霊達と、姉上の――優しい世界に揺蕩って、過去に家族からどう見られていたのかを、自分はすっかり記憶から忘却してしまっていた。
〝魔物が言う事を聞くのを見た〟。〝それって魔物を従えてるって事じゃねーか?〟
人間は自分達とは異なる者に恐怖し、嫌悪し、忌避する存在だという事実を、他ならぬ自分は誰よりも身を以て知っていた筈だったのに。
火種が煙を吐き出して、大火へと変容するかのように。悪事が千里を走るように、森林に魔物を操る童子がいる、という噂は、瞬く間に拡散した。根と葉のある噂だからこそ巨大に、凶悪に進化したそれは、戸の立てられぬ口を介して更なる根と葉を生み出していく。
「そう言や聞いた事あんぞ……忌まわしい力を宿した童子が家を放逐されたってよ……」
彼奴が、あの子が、の声は、日を増す毎に膨れ上がり。心胆を寒からしめる集団心理は、恐怖の楔を人間達に打ち込んで、そして。
――あの、忌々しい事件が起きた。
【少年の系譜】




