双魔の宿業編 第九話―理に反す者―
――……勘づかれたか……――
内包する憤怒の情を瞳に宿し、漆黒で鎧った襲撃者へと突き付ける。契約主が気付いているのだから、契約精霊たるロアも当然察しているだろう。対峙する相手が何者だとか、甲冑の下の容姿だとか、そんなものはどうでも良い。義弟を害する不埒な輩は、何者だろうと己の敵だ。
「……、あの、よ、よろしくお願い……します……」
当惑と困惑に視線をさ迷わせ、それでもしっかりと頭を下げた義弟の姿に、事情を話すのは落ち着いてからと判断したのは、父、ディビットだ。今はまだ、戸惑いが強いだろうから、と。
義弟と自分とを隔てる溝は時が解決する、どころか逆に深まっている気さえする。否、気がするではなく深まっている、が正しいのだろう。初手の対応を――というか、言葉掛けを間違ったのが最大の原因であろうが、一度零れてしまった水が戻らぬように、放った言葉は戻せない。しかし、やはりどうにか出来ないものか。
飛び掛ける思考の端で、ヒューゴの視界に乱雑な光景が映り込む。設置されていた長机や椅子、収められていた書物や文献が散乱していた。
「……」
整然と並んだ本棚が、雪崩の如く崩壊している様が心苦しい。だが今は、と、努めてヒューゴは、意識を面前の敵へと戻す。重力操作に気付かれた以上、一気に片をつけるべきか否かは、己が精霊に任せよう。
ライリー達の行方を答えさせるなら、相手は口だけが動けば充分な筈だから。
肉体の跳躍と同時に、意識が一息で遠退いた。この持っていかれる感覚は、ロアが旋棍に込める力を最大にまで高めた証明。
背後を取ったヒューゴの腕が、朔の肩口を補足した、刹那。耳膜を劈く金属音の間隙を縫って、まずは閃光が、次いで轟音が迸る。
「……!?」
反射的に役割を放棄した視覚と聴覚を嘲笑うように、重圧に沈む筈だった襲撃者は攻撃の瞬間に反撃へと転じたのだ。そして、
「……ッ、が……ッ!」
甲冑に雷光を纏った足が、ヒューゴの腹部へと減り込んだ。
強制的に押し出された空気の塊を吐き出して片膝を突いたヒューゴの肉体に、朔は漆黒で覆われた瞳を見開いた。この瞠目が驚愕よりも感心の色が濃い事を、朔は正しく自覚している。
掟霊解放という恩恵の鎧を纏うとは言え、吹き飛ばされるでも、意識を落とすでもなく、今の攻撃に耐えるとは。卑小なる人の身にあって中々に、見所のある青年ではないか。
屈辱に輝きを増す翡翠の双眸に、敗者の気配は宿らない。闘志に溢れる眼差しは滑稽よりも称賛の念を、襲撃者に抱かせる。ともすれば、殺すのは惜しいと思わせる程に。
「……ならば……、」
雷霆を放って、なおも意識を落とさずにいられたのなら。忠義の奥に押し籠めた欲が己を取り巻き、朔の口元を悦で装飾した。
「……、」
微かな吐息に決意を込めて、ユンは寝台から身を起こす。
考える時間は、たっぷりと貰った。新たに知った事実をこの先の未来へと繋げる為に、立ち止まるのは此処までだ。
目線を己が契約精霊へと移す。壁際に佇む半鳥獣型の精霊は、口を閉ざしたままでいた。その存在は稀薄し、其処に居るのだという認識がなければ見落としてしまう程の、不鮮明。
それも貴様の異能かと、ユンは胸中で独り言ちる。
「――レィリィン」
『……は、』
けれど問われれば応える声は稀薄さとは相対し、重厚さに満ちていた。些か精彩を欠いているのは、態々問い詰める必要は無い。
「……本当に、もう大丈夫?」
「――ああ、問題ない」
苦労をかけたな、アリシア嬢、と。
寝台ではなく椅子に腰掛けていたユンに、アリシアは首を左右に振って否定を表す。違う、と、続く言葉。
「苦労じゃない。心配した」
自身の双眸が見開かれた事を、ユンは自覚した。
は、だの、あ、だの、まごついた声を経て思考と連動した口から、漸く小さな謝罪が洩れる。
「……すまない」
うん、と頷いたアリシアの相貌に鎮座するのは、相も変わらずの無表情。しかし、人形めいた表情とは異なり深海を思わせる青には、宣言通り心配の色が乗っている。そのつり目がちの瞳が口以上にものを言う事を、ユンは疾うに知っていた。
「……いや、その……すまない……」
「?もう聞いた」
依頼主への討伐完了報告等、事後処理を全て任せてしまった事、宿の手配までしてもらった事に対する謝罪と感謝を伝えねば、と、思っていたのに。どうやら連動した筈の思考と口は、まだ上手く連携出来てはいないらしい。だが、その理由は明白だった。
「……その……、ありがとう」
不謹慎だが心配をされて嬉しいと訴える心境が、連携を阻んでいる。理路整然と話したい思考とは対極に、口は幼子のような言葉しか発しない。
「……」
頬に、熱が集結していく。それは歓喜の心が故か、はたまた幼稚な言に対する羞恥か。反射的に黄金を隠し掛けた瞼がぴたり、と止まった。
「……えっ、と……、」
今度はアリシアが、瞳を見開く番だった。頬が紅を差したかの如く朱に染まり、次いで口元に手をやって、俯きがちに視線を逸らす。小さく首を傾げる様に、自身の反応に対する困惑が読み取れた。
「……こちら、こそ……?」
どう返していいか分からない、けれど何か返さなければ。そんなアリシアの感情が宿った返事を、この不可思議で暖かな、けれども何故か心地好い雰囲気からの契機にする。いつまでも浸っていたいという甘やかな誘惑を振り切って、ユンは正面からアリシアを見据えた。
ユンの纏う空気の変化を感じ取り、アリシアも視線を戻す。紡がれる声を静観する相貌に、先程までの紅潮は無い。
アリシアを待つ間に交わした話は、既に決着がついている。壁際に佇む鉄紺色と、椅子から見上げた黄金が空中で交錯したのは、一瞬。
「……レィリィンの属性は“雲”……オレは先程の戦闘の最中に、前の契約主の記憶を観た……」
精霊や幻獣、勿論魔物や魔族も、各々が属性を有している。現在確認されている属性の他にもまだ見ぬ属性が存在するか否かは、この場に載せる議題ではないが、レィリィンの属性が“雷”の上位に位置する“雲”である事実をまずは述べる。最も、先程の共闘でアリシアも悟っているであろうが。
制約の多少こそ属性によるが、相反する属性との対峙に因る不利有利は皆無。相性の良し悪しや力の均衡は、行使する者の練度で決まると言って良い。しかし、頂点と次点とに位置付けられている属性は存在する。それが、“大気”と“雲”だ。
現在確認されている属性は、火、水、氷、風、地に含まれる植物と音、光、闇、雷の上位属性である雲、そして、大気である。
大気を頂点とし、次点が雲。それは複数の属性を併せ持ち、尚且つ天気や気象までもを操作するかの如く特異性が故の位置付け。
水と氷が別属性とされる理由は、氷結の可不可。水属性は凍結させる術の行使は出来ず、逆に氷属性は流動する水を行使する事が不可能。この事象こそ、属性が複数の特性を有しないという事実の表れ。
その不文律を打ち破り複数の属性を有するのが、特殊と言われる地属性。複数の型が存在し、大地に類する“地”の属性には、根差す植物を操る“植物使い”と、振動に因って音を発生させる“音使い”も含まれる。
そんな特殊な属性ですら届かぬ、特異なる高みに至るが故に、大気と雲は其々頂点と次点という名の地位を得た。
「……やっぱり」
やはり予想していたようで得心がいったと示す為か、アリシアがこくり、と頷く。
よく知らぬ者からすれば、雷は光と似た属性と思われがちだ。だが実際は、光は陽光の特性であり、雲の下位属性たる雷とは成り立ちも特性そのものも異なる。
雷光の発生は、雲の付随物。そして雲が齎す恩恵と脅威は、当然雷だけではない。雨や霧、嵐に雪、霙に雹。風や水、氷にも通じるそれ等全てを、“雲”という名の属性が操る。恰も、否、事実天空に影響を及ぼす雲はしかし、現在判明している全ての属性を司る頂点、“大気”には遠く及ばない。
「……異能は“隠匿”……雲が太陽を遮り覆い隠すように、特定の存在を隠匿する……」
精霊術の行使の可不可は、この先のオレの研鑽次第だが、と。
それは人間にはまだ早い、と、アナスタシアが放った言葉。あの時行使した術は、確かに人間の身には余るのかもしれない。行使直後の肉体と精神の疲労は、恐らく術の持続に比例する。とすれば酷使は、確かに生命の危険を伴う可能性があるだろう。けれども発動出来たのだから、という思いも、確かにユンの裡にある。行使自体は決して不可能ではないのではないか、と。思いが無知か無謀か否かは、己が心身に問えば良い。
「……そこまで、あたしに話していいの?」
流水の如く淀み無き口調で続けるユンに、アリシアが問う。が、それこそ何らの問題も無いと言うかのように、ユンの回答は明快だった。
「必要だからこそ話した」
これからも共に戦う仲間だと。一度の共闘の機会が、二度と無いとは言い切れない。
「アナスタシアにも感謝している」
そもそもの契機は術の発動だが、話す事を決めたのはアナスタシアの制止が故だ。考える切欠と、その時間とを授けてくれた。
最大の敬意を示すべく向き直って頭を下げるユンに対して、アナスタシアが喉を鳴らす。瞬きの内に、雪豹の巨体は妖艶な美女へと容姿を変えた。蠱惑的は微笑には、嘲弄よりも慈愛が濃い。
『契約主が了承の上での行使であれば、妾も態々止めはせんわ……が、過分な精霊術は身を削る事、努々忘れるでないぞ……?』
「承知した」
まずは異能の行使を試してみようと思う、と、ユンは続けた。レィリィンと話し合い、決めた事だ。前の契約主は行使していたからな、と。
任務に関する報告も含めてブラッドレイ家へ戻ると伝えたユンに話の終幕を見て取って、アリシアも頷く。
「……最後に……今日は本当に世話になったな、アリシア嬢」
「ううん」
アリシアがふるふると首を振る。送る、と続いた言葉に、ユンは素直に甘える事にした。
「――書状の内容をお伝え致します」
口頭で申し訳御座いません、と告げるタニアに、アルフレッドは了承を示す。此方の方こそ戦闘に巻き込んで申し訳ないと言い掛けて、襲来した三つ首の魔族と眼前の女性との関係性を思い出し、踏み留まって口を噤んだ。
「……では、改めて……」
語られたのは遥か彼方――世に言う精霊大戦終決の後、ブラッドレイ家当主レナード・ブラッドレイの遺した手記の事。
厳重に保管されていた手記は、故に大切に保存されてきた事が明白であった。
「……〝ヴァレンティン家は血筋ではなく、森に棲まう精霊によって選ばれる、との事。当代と次代に血の繋がりはなく、故に記録と記憶の多くは精霊の語る言葉と共に口伝によって伝わると聞いた〟……」
イーサンの認めた書状の内容を違えぬように、タニアが紡ぐ。内容はシンクレア家での、あの御三家会議の際に、アルフレッド自身が議題の机に載せたもの。
確かに初代、フレデリックの手記はある。しかしヴァレンティン家は他家と違い、薔薇のマザーを筆頭として《不帰之森》の精霊達と代々契約を結んでいく。故にシンクレア家やブラッドレイ家のように、歴代の当主や家の者が文章によって記録と記憶を繋いでいくという習慣が薄い。
「……〝この度新たに発見された文献の中に、貴家の初代当主に関する内容が記載されていた旨をお伝えする〟……」
千年前の精霊大戦に於いて共闘し、けれど長き歳月の断絶に隔てられていた御三家の交流。その交流は、皮肉にも甦った魔王に因って復活した。縁と呼ぶより因果めいた何かを感じているのは、アルフレッドだけではない筈だ。
文献の内容はブラッドレイ家にとっても貴重なもので、譲渡は難しいが写本の作成であれば可能である旨をタニアは結ぶ。
初代当主の数少ない記録、しかも他家の者が記した文献であるならば是非お願いしたい、その返答を認める事を伝えながら、こんな時に戦争とは関係ない事を、と、少し申し訳なく思う。しかし逆に、こんな時でなければ文献は埋もれ、発見される事もなかっただろうとも思う。まだ完全に無関係と確定した訳ではないし、と。
それにしても、と、アルフレッドの裡で少しだけ思考が脱線する。この一連の遣り取りが、もっと簡単に行えるようにはならないものか。例えば互いの音声を直接飛ばせるようになれば、いちいち互いが互いの元へと文書を作成する手間も、互いを訪問する必要もないのにな、と。
書状を待つ間に彼女の様子を見ていたいと言うタニアに了承の意を示し、ついでにそんな便利な道具の存在を夢想して、アルフレッドは筆記具を手に取った。
上下しない胸元を、悲痛な思いで見詰めながら。
彼女の横たわる寝台の横で、タニアは未練に縛られるように、その頬へと手を伸ばす。感触が死者の冷たいそれではない事に、安堵と困惑が自身の裡で鬩ぎ合った。
お返事を頂いたら、すぐに帰還しましょう。イーサンに報告する事が増えてしまったわ。遂に自分は成し遂げた。これで皆の魂魄の弔いに……。彼女が心配、何故こんな状態に。でもいつまでも此処に居るわけにも。ブラッドレイ家の蔵書に何か解決の糸口は?復讐を果たした時、あなたもこんな気持ちだったの?こんなにも……。
「……駄目ね、落ち着かないわ……」
室内に落ちた声とは対極に、感情は潮騒めいて冷静になれない。波濤の如く勢いで形成される巨大な渦潮を、理性で以て帰還までには凪いだ海へと静めなければ。
壁際にひっそりと、恰も沈黙と硬直を友とするかのように無言、無音で咲く黒薔薇の精霊がゆっくりと瞬きして、その口から言葉を紡ぎ出す瞬間まで、タニアは彼女を見詰め続けた。
じわり、と。負傷した肩から溢れる血が、衣服を通じて手のひらに伝わる。
オスカーと満月が対峙する、戦場の支配者。沈黙と膠着は互いに不可侵条約を締結し、言葉と動作の両方を封じていた。
――……さて、どうしたものかな……――
この大陸は、魔族の脅威に晒されている。魔族とは、獰猛で危険な存在である魔物を使役する者達の総称であり、事実人々が魔族の使役する魔物に襲われる被害は多い。
この大陸には、精霊が存在する。魔物と違い全ての人に見える訳ではないが故に、精霊を見る事の出来る人々は〝祝福を受けし者〟と呼ばれる。その祝福を受けし者達の中で、〝精霊使い〟と呼ばれる人々がいる。精霊使いとは精霊と契約する事を、精霊自身から赦された存在である。契約を交わした精霊使い達は精霊術を行使出来るという権限を与えられ、この精霊使い達が精霊術を行使して、魔物を使役する魔族達に対抗している。
此処は、そんな世界だ。魔族と魔物の蔓延る世界の中で、人々は双魔共に脅えながらも悲劇に抵抗し、理不尽に立ち向かう。
懸命に、必死に抗う人々の中で、祝福者から精霊使いとなった者は、やがて戦闘へとその身を投じていく事になる。人間の身には過分な精霊術を行使して、世界と異界を繋ぐ者から、人の側に立ち魔物を屠り、魔族と対峙する者への転身。それは精霊使い達の指針であり、また、矜持でもあった。
その矜持を揺るがしかねない事実。精霊使いの家系から双魔を従え、率いる魔王が誕生してしまったという外聞の隠匿を、大罪に対する贖罪という名の宿命としてきたシンクレア家。
未だ謎多き魔物と、自尊心の強い魔族が服従し、頭を垂れる至高の存在。協調性も無く気位の高い魔族共を、唯一跪かせる魔王。
「……その静止は、何か策でもおありですかな?陣代殿?」
再戦の場を占拠する停止の腕を振り払い、満月が沈黙を破った。痺れを切らした、と言うよりは、純粋に問い掛けの色が濃い。
「……君達魔族は……いや、君は何故、魔王に忠誠を誓っているんだい?」
私利私欲無く誠の心で以て忠義を尽くす相手に対する感情とは、信頼、献身、恩義等が名を連ねるだろう。ならば何故、魔族は魔王にそれを抱くのか。
「……救済、ですな」
時間稼ぎ等という浅慮の末に放たれた言葉ではない事を、満月は相貌から察したのだろう。はぐらかすでも揶揄うでも無く、真摯な態度で返された言葉は容姿と相まり、恰も騎士の様であった。
「……それと、真実。我が王こそ、この満月が全身全霊で以てお仕えするに値する御方……ほかにご質問は?」
「……いや、以上だ。すまなかったね」
過去の行いは未来に生じる。シンクレア家と同様に双魔という存在もやはり、魔王に対して宿る業があるのだという事を確信する。右腕を掲げ開戦の意を示しながら、オスカーは初めて、テオドール・シンクレアという人物を意識した。
身体の動作が不自然だ。
憑依したロアの戸惑いが表層から伝播して、ヒューゴの裡で憤怒へとすり替わる。雷を纏った蹴撃に、自身の肉体が想像以上の負傷をしたという事実が、更なる感情の昂りを誘発した。
初撃と反撃、そして繰り出された追撃から、対峙する襲撃者の属性が“雷”である事は明白。いや、彼方にとったら、此方こそが襲撃者であると言えるのだろうが。
戦闘とは、互いに譲れぬ思想を抱えた上での行為。思想は理想であったり、信念であったり、正義と定めた何かであったり。時には願望の要求や、身の裡に巣食う野心、欲望であったりと様々だろう。どちらも互いに譲れないから争いの果てに勝敗を決し、己が思想を叶えんと他者の思想を踏み躙る。なんとも原始的で、愚かで、賢しく、故に生物的な行動であろうか。
この戦闘に於いての思想は、片や王命の遂行。もう一方はその阻止にあたる。ライリー・マークスという少年の殺害と防衛。二つの潮流は譲歩出来ぬが故にぶつかり合い、相手を呑まんと渦潮と化す。
「……首など容易く狩らせるものか……」
退かぬものかと意識を高めたヒューゴの精神に追随し、翡翠めいた双眸が恰も宝玉であるかの如く煌めいた。
揺蕩う波間に、ライリーは立っていた。
海岸や湖畔の波打ち際等ではない。色彩の認識出来ない海が、身体を攫うでも、呑み込むでもなく揺らめいている。
「……」
此処は一体何処なのだろうと、自分自身に問うより先に。脳裡を過るは、赤薔薇に咲き誇る精霊の言葉。
『この方は今、自身の内なる思考の深海を揺蕩っているのですわ……』
――……こころの、うみ……?――
自身の裡にある、迷いや葛藤。自身で向き合い、答えを出し、決断しなければならないものだと、マザーは言った。
「……っ!」
では自分の身体は現在、セオドアと同様に意識を落としているのだろうかと首を捻ったライリーは、揺らぐ水面に映し出された一人の少女に、視線と意識を奪われた。
紅茶色の髪は三つ編みに、翡翠の瞳が輝かしいその少女の背後に迫る闇色の獣――否、魔物の群勢へと。
世界には、理とやらが存在するらしい。それは時に真理とも、真実とも言い換えられるが、根源は同義である事実を真に解する者は少数だ。
己が身が理に反していると、朔は誰よりも理解している。おとなしく眠っていれば良かったこの身に、報いは何れ正しく降り掛かるのであろう。
人類の賞罰こそが、禍福に因る報酬と応報。果報であり災禍であるのだから。
【双魔の宿業】
【宿業の対極】
『……ライリー、さっきの……』
「気にしなくていいよ、ティティー」
『でも、』
「大丈夫。もう消えたから……」
『……うん』




