双魔の宿業編 第八話―愚か者の庵―
「こちら、こちら。こちらですよぅ」
声は、幼子特有の甲高さと、無邪気さを伴うものだった。
少々間延びした言の葉は、戦闘に於ける高揚の沈静化に遺憾無く手腕を発揮した。高らかに哄笑を響かせていたハロルドですら、毒気を抜かれたとばかりに動から静へと指針を移す。
セオドアの瞳が空を泳いで、無意識の内に声の主を捜して彷徨う。その行動に応えるかのように、再び声が耳朶へと至った。
「もっと下、下。下ですよぅ」
「……」
言われるがままに視線を落とせば、セオドアの足元に〝それ〟はいた。
人形だ。黄白色の布地二枚を縫い合わせ、綿を詰めただけの小さく簡素な〝人形〟は、丸い頭とふっくら短い手足を備えていた。が、人の造形を模してはいるが、お世辞にも精巧な作りとは言い難い。手足はあるがその先端には指はなく、服や靴といった衣類も、装飾品の類いも無い。頭には髪すら生やされておらず、人形、というより寧ろ、ぬいぐるみ、と称するべきか判断に迷う。
ただし、愛嬌がある、とは言っていいだろう。丸顔に縫い付けられているのは目と口のみだが、目は大きくやや垂れ気味で、口は三日月に似たふくりとした笑み。どこか間抜けな表情には敵意や攻撃性を封じ、代わりに柔和や癒しといった印象を与えられる。
そんな小さな人形が、小さな両足で小さな体を支えながら、小さな両腕をぐーんと伸ばして、ふりふりと振っていた。
「……ぇ?」
セオドアの思考が、意味がわからない、で塗り潰される。ハロルドが憑操術を解除して己が肉体の支配権を取り戻した事ですら、現在のセオドアには及んでいない。
――……なんで人形が動くんだ?……っていうか喋って……?――
疑問符が可視化出来るのであれば、自身の頭上には数多の?が茸の如く群生している事だろう。いや、確かに口は付いているが、あれは縫い付けられたもので動いてはいないし……っていうかそもそも声帯がないだろ、等とずれまくった思考が、直視する意味不明な現象から齎されたものであるのだと気が付かないまま、セオドアの混乱が加速する。加速に終止符を打ったのは、興醒めを雄弁に語る声。
『……ンだよつまんねェな。もう終わりかよ』
心底索然した、と貌に書いたハロルドは、空中で胡座を組んだ。横柄な態度が妙に似つかわしい精霊は、人間であれば疾うに舌を打ちそうだ。
不可思議な人形の出現に因って終結した戦闘の余韻を飲み下し、漸くセオドアの精神に余裕が生じた。その矛先は、ハロルドが放っていた言葉に対する問い掛けとして帰結する。
「……人形、って言ってたのは……?」
『あ゛?』
独言にも似た問いを拾ったハロルドから、煩わし気な返答が降ってきた。
『なんだよ、まだ視えてねェのか……』
ベアトリスならとっくだぜ、と。
不意に出された母の名に、セオドアの鼓動が跳ね上がる。見開かれた橙には頓着せずに、かつての先人は言葉を続けた。
『……まァ、アイツの場合は視るっつーより感覚で分かるっつった方が正しいけどな』
後裔はどっちかっつーとあの苦労人の血のが濃そうだもんな、等と話すハロルドに仄かな羨望が湧いてしまうのは、実子である筈の己よりも長い歳月を共有しているのだと突き付けられた気になったから。最も当のハロルドには、そんなつもりは微塵も無いのであろうが。というか、苦労人とはオスカーの事か。
思考が見当違いの方角へ飛び去る直前で、よく視てみろよ、と、軌道を修正された。指先が示す方向には、大地に伏した月長がいる、否、いた筈だった。
「……は?」
困惑は、意味を有しない音としてセオドアの口から生まれ落ちた。何故ならばセオドアの瞳が映したのは、五対の翼と細長い手足、純白の髪を投げ出した月長ではなく、薄汚れた綿人形だったのだから。
瞳が正しく真実を映しているのかと、自信を喪失しそうになる。が、ニールの放った攻撃を受け、月長同様傾覆していた筈の日長の容姿もやはり、同じく綿人形へと変貌している様を見れば、眼前の光景が真実である事は明白。
『滑稽だったぜ、人形ごときに膝なんか突いててよォ……』
それは、ハロルドが現れた時の状況を言っているのか。愉悦という名の標準装備を取り戻した精霊は、再び哄笑で以て場を支配する。そのいつもの嗤いに沈着したセオドアの精神が混乱の腕を振り払うと同時に、掟霊解放が解かれていたのだと思い至った。現状と乖離していた精神が、漸く追い付いた心地だった。無意識に安堵の嘆息が洩れる。
正直ハロルドが具現化した重鋼鉄鎖を、そのまま武具としてのみ使用してくれていたのは僥倖だった。属性を伴う技を繰り出されていたならば、間違いなく意識は落ちていただろう。
――……及ばないな、まだまだ……――
もう二度と見る事も、預けてもらえる事も無い母の背は、こんなにも遠いものなのか。失われた彼方へ馳せる思慕の念が懐古の翼を広げるより先に頭を振って、思考を意図的に切り替える。今考えるべきは眼前の人形と、この状況についてだ、と。
改めて視線を落とせば手を振る事に飽きたのか、人形はでんぐり返しをしていた。恐らく退屈しのぎの遊びに興じていた人形はセオドアの眼差しに気が付くと、取り繕うかのように咳払いをする。なんだか妙に人間くさい。おい、噎せるな。
「……それで?貴方は何者です?」
だから気管とかないだろ、というセオドアの思いと人形の咳きの間を縫って、完全に上半身を起上したニールが誰何の声を放った。セオドアと異なり、今だ金色の盾を具現化したままの姿には、光の聖霊が重なって見える。警戒を言外に宿すニールに、人形はちょこん、と可愛らしく頭を下げた。いや、当の人形自身は優雅な礼をしているつもりかもしれないが。
「わたしは番人。この愚人庵の、番人にございますよぅ……まぁ、人ではないのですが、便宜上番人と名乗っております……」
胸部か腹部が判断に苦しむ中間に手を当て、番人と名乗った人形が今一度頭を下げる。やはり優雅さとは程遠い。
「では、」
『……っつーかよ、』
更なる追及を仕掛けようとするニールを、ハロルドが遮った。
『そっちの坊主はいつまでへたり込んでんだ?あァ、立つ気力もねェのか?』
「――は?」
ニールの眉間に皺が寄る。深海の底を這うかの如く低い声には、苛立ちが多分に含まれていた。
両脚を欠損した相手に対する言葉にしては、いくら何でも常識が無い。が、如何に愉悦を是とする異端児とは言え、その発言には流石に違和感があり過ぎた。
「「!」」
その違和感が契機となって、同時に気付いた。失くした筈の、それの感覚がある事に。
互いにまずは自身よりも、相手の〝それ〟へと視線を注ぐ。夕暮れめいた橙色は両脚を、冴えた月光を思わせる銀色は両腕を。そこに認めた、互いに落とされた筈の手足は、一切の損傷も無いままに互いの肉体と結合していた。
「え、」
「これは……?」
斬断されたあの瞬間は、幻影であったとでもいうのか。確かにあれ程の創傷に対して何らの苦痛を伴わず、大量の出血に対して生じる肉体の不調や意識の喪失等は無かった。それこそが、偽りであったという証明が故だとしたら。
『だから言ったろ?面白ェ格好してんな、ってよォ……』
中空に座して哄笑を響かせる精霊は、滑稽だとも言っていなかったか。人形ごときに膝等突いて、と。自身と同色の夕暮れを宿す両眼で此方とは異なる光景を見ていたハロルドに、セオドアが解答を出すより早く、ニールから低い独言が落ちる。
「……虚像、だったという事ですか……」
屈辱に因る嫌悪の念を圧し殺せぬ、それは恥辱に塗れた呟きであった。
「――愚人庵とは、現実と虚構の社交場なのですよぅ」
綿の詰まった小さな手を振りながら、番人とやらが声を発した。どうやら自身に注目してほしい時に、この人形は手を振るようだ。
「現実と……」
「虚構……?」
間延びした声から其々拾い上げた単語が、ニールとセオドアの口を彩る。一方でハロルドは番人の頭をつついて遊び、やめてくださいよぅ、と、拒否の返事を貰っていた。
現実の対極を何と判ずるかは、個によって異なるだろう。理想と称する者もいれば、夢と呼ぶ者もいる筈だ。そして中には、虚構をあげる者もいる。
そういえば、と、セオドアは思い至る。日長と月長と名乗った二体の口上めいた言葉は、全て対極に位置すると言っていいものだったと。最果てと中枢。天と地。邂逅と別離。深遠と浅近。聖と魔。世界と異界、そして、淵と瀬。
ニールの脳裡に同様の思考が鎮座している事を覚れば、問いも当然同文となる。
「愚人庵ってなんなんだ?」
「愚人庵とは何なのです?」
その質問を待っていた、と言うかのように、番人の語勢が強まる。
「現実と虚構の社交場なのですよぅ!」
「「……」」
幼子が絵物語の英雄に憧れ、感情の昂りのままに発する歓声めいた言葉。だが聞きたい解答はそれではない。繰り返されただけの語句に、ニールの眉間に居座り続ける皺の深さが増していく。セオドアも気まずさに瞳を逸らした。本当に幼子と会話をしているようだ。
『もっと分かりやすく言えよ』
「あわわわわっ、離してくださいよぅ!」
どういう事かと思考の淵に沈む意識が、無理矢理引っ張り上げられた。番人を手に持ち、否、鷲掴みにしたハロルドの手の中で、人形がばたばだと踠いている。
「……ハル、離してやってくれ」
小さな手足で懸命に暴れる番人に哀れさを刺激され、セオドアは解放を訴えた。態々実体化してまでつついてみたり掴んだりと自由が過ぎる元異端児は、丸めた紙屑でも投棄するように人形を放って、つまり、と声を張り上げる。
『現実を侵す幻影だ』
「そのとおり!」
セオドアが手を差し伸べるより早く地に至った番人は、ころりと丸まり前転の果てに立ち上がって手を振った。どうやら退屈しのぎの遊びが、大いに貢献したらしい。
「この閉ざされた空間自体が庵の内部……此処で起こる事象は全部が幻影ですが、同時に現実でもあるのですよぅ」
虚構であり幻影であるが、現実と思うと現実の如く作用する。喪失したと認識すればそれが現実となるが、実際は幻影を見ているだけで、肉体に異常や苦痛は伴わない。作用するのは肉体ではなく精神の方。故に、事象を虚構と理解した上で見破れば、幻影という原点へと回帰する。これはそういうものなのだ、と。
「あなた方と対峙した人形は依代……不透明な可能性の一つから召喚された仮初めの御霊なのですよぅ!この庵の存在意義とは即ち試練。試練とは、己に打ち克つ事ですから」
「……その試練とは、先程の戦闘の事ですか?」
「そのとおり!」
試練とは肉体、もしくは精神、またはその両方を鍛える為に、己自身に課す困難。時には信仰心、或いは能力を高める逆境の儀式とされ、成功は向上や進化の糧となる。
番人の話す言葉の多くが理解出来ずに滞る中で、ニールが単語の一つを拾い上げて問い掛けた。肯定を返した番人は、両手を叩いてぽふぽふと柔らかな音を立てている。拍手のつもりだろうか。
己に打ち克つ事、という説明を支柱に思考すれば、日長と月長と名乗った二体とセオドアとニールの容姿の類似や、行使された術、不可解な発言に決着がつく。番人曰く、不透明な可能性の一つとやらから召喚された仮初めの御魂――依代である綿人形に宿った御魂は、セオドアやニール自身の魂魄なのではないか、という結論に。
不透明な可能性とは、未来を示しているのではないか、と。
「……僕が、あのような姿になる、とでも……?」
恰も魔族であるかのような、醜悪な容姿。
憤怒と屈辱に微かな絶望の色を混ぜたニールの呟きに、人形は、いえいえ、と、力強く首を振る。否定であろうがそんなに振ると首がもげそうだ。
「確定、確約……まぁどちらでも良いのですが、確かな未来は可能性ではなく必然、或いは運命と言い変わりますから……」
番人は続ける。確立された未来の者は、愚人庵には喚ばれない、召喚されるのは、あくまでも不透明な可能性の一つなのだ、と。
「世界とは、可能性の集合体なのですよぅ!」
可能性を四辻に見立てて、岐路に立った状態こそ、未来に対する分水嶺。右に曲がった先、左へ曲がった先、真っ直ぐ進んだ先、道を選ばず、道無き道へと踏み出した先、そして、進まずに元来た道へと引き返した先。その全てが別の可能性を秘め、異なる未来へと繋っている。
「……道一つで大袈裟な……」
「決して大袈裟ではございませんよぅ……」
随分と壮大な内容に、思考が伴わずに声が洩れる。セオドアの声を聞き取って、人形は再びもげそうな程激しく首を振ってみせた。例えば、と、続く声。
右に曲がった先で、新たな出逢いがあるかもしれない。左へ曲がった先で、何らかの事件に巻き込まれたら?真っ直ぐ進んだ先に待つ運命は、華麗かはたまた卑俗なそれか。道無き道へと踏み出した先で不慮の事故に因り死亡するという可能性。そして、進まずに元来た道へと引き返したならば、その全ての未来は、存在しないものとなる。
「事実、あなた方の父母が出逢い、契らなければ、あなた方は世界に存在しないのですから!」
「「!」」
選択肢の果てに見えるは、ある筈だった未来、否、あるかもしれなかった可能性へと至る道筋。
「――かつて〖エヴァンティユ〗の大聖堂……〝塔〟から外れた魔女の一人が構築した試練の場……愚か者の造りし庵……それが此処、愚人庵でございます……」
くすくす、と、それは嘲笑ではなく、慈愛の響き。
「……ですが、世界の全てを知る者は〝塔〟の番人、魔女達だけ……あなた方では至れぬのです」
まるで幼子のように笑いながらも老練なる翁の如く不可思議な雰囲気を纏いながら、番人を名乗る小さな人形は一方的に講義を打ち切った。これ以上は不要だと、もしくは分不相応だと突き付ける断絶に、聞き覚えの無い言葉や単語の意味を問う間も意思も根刮ぎ削がれる。
『……テメェ、』
「さて!!」
愉悦を消し去ったハロルドの声を綺麗に無視して、人形が小さな手をぽふっ、と叩く。
「あなた方の転移の理由は共鳴、同調、または連動でしょう。なに、原因なんぞ不明でも心配は無用ですよぅ!」
えいっ、と、甲高い声を発して、番人がぴょんっ、と飛び上がる。束の間の地上からの別離を経て小さな両足が着いた、刹那。地上を構成する全ての要素が、無音を紡いで崩落した。
「ぇっ!?」
「なっ!?」
『ッオイ!』
深夜の内包する暗闇の方が、まだ先が見通せたであろう。盲の主人たる真なる黒闇は顎門を開き、陥穽と化して発した驚愕ごと、セオドアとニールを呑み込んだ。
二人が落ち行く様を見届ける番人の顔は、相も変わらず、とぼけて愛嬌に満ちている。丸顔に収まる目も口も、当然ながら縫い付けられて動かない。柔和な癒しを湛えたままの表情で、只、幼子めいた甲高い声だけが、落下する二人の耳に届いた。
「――本日はご来庵頂き、誠にありがとうございます。またのお越しを、心よりお待ちしております……」
消失した大地と引き換えに齎された陥穽に、セオドアの身体が落ちて行く。
共に落ちた筈のニールの姿どころか、己の肉体ですら、黒闇に阻まれ視認出来ない。今自分は目を開いているのか閉じているのか、判らなくなりそうな程の闇が、終着点等ないのではないかという不安を呼び覚ます。その不安を、考える時間を与えられたと解釈する事で振り払い、セオドアは思考を続ける。
〖エヴァンティユ〗。大聖堂。〝塔〟と魔女。番人と名乗った人形が言った言葉の中で、それらは聞き覚えの無いものだ。人名、地名、通称、隠語や比喩表現。その何れかに属するものなのか、それとも全く別の何かか。一方的に打ち切られた時には、確かに喪失した筈の疑問。それは鎌首をもたげて脳裡を侵蝕するも、正解も知らぬ問題を抱き続ける無為も、同時にセオドアは理解している。
あの不可思議な場所と体験。あの場所で受けた攻撃は幻影であり虚構であっても、体験自体は事実であり現実だった。
だが、落下の速度に心身共に慣れる頃には、愚人庵も番人も、聞いた言葉も、優先順位が下げられていた。焦眉の急は咎人の間に侵入を果たした漆黒の襲撃者である、と。
意識が切り替わった瞬間に、眼下に届いた微かな煌めき。そして聴覚を占拠したのは、金属同士が激しく打ち付けられたかのような、かまびすしい衝撃音。
「――お兄様……!」
「!」
己の安否を気遣う声に涙の色が混じった響きが、ニールの覚醒を促した。開眼と同時に思考を巡らせ、自身の現状の把握に努める。仰臥する姿勢から起上すれば、此方に駆け寄り傍らで両膝を突いた妹が腕を広げて抱き着いてくる。
必死に縋り着くかのようなエルシーの身体が震えている。怯えと不安、心配を孕んだ震えを安堵へと変換する為に妹の頭を撫でていれば、全力で駆けて来ると判る足音が二人分。
顔を向ければ案の定、ルイとイルハンの姿が見える。どうやら此処は、戦場となってしまったが為に荒野と化した聖域のようだ。
自身はどれくらい、この場から離脱していたのだろう。あの二体の――蜘蛛型と蠍型の魔族は、どうなったのか。
「兄さん……っ!」
「……、団長、ご無事で何よりです」
兄を呼ぶルイの声の後方から、呼吸を整えたイルハンが続く。不測の事態、とは言え戦場からの離脱を詫びたニールは次いで、魔族との戦闘の顛末について報告を求めた。最も、現状の光景を鑑みれば、大方の予想はつくのだが。
「二体の……いえ、融合した魔族の征伐は既に完了しております……」
魔族が魔族を庇い、負傷し、庇われた魔族が、もう一体を喰らって一体の魔族となった、あの不可解な現象。その行動も、その結果引き起こされた事態も、全てがニールの理解の範疇を超えている。あれは一体どういう事かと考えたところで、理解の及ばぬ問題に対して、正答等出せる筈もない。
思考の淵に沈む間も無く、ルイから、あの、と、声が掛かる。
「兄さんは、今まで何処へ……?」
「……」
果たしてあの出来事を、どう説明したものか。だが、結局はありのままを伝える以外に、ニールに持ち得る返答はなかった。
跳躍と称するのが無骨に聞こえる程の優雅さで以て、ヒューゴの身体が中空を舞う。攻勢の意思に構えられた旋棍が、朔と名乗った漆黒の甲冑に肉薄し、旋回を配下に蟀谷に叩き付けられる。
「……ぐっ……!」
鋼鉄の武器と、甲冑と。金属同士が激突し、奏でられた衝撃音がけたたましく開戦を告げた。攻撃を受けた朔の身体は、今度は吹き飛ばされる事はなく。代わりに重厚に鎧われた足が、僅かに床面へと沈み込む。
強烈な一撃を惜しみ無く与え、その余韻に浸る事無く離脱する。慎重という名の皮を被った臆病が故、ではない事は、受ける朔が誰よりも理解していた。
追撃は立て続けに打撃を与えられる利点があると同時に、仕損じれば迎撃され、反撃の機会を相手に与える事になる。無論、反撃を許さぬ速度や腕力、技倆で以て圧倒する場合もあるが。
逆手持ちでの肘打ち、旋回から生じる遠心の打突。憑依した契約精霊は、愚直なまでの一撃離脱を繰り返す。それが此方の攻撃に転ずる隙を奪っている事を、完全に理解した動きだ。
「……」
が、怜悧に徹した戦闘方法とは裏腹に、翡翠の眼差しに宿ったままの剣呑な光は一向に衰える気配をみせない。どころか恰も、火焔の如く吹き上がる。どうやら契約主の方は、冷淡な口調の割に激情家であるようだ。
「……?」
防御を続ける肉体に、緩やかに、だが、確実に、僅少の異変が蓄積される。腕を広げ緩徐な抱擁を装った、それは重圧という名の緊縛。
――……重力使いか……――
初撃で此方を弾き飛ばす程の衝撃も、重力を操っていたが故。他の属性と比較して制約の多い重力は、掟霊解放に因って具現化させる武具から繰り出す技に名称を与え、属性の威力を増加する、という効果を付与出来ない。けれど、一切行使出来ない、という訳でもない。代わりに武具を当てた相手を、その重力を操作出来る特性を有する。弱くされれば吹き飛ばされ、強くされれば沈み込む。が、強弱の振り幅を一気に急上昇、または急降下させるには負担も大きく、連続の行使はほぼ不可能に近い。だからこそ、初撃以外は少しずつ操作しているのだろう。気付かれないように、という意図もあろうが。
恐らく相手は、此方が蓄積された重さに因って動作が鈍る瞬間を見定め、間髪入れずに決着の一撃へと転じるつもりだ。己でもそうすると思考を叩き出し、朔の口元が笑みに歪んだ。
――……浅はかな……――
理に反する己に対して、それが如何に無意味であるか教えてやろう。




