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次章―王の礎―




 自分が異端なる存在(モノ)である事実(こと)を忘却す(わすれ)る程の、暖かで穏やかな生(せい)。精神(こころ)とは、時に刺激も求めるが回帰するのは平穏であり、安寧が齎す幸福(しあわせ)は、どんな宝物(ほうもつ)にも優(まさ)る。しかし幸福(それ)はとても稀少でとても脆くて、どんなに大切にしていても、あっと言う間に他者に奪われ踏み躙られる。







 街に行くのを止めた。必要最低限の日用品は、既に揃え済みだ。食材は購入出来なくなるが、買うより以前(まえ)の生活に戻るだけ。姉上も納得してくれた。それが裏目になるなんて、考えもしなかった。

 自分達が、森林(もり)から出なくなった後。街に魔物が出現し、大きな被害があった事が決定打だった。膨張を続け限界にまで達していた異端者に対する恐怖は、魔物襲撃という針に因って遂に破裂へと至ったのだ。


 〝禍の子を……災厄を呼ぶ童を殺せ〟


 邪悪な正体が暴かれたから、街へと来なくなったのだろう。腹癒せに魔物を嗾(けしか)けて、街を襲撃させたに違いない。

 立派な根と葉を備え大木へと成長した噂は、恐怖(おそれ)の鎖に縛められた胸の裡で、真実に取って代わられたらしい。人間達は大義を得たりと農具や武器を手に取って、大挙し森林(もり)へと押し寄せて来た。

「……テオ君、人間(ひと)っていうのはね……」

 まだ、出逢って間も無い頃。自分の境遇を打ち明けた時に、姉上が言った言葉がある。

 人間とは、自らが正義を盲信し(しんじ)ている時にこそ、他に対して最も残酷で在(あ)れるのだ、と。

 団結した興奮が産み落とした暴徒。その中には、常連になった買い取り先の婦人もいた。旦那と息子を返せと喚いて、手には包丁を握っていた。




 森林(もり)が、群衆(むれ)に踏み荒らされていく。

 自分と姉上とを囲み込む精霊達が、何とか逃がそうとしてくれて。けれど。見えない、触れられない存在をすり抜けて、人数(かず)に頼った蹂躙が届く。

 精霊達が叫んでいた。泣いている存在(もの)もいた。その間を、縫うように駆け抜けた。罵声と怒号と、足音が追ってくる。待て、逃がすな、殺せと叫ぶ声の中には、聞き覚えのあるものが混じっていた。

 だが足は止めない。逃げなければならない。絶対に。捕まってはならないと、脳裡で警鐘が鳴り響く。全身が冷えきっているのに、繋いでくれた姉上の手だけが温かかった。

 足が縺れそうになる度に、姉上に強く手を引かれた。混乱と恐慌で呼吸は荒さを刻み、意思というより本能に因って、ひたすら足を動かし続けて。

「テオ君……ッ!!」

 いつも優しい姉上から、聞いた事の無い絶叫が放たれて。


 ――身体に温もりが伝わると同時に、見開いた視界が真紅(アカ)で染まった。


「……ッ!?」

 何が起きたのか理解出来なかったのは、ほんの一瞬。庇われたのだと直後に覚り、頽れる姉上を抱き締めた。

「っ、姉上!!」

 なんで。どうして。そればかりが思考を奪った。涙が溢れて止まらない。降雨の如く落ちる雫が、姉上の頬を伝っていく。

「姉上っ!姉上……ッ!」

 返事が欲しくて、微笑し(わらっ)てほしくて、只々必死にそれを求めて、姉上を呼び続ける。苦し気に顰められた眉。閉じた双眸。呻き混じりの吐息が酷く痛ましい。色彩と明度が喪失しているのではないかと錯覚する程目の前が不鮮明になっていくのに、姉上の身体を這い進み、溢れて流れる鮮血(それ)だけが、嫌味なくらいに鮮烈に焼き付く。

 すぐ傍ら(そば)で、複数の炎が爆ぜた。同時に響く煩い声(おと)と、不快な臭気(におい)に気を割く暇(いとま)等は皆無(ない)。目の前の現実が信じられない。信じたくなくて、何度も何度も姉上を呼べば、瞳がゆっくりと開かれた。いつもと同じ優しい表情(かお)に、蕩けそうな光を宿した、慈愛(いつくしみ)の眼差し。震える口唇が微かに開き、自分の名前が紡がれて。

「……よかっ……テオ、く……無、事……で……」

 かくん、と、姉上の頭部(あたま)が垂れた。

「……姉上……?」

 今度こそ、何が起きたのか理解不能で(わからなくて)、呼び掛けた声が掠れた。

「姉上?ねぇ、嘘ですよね?そうでしょう……?」

「……」

 呼べば必ず応(いら)えてくれる、優しい声音(こえ)が、聴こえない。

「……姉上……姉上……あねう、え……」

 ひゅっ、と、寒々しく咽喉(のど)が鳴る。嫌だ。こんな事実(こと)、解りたくなんて、ない。


「             ッ!!!」


 それでも理解する本能の配下(しもべ)が、迸る絶望を解き放った。







 声帯が弾け、心身が千切れる程に解放した筈なのに、枯れたのは涙だけ。虚無が飛来する肉体は唯一の最愛を抱き締めたまま、未だに鼓動を刻んでいた。

 森林(もり)は、まだ騒がしい。人間共が踏み荒らす無粋な異音(おと)に、一層の憎悪が募る。

「……?」

 傍らで草を踏み分ける足音(おと)。人間のものではない、獣のそれ。視線を遣れば、一匹の狐がいた。

 否、匹(ひき)より頭(とう)と数える方が相応しいだろう、一回り以上大きな体躯。長く美しい九つの尾を炎(ほむら)の如く揺らめかせるその狐の額部には、褐色の肌と射干玉の髪の美女(おんな)が埋め込まれていた。

 お立ち下さい、と、狐が言った。正確には、埋め込まれた美女の口が言葉を発した。

『他の人間共が近付いております、お早く……』

「お前か?」

 姉上を殺した奴等を焼いたのは、と。

 草むらに転がる、黒ずんだ複数の肉塊。周囲に散らばる、赤に塗(まみ)れた農具や武器。その中に見覚えのある包丁を認めるも、既に関心は失せていた。

 悪辣な臭気を燻(くゆ)らせる肉叢を顎で示せば、鋭利を宿す金眼が肯定の色を孕んで煌めく。

『是(はい)、勝手に無礼を……』

「いい、許す」

 再度、美女(おんな)の言葉を遮った。どんな原理かなんて、微塵の興味も無い。見えない、触れられない筈の存在が、人間に対して術(力)の行使が可能である事実(こと)。今は、それが分かれば、それでいい。

「――お前、僕に随え」

 奴等を、根絶やしにする。

「……だから、少しだけ待っていてくださいね?」

 抱き締めていた腕を離して、姉上の(大切な)お身体を横たえた。炎を纏う狐の巨体へ歩み寄れば、揺らめく炎(それ)が四肢を這い、やがて全身へと絡み付く。無論、熱さも不自由も無い。

 完全に包まれたと自覚すれば、目の前の景色が変化した。いたぞ!等と喚く声が喧(かまびす)しい。

「お前、名前は?」

『ジュディス、と申します』

「……そうか、」

 ではジュディス、焼き尽くせ。

『御意(はい)、我が君』

 そこから先は、火炎(ほのお)の饗宴(うたげ)。荒ぶり、躍動する火炎(それ)が、劈く悲鳴ごと人間共を抱き竦め、醜悪な(みにくい)肉塊(にく)へと変えていく。

 嫌だ。助けて。死にたくない。何らの意味も為さない、音の羅列。

 煩いな、と、思った。死に逝く姉上は、そんな事一言も言わなかったのに。

「この……っ、バケモノがぁァッ!!」

 憎悪を宿した高声は、すぐ様断末魔に変わる。何を言っているのか等と、問う暇(いとま)すら見つからない。仕方がないから、自問してみる。


――……バケモノ?バケモノは此処等の方じゃないのか……?姉上を殺しておいて……――


 自答は即座に弾き出された。あぁそうか、と、理解すれば、口唇(くちびる)が弧を描く。

 此処等が(・・・・)、バケモノ(・・・・)なんだ(・・・)。だって人間が、同じ人間(ひと)である姉上を殺せる筈ないじゃないか。

 姉上はバケモノに殺されたんだ、だから。

「……人間(バケモノ)はみんな殺さなきゃ……」







 漸く訪れた静謐に、意図せず安堵の吐息が洩れた。

 喧しく穢らわしい人間共を悉く肉叢(にく)へと変じたジュディスを伴って、姉上のところへ戻る。激しい炎は憤怒に猛り、愚かな人間共を呼び寄せ、生(せい)から終(つい)へと旅立たせ続けた。森林(もり)を踏み荒らす人間(バケモノ)共(ども)は火焔(ほむら)が全て焼き尽くし、もう誰も残っていない。

 横たえた身体を抱き起こし、抱き締める。冷たい感触、これが死した者の肌かと、遠くで思う。

「……姉上」

 堪え切れずに目を閉じて、やはり顔が見たいと瞼を開けば、

「――は?」

 見知らぬ場所だった。ジュディスがいない。抱き締めていた筈の姉上のお身体も、ない。

「……ッ!?」

 発狂し(くるい)そうになるのを、理性で以て何とか堪えた。口元を押さえて、声を留める。まずは現状の把握が先決(さき)だ。


――……何処だ……?此処は……?――


 其処は、かつての暗がりに酷似して、けれど、全く異なる空間だった。前方で揺らめく二つの灯りが、陰影を踊らせる。

 歩を進めても、明暗(あかるさ)は変化が(かわら)ない。やがて薄闇の彼方に到達すれば何処にでも有る植木鉢が置いてあり、そこから葉の無い蔓状の植物が、くねくねと伸びていた。蛇のように太い蔓は、にょろにょろぐにゃぐにゃ曲がりくねって、縋る木棒等一切無いのに自立している。枝分かれした先端には二つの角灯(ランタン)が釣り下がり、内部(なか)には蝋燭。どうやら角灯(あれ)が、二つの光源の正体のようだ。

 蝋燭に因る仄かな灯りで照らし出された植物には、到底たわわとは言い難い、慎ましい程に少量の果実が生っている。

 果実となれば、無論全部(すべて)がそう(・・)とは言い切れないが、収穫――延いては食を誘(いざな)う見目や香気が多い筈。が、これ(・・)はどうにも当て嵌まらない。恰も老婆の肌の如くに、しわちゃけた果皮。萎びて凹凸の目立つ林檎に似た赤黒い果実(それ)からは、酷く甘ったるい、胸焼けしそうな香りが漂う。

 だが、そんな異様な果実(もの)よりもっと異様なモノ(・・)が、蔓に巻き付かれ蠢いていた。否、蠢いて見えるのは、蝋燭の火の揺らめきが故だと信じたい。

 ――腕だ。まるで肩から切り落とされたかのような、真白く繊細な(ほそい)嫋やかな両腕(うで)が、蔓に捕縛さ(とらわ)れて揺れている。血の気の無い両腕(それ)に指先でひたり、と触れれば、吸い付くような冷たい感触。姉上に触れた今ならば判る。これ(・・)は本物の人間(ヒト)の腕だ。

「……」

 この腕は誰のものだとか、この植物は何なのかとか、そんな思考を根刮ぎ強奪する程に、強烈な芳香を放つ果実。手を伸ばしたのは無意識だった。本能と理性と、意思とが乖離し、ぐぢゅり、と、不快な音と共にもいだ果実(それ)を、そのまま口元へと運ぶ。果皮ごと果肉を頬張って、奇妙な食感に酔い痴れる事無く嚥下すれば、どろりとした果汁(しる)と果肉(にく)とが咽喉(のど)を伝って臓腑(ウチ)へと落ちる。

 食んだ事等、無い筈なのに。その果実は、湿った腐肉の味だと判った。




『――如何(いかが)されました?』

「!」

 ジュディスの声に、感覚が回帰する。視覚は森林(もり)の深緑(みどり)を映し、聴覚は葉擦れの音を拾う。嗅覚は草葉の青さと共に不快極まる異臭を吸って、両腕の触覚が姉上を抱き締める感覚を齎す。その中で只一つ、五感の内の味覚だけが、腐肉に囚われたままでいる。

「……僕は、どうしていた……?」

『急に一点を見詰めたまま、動かなくなってしまわれました』

 微動だにせずに固まって、呼び掛けにも応(いら)えなかったと答えるジュディスに、白昼夢でも観ていたのかと疑問が浮かぶ。にしては随分と現実的だったな、と。指先で触れた腕の冷たさも、もいだ果実の感触も、咽喉(のど)を伝った果肉の味も。

「……?」

 草むらの上に、銀色の球体が落ちていた。大きさは、子供なら両手で包み込める、大人なら片手でも持てる程度の。こんな球体(もの)有っただろうかと考えて、即座(すぐ)に無かったと否定する。屈み込んでよく見てみれば、球体は硝子製で、内部(なか)は砂時計のようだった。銀色に輝く砂が、片方に集まっている。

「これは……?」

 はたして〝コレ〟は、姉上のお身体に害為す物体(モノ)であるか、否か。確認す(たしかめ)る為にも、まずは触れてみる事にした。少し離れた場所(ところ)に姉上を横たえ、手に取ってみる。砂が落ちるように回してみても、内部は変わらない。銀砂(すな)は、一方に固まったままだ。

「っ!?」

 変化があったのは自分の方。〝コレ〟の名称(なまえ)、使用方法(つかいかた)、効力(ちから)に至るまでが全部(すべて)、一度に脳内に流れ込む。無理矢理与えられる知識に多大な負荷が掛かり、殴られたような衝撃の後、漸く静寂を取り戻す。

「これは……、」

 〝コレ〟は、銀の砂時計。何度ひっくり返しても、砂は絶対に流れ落ちない。時間(トキ)を計る物ではない。時間(トキ)を停める為の物。

 対象は所有者の任意のモノに限られ、それ(・・)は生物か非生物かは問わない。動物だろうと植物だろうと物体だろうと、発動した瞬間から、老化、劣化という絶対不可避の事象から解放される。但し、代償として所有者自身の肉体の成長、発育、発達も完全に停止する。世界の理を侵す者は、生物の理から外れるのだ。

 存外使えないな、と、胸中で落胆した。どうせ生物(イキモノ)の理から外れるのならば、姉上を生き返らせる能力(ちから)でも覚醒し(めざめ)てくれればよいものを、と。

「!」

 だがすぐに、その落胆は期待に玉座(せき)を奪われた。思考が瞬時に切り替わる。生き返らせる方法が無いと誰が決めた?こんな不可思議な効力(ちから)の道具が入手出来(手に入っ)たのなら、生き返らせる為の方法や道具が無いと決めつけるのはまだ早計だ(はやい)。

 ジュディス、と、狐の名を呼んだ。

「たった今、不可思議な現象を体験した……」

 あの暗がりの空間。植えられた植物と、生っていた果実。嗅覚を侵した芳香、もいだ時の感触、食んで伝った、腐肉の味。

『……それは、願望の果実かと』

 それは何であるかを問えば、埋め込まれた美女(おんな)が答える。

 願望の果実。強い願望(ねがい)を有する者の前に現れる、世界からも異界からも引き離された、亜空間の内部(ナカ)で育つ植物に生る実。対象は人間のみ。その理由、願望(のぞみ)をもつのは人間(ひと)の愚かさと夢に因る特権が故。果実をもいで喰らうと、真なる望み――願いが叶う。

「……つまりは〝コレ〟が、僕の願望(ねがい)ということか……」

 この狐は何処で、もしくはどうして、その知識を得たのか。疑問が表情(かお)にでも書かれていたのか、ジュディスは更に言葉を続ける。

『昔、とある人間から聞いた事です……が、今思えばあの女、人間(ひと)ではなかったかも知れません……』

 奇妙な綿人形を縫っていた、と語る口調に宿る、微かな困惑。それ以上は知り得ぬと察して、この会話を打ち切った。

「……姉上」

 横たえたお身体の、すぐ傍らに膝を突く。胸元に砂時計を寄せてみれば、見目に何らの変化は得られずとも、姉上の時間(とき)が停止し(とまっ)たのが解った。同時に己が存在が、理から外れた事も。


――……いや、そっちは元々かもしれない……――


 この忌まわしい力とやらが無ければ、隔離も、放逐もなかっただろう。だが、姉上にも出逢えなかった。しかし、姉上が死ぬ事もなかったのではないか。

 わからない。運命や宿命なんて。

 纏まらない思考のままで、姉上を抱え上げる。何処か安全な場所(ところ)へお連れしなければ、と囁く裡の声を聞き、あの白樹の元へ――二人の家へと戻り、けれど。

「……ッ!?」

 弾かれた。見えない障壁(カベ)でも存在するかのように、枝葉の伸びる下(もと)へと届かない。精霊達が周りを囲んでいる理由も、恐らくは同様(おなじ)だろう。試しに、と、砂時計を使ってみるが、結果は変わらなかった。

「……ならば、何処までも共に行(生)きましょう……姉上」

 正答(こたえ)等判らないが、白(この)樹の元へと戻れ(還れ)ないなら、もう此処には用は無い。名残惜しさが過ぎ去れば、いっそ気が晴れた。此の場所には、姉上との思い出が多過ぎる。

「――姉上。いつか必ず、貴女を甦らせてご覧に入れます……だからどうか、その時は……」


「テオ君えらい!良い子良い子!」


「……いつものように僕のこと、たくさん褒めてくださいね……」







 出逢いからのあの日々は、とても満ち足りて幸福だった。けれど、生涯と呼ぶにはあまりにも脆く短過ぎた。姉上の生涯(それ)はあんなかたちで、あんなにも無惨に奪われていい生(もの)ではなかった筈だ。

 生き返らせる方法を、必ず探し出すと誓った。何年掛かっても構わないと。己が生命(イノチ)の上限(かぎり)からは、既に解き放たれているのだから。




                    【王の礎】

テオドール・シンクレア〈Theodore・Sinclair〉

Theodore:神の贈り物

髪=黒色/瞳=真紅色/停止年齢=13/性別=男

長所:素直/短所:素直過ぎる




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