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要編  12 帰京



   シーン12 帰京


 「いらっしゃいませー」と要に言った富子にそっくりな面差しの1人娘・巴子トモコに、兄夫婦は店番とチエを頼み、要をともって近所の喫茶店に向かう。



 尾長商店を出る時、巴子が兄・久志に「おばあさんの面倒見るんだから、バイト代、上乗せだよ」と明るい声で言った言葉に、僕は家族内での母の立場を知った。兄さんをあんなに大切にしていたのになぁー、母さん。



 先頭で喫茶店に入った兄がカウンターにいた店主に「奥、奥を使わせてもらうよ」と母音を強調するように言い、「いつもの3つね」と頼む。奥とは隣のテーブルとのわずかな間を、中国製の山水画の衝立ついたてが仕切っているテーブルの事だった。衝立の色彩は色褪いろあせ、はめ込みガラスには油膜が浮いていた。それを見て、元は中華屋だったと思い出す。先代には可愛がられた。タダでその日の定食メニューを食べさせてもらった。



 そんなある日、カウンター席に座って青椒肉絲定食とラーメンを食べているのを母に見つかり、ツカツカと店内に入って来た母は「いやしい子だね」と言って僕にビンタを喰らわせ、それを厨房ちゅうぼうから見ていた店主は置いてけぼりの僕に「明日は裏口から入っておいで」と言い、奥の貯蔵庫のそばで食べさせてくれるようになった。あの食事がなかったら、今の体格にはなれなかっただろう。ふと思う。あの時の母の言い草、店主の態度、もしかすると、いや、きっとそうだろう。僕は父の血を引いていないのかもしれない。そう考えれば、父の僕への無頓着にも合点がゆく。今となってはどうであろうが・・どうでもいい事だ。



 コーヒーが来るまでの間、富子は、義理の姉は小さな声でよく喋り、店を建て替える時に電話したが連絡がつかず、建て替えを知らせる事ができなかったという話から始まり、



 母のっての希望で、やむなく新築したと言う。

 僕の財産分与は、ちゃんと税理士に相談してあると言う。

 今日、姉夫婦はお得意さんとゴルフ接待に出かけていると言う。



 最近、お天気が良くて洗濯物よく乾くという話に変わり、娘は良くできた子で跡をぎたいと言っていると自慢する。



 よく喋り、愛想の良い顔を絶やさない。



 なのに、こっちの近況は聞かず、

 触れずで、元より興味の無い様子だ。



 富子はコーヒーを持ってきた店主に「いつもありがとうございます」とニコニコと笑顔で言い、丁寧に頭を下げる。店主がテーブルから去ると、富子はコーヒーに砂糖3杯とクリミーポーションをたっぷりと入れ、ソーサーにのる白い陶器のスプーンを右手の小指を立てて摘み上げ、乱暴にかき混ぜながら、また同じ調子で話し始める。



 姉夫婦は別の場所で暮らしていると話しながら、スプーンをカップの内側にカンカンと打ち付け、左手でソーサーを持って胸元まで上げると、右手の親指と人差し指の指先でカップのを持ち、目を細めて美味しそうに飲んだ。そしてまた語り出す。



 尾長商店の3階から上は独身専用の貸部屋にしていると話しつつ、メニュー表に目をやり、手に取る。そしてメニューを思案しながら、そこの管理人を姉夫婦がしていると話した。



 「へー、今日は美味しそうね」と富子が呟いたのをキッカッケに、兄が富子の話を引き継いで、繁華街にあるからマンションはいつも満室だとか、国家公務員さん限定なんだとか、何かあった時に責任の所在に困らないからとか、この前ホールインワンして景品代が掛かったとか話し、父・尚徳ヒサノリが一昨年の暮れに突然倒れ、近くの病院に入院している事、余命はあとわずかだと医師に言われた事、尾長の土地、建物の名義は自分が社長を務める会社名義になっていると話し、最後に「心配するな、尾長の家は兄妹で守ってる」と締めくくる。



 その間、僕は時に富子のような笑顔を浮かべ、相槌あいずちを打ちながら兄が大事にしているマンションを、爆破してやろうかと考えていた。あの構造こうぞうなら建築ミスをよそおって、四方を内向きに倒すのは簡単だ。だが、それでは焼け太りになると思い、ライフラインに不具合を起こす方法が、いくつも頭に浮かぶ。・・何度となく・・・そんな馬鹿なことを考えながらやり過ごす。



 母と店主の事に今更ながらに気づいて、心が荒れていると他人事のように俯瞰ふかんで思う。



 兄が会社の名義にする前に承知してもらおうと、お前の携帯に電話したが連絡がつかなかったと、薄い貫禄かんろくを匂わせて言う。部隊員が登録している家族や知人から、本陣が管理している携帯に連絡が入れば、何処にいようが一報入る。それを知らない兄。それもそうだ。過去に連絡をもらった事も、自分から連絡したことも無い。お互い様だ。兄のいつわりを責める気もない。ただ、僕は家族の枠に入っていない。ただ、それだけだ。



 兄夫婦の様子にわかっていたとはいえ、失望の上に落胆が重なる。10代でやめたタバコが吸いたくなる。



  心情に、木枯こがらしが吹き出す。



 ニコニコとした笑顔を顔に貼りつけ、兄の顔を見る。ホクホクとえ、テカテカと光る顔は血色がよく、妻の富子に似ていた。



 富子が店主に手を上げている。



 僕の視線に気付いた富子は「忙しくて、朝ごはん食べてないのよ」と早口で言い訳し、兄が富子の横顔を見て「あれっ、昨日の夜、七兵衛寿司から出前してもらってさ、残ってた海鮮太巻き、朝食べてただろう?」と余計なことを言う。富子にひと睨みされた兄は「うぷん」と、とっさに喉を詰まらせた。それを尻目に「昼ランチのチキン南蛮3つ、お願いしまーす」店内に富子のよそ行きの声色がしとやかに響く。「自分は、さっき食べてきましたので」と言うと、「そうなの」と言った富子はなんだか嬉しそうで、店主に「ごめんなさい。お昼もう食べたって、2つにしてくださーい」と言い直した。



 僕に視線を向けた兄が母の近況を話し始める。この夫婦はナイスなコンビネーションだ。年月を重ねるごとに血筋は退化し、通常と入れ替わって家族の歴史を紡ぎ繋いでゆく。嫁は嫁でなくなり、主として君臨する。いつの世も時は賢い女の味方だ。



 去年の夏、電気代をけちった母は猛暑の夜、クーラーを入れず床につき、寝ている間に熱中症になって、それから頭の調子がおかしくなったと兄が言う。敏感な嗅覚が声に漂う陰鬱いんうつさを嗅ぎ取った。



 兄は僕の顔を見ながらコーヒーを飲み、母の病院通いと父の入院とで家計が大変だと語り始め、横に座る富子は合間に「ウン、ウン」と声に出して相槌あいずちを打ち、兄が「お前も国家公務員になって、安定した給与をもらっているだろう、それにまだ、お前は独り身だ。いくらか援助してもらえないか?」と若干張った声で言う。



 こちらの事を、何も考えていない。独身で子も無く、確かに独り身だ。それは何かあっても1人で、生きていかなければならないという事で、だからこそ、貯蓄は必要だ。それすら思いいたらず、お前は独身で、公務員だからと勝手なことを言う。馬鹿なのか・・能天気なのか・・幸せすぎるのか・・まさか、こんな時だけ、家族だからなんて、思ってないよな。最も僕には結婚する気も、子供を作る気もない。女は最凶な生き物で、家に繋がる遺伝子なんて悪夢でしかない。


 しかしながら考えたくもないが、先祖が残した土地、貯金、店の信用、両親の年金はハンパのないもののはずだ。まだ、足りないのか外道。



 その神経は、何処から来る。

 血の繋がりだけで、そう言える。浅ましさ。

 

 どう考えれば、そんなことを思いつく。

 狂ってるのか。



 己の保身と幸せ、安心を得るために、大切にしてもいない家族からむしる為に、無自覚な言葉を羅列られつさせ、自制を持たぬ、自己満足の美学を振りかざす。みにくい。そうやって、生きてゆくがいい。



 忘れていたはずの怒りが、込み上げる。


 いけない。


 この人たちは、家族という枠に入っているだけの他人。



 “捨てたのだ“

 そう思えば、怒りも湧かないはずなのに、殺してやりたくなる。



 僕の修行。家族という名の呪縛じゅばく。乗り越えて、この人たちに対して平静と寛容かんようとで接さなければ、また違う形で宿題という名の修行が天から下りてくる。いち早くクリアにしなければと、心がまたなげく。

 

 

 「わかりました。月5万振り込みさせて頂きます」とこたえると、兄よりも先に富子が「ホッ」と息をらした。兄も満面の笑みで「よかった。わかってもらえて、嬉しいよ」と口調を弾ませる。



 腐ったまなこのまま死ねよ、兄貴。

 あんたには、もう一生、修行の人生しか来ないだろう。



 両親が老後の身の保証を保険にたくし、売り上げの少ない月、姉と僕の給食費を滞納させ、その支払いにまわしていたのを僕は知っている。



 嫌になる。違う星の生き物に見える。



 「兄さん、ご存知の通り、僕は海外派遣される事が多い仕事です。あまり詳しくは言えませんが、その中には内戦状態の地域も含まれています。僕の賞恤金しょうじゅつきんと生命保険の受け取り人は兄さんにしてありましたが、賞恤金は隊を通して、どこかのアルツハイマー研究所に寄付するよう手続きし直して、保険金の受け取り人名義は母に変更します。複数の保険に加入していますから、1億は下らないでしょう。そうすれば兄さんも富子さんも、母に対する気持ちが、少しは変わるのではないですか。それから僕の財産分与は父が入院している病院に寄贈きぞうしてください。それは賢子サトコ姉さんに任せます」温和なトーンでなごやかに口にする。訓練を受けている僕には簡単な事だった。



 そして、右肩からタスキ掛けしていたボディーバッグをクルリと回してファスナーを開け、中から黒革の手帳とモンブランの万年筆、Vlctorlnoxのキーホルダーを取り出した。手帳から一枚を綺麗に破り取り、生命保険と財産分与の件を、スラスラと角を基調面にとって、青い文字で書き出してゆく。



 書き終えて、Vlctorlnoxからナイフを摘み出し、左手の親指に傷を入れ、尾長要と書いた横に血判を押す。



 親指をペロリとめ、ナイフを納めたキーホルダー、手帳と万年筆をボディーバックに戻し、指紋の無い広げた右手5本の指先で、メモ紙を上から押さえつけるようにして、テーブルの上を滑らせながら、ひっくり返して兄夫婦の間に置いた。



 兄夫婦はメモと僕の顔を白黒させた目で見るのに、忙しく。

 その顔を見て、気が済んだ。

 まだまだ僕は修行が足りないと思うが、左の口角が緩んでいた。

 きっとサラマンダーに似ているだろうと思い付き、打撃力満載の笑顔にしてやる。



 テーブルに伏せてあった伝票を手にして、椅子から音もなく立ち上がった。ゆっくりと一歩左横に踏み出して「宜しくお願い致します」2人に最敬礼する。今生の別れだ。さようなら。




 歩き出した僕に兄が「おい!」と声をかけ、富子は僕が書いたメモを両手で持ち読んでいた。カウンターに置いたチキン南蛮定食が2つのるお盆を、手元に引き寄せようとしている店主に会計を頼んで店を出る。



 父の入院している病院に行ってはみたが、父との対面をためらった。待合室の椅子に座り、考える。生い先が短いとも聞いた。きっと葬儀には参列しない。受付で父の名と自分の名前を告げ「何号室でしょうか?」と聞く。「少々、お待ちください」と言った事務員がパソコンを操作して、「申し訳ございませんが、届け出のない方との面談は、プライバシーを考慮こうりょしてお断りしております」と言った。「わかりました。よろしくお願い致します」と言って頭を下げる。



 ホテルの宿泊予約をキャンセルすると、キャンセル料金が発生した。支払った。



 車を駐車スペースから出し、ゲート前で一旦停止して、料金を計算しながらの管理人が「今度から前向き駐車でお願いします。あっ、レンタカーでしたね。県外の方だから、しょうがないか」と思い出したように言う。釣りをもらい「すみません」と謝る。高速を飛ばすが、事故渋滞にハマった。上着の内ポケットからスマホを取り出して、Britney Spears・My Prerogativeを流す。



 レンタカー店に車を返却して、新幹線に乗る。



 車内で自由席からグリーン車に自前で上編して、心身をねぎらい、赤く沈む夕陽に問いかける。なぜ、こうも身内に恵まれないのでしょうか・・と。実家に関われば、難をよぶ。神よ、そういう星の下にあるのでしょうか・・・と。


 

 アルファが待つ、東京に帰る。僕の居場所だ。




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