要編 11 帰郷
シーン11 帰郷
要と宗弥は陸上自衛隊・特殊戦群G分遣隊・チームアルファーに所属となってからも、毎年11月に行われる国防大学棒倒しを、海外派遣の合間を縫ってでも出来るだけ観戦する様にしていた。理由は参加者の特性、特質、気性、素養を見極め、特殊戦群部隊にリクルートする為と、もう一つ理由を上げれるとするならば単純にこの競技が好きだからだ。
2人はある学生に入学初年度から注目していた。国防大の成績はトップクラスで、小柄ながらも総重量70キロの装備を担いで3昼夜行軍に耐えられる骨格を持ち、柔軟性に富む筋肉を有していたからだった。“向いている“そう判断して要は本陣に推薦し、在学中にもかかわらず選抜訓練に参加させてfiveーstarを納めてはいたが、家族に対する身辺調査が長引いて本陣判断が遅れていた。何が・・引っかかっているのだろうか。下調べでは問題なかったはずだ。
要はその候補生の実家の様子を自分の目でも見ていた方がよいだろうと考え、帰郷を決めた。候補者の本籍を耳にした時から、衝動的な望郷の念が湧き上がってはいたと、その心理を感情の外殻から冷たく眺め、突き放して自分に帰郷を許した。
本陣に書類を提出して許可が下った翌日、朝1番の新幹線のぞみで広島に向かう。自由席車両の進行方向最後尾、2人掛け席の通路側に座り、要は車窓を眺めるわけでもなく、ホームで購入したサンドイッチを早々に食べ終わると足を組んで腕組みをし、瞑想の様な睡眠をとる。
広島に向かっていると、内心が浮き立つのを嫌ったからだ。故郷には、自分を認めなかった家族が居る。だから捨てた。この心をなんと例えればわかってもらえる。いや、そもそもそうだ。差別と優越感は太古の昔から存在する。戯曲の中で使い尽くされたストーリーの軸だ。太陽と雲、風だけが人類みな平等なのだ。
広島駅に降り立つ。駅前には知らないビルが建ち並び、どの地方都市とも変わりない景色が広がっていた。心をかき乱すものが消滅していた事に安心した。駅近くのレンタカーショップに足を向け、予約しておいた白のセダンを借り、広島呉有料道路に入る。運転しながら、右側に現れた広島湾をチラリと見たりもする。
仁保JCTに入ってコーヒーを購入し、運転席側のドア外に軽く腰を預けて、時間を掛けて飲む。要の脳は珍しく、思考するのをやめていた。顔にあたる海風の香りを含んだ光を、コーヒーを飲みながら心地良く受ける。日差しは柔らかく、固くなっていた気持ちが和む。
飲み終わって、呉市を目指す。右手に江田島が見え、そういえばファイターの出身校、自衛隊工科学校があったなとふと思い、アルファーメンバーは今回の帰郷をどう思ったのだろうと考える。
広島出身とだけ伝えているが、それ以上を話したことがない。毎回、誰かの故郷の話になると事情を知る宗弥がさりげなく話題を変え、メンバーも察してか、深く聞いてこない。
故郷はいつまでも自分を縛ると苛立った頃、呉市内に入った。候補者の実家を目指す。休山の登り口に車が入ると登るほどに道はクネクネと蛇行し始め、ここを徒歩で上がっていたのか・・と思いながら、中腹にあるはずの対向車スペースを目指す。今も変わらずにあったスペースに、サイドレバーを引き、ハンドリングとアクセルワークで一気にUターンさせて駐車する。思い通りに動いた車と停車位置に満足した。イライラ解消かと、行動を起こした後でそう気づく。
車を降りてボンネットに腰掛け、真っ直ぐに見下ろせる入船山公園、総監部、造船所をゆっくりと追って、瀬戸内海にたどり着く。子供の頃、眺めた景色と変わってはいなかった。今日の空は少し霞み、海面に立つ小波はウサギで、キラキラと輝き、飛び跳ねていた。
しばらく眺めて
帰ってきたと思う。
感傷のフタが開く前に吹っ切って、駐車スペースから町内へと続く、セメント階段を降りていく。
セメントの表面に滑り止め線が端から端まで入っている小道を、幼き日々、頭の中に作った地図を頼りに進んで、候補者の実家を見つけ出した。平屋で小さく、古く、屋根との境になっている白い壁影には、雨が伝ってできた黒ずんだシミがあった。それでも家全体の手入はよく行き届き、家の前の小さな畑にはネギ、大葉、大根が植えてあった。温かさが香る家だった。
要はその佇まいを眼前にして、あとは候補者の意思一つだと確信する。調査が遅れている理由は、本陣が他に人員を割いているからだ。何かが起こっている・・海外でか、国内か・・・帰京したら、コロンブスを訪ねよう。
来た道を戻っていると太ったねこが横切り、ねこは要を見て足を止め「にゃー」と一鳴きして、要の足元に歩み寄って来るなり、太った身体を擦り寄せて、また「にゃー」と鳴く。
立ったままの要が「食べ物持ってないぞ」とねこに言う。
ねこがゴロゴロと喉を鳴らす。
一時そうしていたが飽きたのか、丸い腹をユサユサと揺らして歩き出し、「おい、毛だらけになったぞ」と言った要はねこを見送り、微笑して車に戻ると呉市内に向った。ホテルに隣接する市営駐車場の奥を選んで、仕事の癖が出たと思いながら車を止め、ホテルに一泊の予約を入れてから、育ったレンガ通りへと歩き出す。
十数年ぶりの商店街は幾分かくすんで見え、当時の鮮やかな色あいはなく、商店がビルになった店、シャッターに売却看板が掲げられた店、昔と同じように盛況している店、商売を変えた店、平地になった店、それぞれに今の店主の手腕が刻まれていた。
ゆっくり、歩く。
実家だった場所に焦げ茶色のタイル貼り6階建ビルが、建築されているのに気づいて吸い寄せられたように近づく。通路中央で立ち止まり、正面から見上げると、祖父の代からの看板が掲げてあった。
店先に女客の面前に鉄鍋を片手で持ち上げ、商売している兄嫁・富子の栄養満点の背中を見つけ、要は何故か、その似ても似つかない背を見て母を思い出し、懐かしいと思い、近づくほどにそうか、立ち方が似ているからだとわかり、富子に「ご無沙汰しております」と声をかけてしまう。
突然の声かけに、これ幸いと思ったのか女客は「ちょっと考えます」と言って、富子に愛想笑いをして店から出て行った。
要は自分の予期せぬ行動に内心ギクリとしたが、もちろん表情には出さず、富子は店を去った女客の背に「あい、すいませーんーー、またお願いしますーー!」と大きな声を掛け、すぐに要を見て「いらっしゃいませー」と言って丁寧に頭を下げる。
顔を上げた富子は「今日のご入用は?」と問いかけ、何も言わず自分の顔を見ているお客を、内心で気持ち悪いと思いながらも「あのー」と言って面影をみつけた。
富子が上がりきっていた口角を下げ、不機嫌にも見える顔で「要ちゃん?要ちゃんよね!そうでしょうー!もう、やだー、連絡もしないで」と早口で驚き、一息ついて「急にどうしたの?」と神妙な声で聞く。
その物言いに要は胸騒ぎを覚えたが、おくびにも出さず、訓練通りの満点笑顔で「すいません。ホント連絡もせずに来てしまいまして、総監部に届けものがありまして、それを終えて、東京に帰ろうかと思ったんだけど、商店街を見たら懐かしくなって、プラプラと何となく歩いてたんですよ。散歩してたら、おばさんの姿がみえたもんで、ご挨拶したんです。お忙しいとこすみません。今のお客さん大丈夫だったかな」腑抜けのようにだらだらと言葉を続け、その間にさりげなく視線を巡らせて、奥の様子を観察する。
富子は「そうだったの」と気のない返事をするや、片手で鉄鍋を元の場所に戻し、要を頭からつま先までシゲシゲと見やり「元気そうで」と言って、左手を要の右腕に置いて上下させ「かたッ」と呟き、要の顔をマジマジと見上げて「大きくなって」と言った。
他意もなく要が「おかげ様で息災です。おばさんもお元気でしたか?店をビルに建て替えしたんですね」と言うと、富子は一瞬、顔をゆがませ、要に返事をしないまま身を翻し、店の奥に「あなた〜あなた〜〜あなた!要ちゃんが突然お見えですよ!!」声をクレッシェンドさせて響かせる。
店と家屋の仕切り戸がガラリと開いた。母、チエが立っていた。今年で確か、78。年齢よりも老けて見えた。さえないグレーの七部袖の膝下ワンピースを着た母が、僕の顔を見ている。表情1つ変えず、何も言わない。まあ・・そんなもんだろう。いつも先立って感じる勝ち気さは失われている気もするが、兄夫婦に店を預けて気が抜けたかと思いながら「お元気そうで、よかったです」と言って頭を下げた。
すると母は「まあまあ、大家さん。お久しぶりぶりです。この間、ご購入して頂きましたお鍋の使い勝手はどうでございます?」と僕に問いかけながら、いつものようにピシリと頭を下げ、しっかりとした足取りで陳列棚の前に行き、文化包丁の桐箱に両手を添えて取り出し、箱の向きを変えながら静々と戻って来た。桐箱を僕に差し出して、母が胴声のような太く濁った声で「どうぞ」と言った。
その母の顔を、ジッと見る。内心でハッとする。目が死んでいた。その目はただの空洞でポッカリと黒く、底無しを思わせた。我欲でこの世にしがみつき、半分あの世の眼差し。この人らしいと半ば納得しながらも、あとの半分で老いぼれるにはまだ早いだろうと思う。どこまで本気なんだと思いながら、母の手元にある包丁を見たら面白くなってきた。
そんな要を富子は母の姿を見て驚き、固まったと勘違いして要の表情を伺いながら「おかあさん、店に出て来ちゃあダメですって言ってるでしょう」と小さく叱り付けるように言い、店奥に「あなた!!」と言い放つ。
そしてチエの右肘を左手で掴み、奥に押し込めようとしたが、チエは要の前からガンとして動こうとはせず、なおも「この包丁、よく切れるんですよ。さぁ、どうぞ」と言って、両手で持った包丁箱をさらに差し出す。それを見た富子は「おかあさん!やめてください!」と言いながら箱を取り上げようとしたが、チエは富子を横目で見るや「試し切りして頂きます」と言って右手で包丁の柄を掴んだ。箱がパタンと音を立てて床に落ちた。
その箱の角がクシャと潰れたのを見た要は“ああ、そうか“と合点がいった。「では、これを頂戴いたします」と告げ、包丁の柄を握っている母の右手を右手で覆い、柄を握りしめている指を左手で解いていく。商売人にとって、箱に傷が入れば見栄えも価値も下がる。どんな時も、母はこんな事はしなかった。父に殴られた直後でさえ・・老いたのではなく、ボケたのだと悟る。
母のささくれてガサついていた手が、滑らかになっていた。それがまた悲しい。包丁を取り去る。すると母は「お気に召して頂けますやら、幸いです。どうぞ、よろしくお願いします」朗らかな表情で僕にそう言い、首を差し出すような姿勢になる。
哀れ。 残酷。 無情。
束の間、そうしていた母は僕に興味を失い、自ら店の奥に下がって行った。
富子は要の顔を見て、要は母の背を見送っていた。
母は戸口を開けたまま室内に入って行き、すれ違いざまの母を冷たい視線で見た兄は、僕を見るや「いらっしゃい!」と声を掛け、僕の左手にある包丁を見て「よく見つけられましたね。その包丁、天下一品!よく切れますよ〜お客さん」とよそ行きの声を軽快に弾ませた。
「兄さん、お久しぶりです。要です」と挨拶する。
兄はポカリと口を開け、駆け寄って来て、まじまじと僕を見上げた。




