第37話 大海原への挑戦 〜大洋横断とAI航法〜
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湊浦の軍港は、朝靄を黄金色に染め上げる旭光と、数万人の民衆が打ち振る小旗の海に包まれていた。
岸壁に横付けされた外洋蒸気船『開花丸』は、遠洋航海用の最新装備を施され、黒漆塗りの船体を誇らしげに輝かせていた。
天を衝く三本のマストには純白の大帆が巻き上げられ、中央の黒煙突からは、出航を待つ高圧蒸気がシュシュシュッと心地よいリズムで吹き上がっている。
岸壁の特設見送り台の上で、老中筆頭・西園寺正信が、愛娘の沙羅と宗介の前に立った。
正信は二人の肩に両手を置き、その鋭い眼を優しく細めた。
「宗介殿、沙羅。……この瑞穂国の名誉と未来を、そなたたちに託す。……無事に大洋を越え、世界の大地に我が国の誇り高き足跡を刻んでまいれ!」
「はい、父上! 瑞穂国の武士と民の誇りを胸に、必ずや大業を果たしてまいります!」
格式高い藍染めの大紋羽織に身を包んだ沙羅が、腰の愛刀に手を添えて凛と頭を下げた。
その隣で、宗介も力強く一礼した。
「行ってきます、西園寺様。開花丸の科学力があれば、いかなる荒波も恐れることはありません」
二人がタラップを駆け上がり、開花丸の船橋に立つと、からくり宗兵衛が真鍮の汽笛索を力いっぱい引き下げた。
――ボォォォォォォォッッッッ!!!!!!!
港中に轟く重厚な汽笛の咆哮。
岸壁の民衆から、地鳴りのような大歓声が沸き上がった。
「往ってらっしゃいませェッ!!」「開花丸萬歳! 宗介先生萬歳ッ!!」
スクリュープロペラが海水を力強く掻き回し、開花丸は白い波頭を蹴立てて、どこまでも広がる碧羅の大洋へと滑り出した。
――出航から十日後。
陸影は完全に消え去り、見渡す限り三百六十度、水平線と青空だけの広大無辺なる大洋の真ん中。
船内の士気は、これまでの人類の航海史にないほど極めて高く保たれていた。
大航海時代の船乗りたちを苦しめてきた二大脅威――『壊血病(ビタミン不足)』と『食糧・飲料水の腐敗』が、宗介の現代科学によって完全に根絶されていたからだ。
食堂では、乗組員やアカデミーの選抜生たちが、湯気の立つ温かい食事に舌鼓を打っていた。
「うめええっ! 十日経っても、この肉と野菜の煮込みは作りたてのように柔らかくて美味いぞ!」
「この万代屋の【高圧蒸留缶詰】ってやつは、本当に魔法の壺だな!」
宗介が指導した缶詰技術により、新鮮な牛肉、豚肉、タケノコ、根菜類が無菌状態で長期保存され、さらに深蒸し緑茶の粉末とレモン果汁を毎日摂取することで、乗組員のビタミンCは完璧に満たされていた。
さらに、ボイラーの排熱を利用した【海水蒸留淡水化装置】により、毎日何トンもの清らかな真水が船内で造り出され、船員たちは毎晩温かい風呂に入ることすらできていたのだ。
「ふふっ、宗介様。皆様、長旅の疲れどころか、肌の艶まで良くなっておりますわ」
朱色の小袖をまとった小夜が、淹れたての緑茶を宗介と沙羅の前に差し出した。
ふわりと漂う甘い茶の香りと、小夜の艶やかな微笑み。
「ありがとうございます、小夜さん。補給の心配がないのは、航海において最大の強みですからね」
だが――その時、宗介の耳元のイヤホンに、シズクの鋭い警告音が鳴り響いた。
『マスター、緊急気象警報。南東百二十海里において、巨大な温帯低気圧(洋上暴風雨)が急激に発達。中心気圧九百四十ヘクトパスカル。本艦の進行ルートを直撃する予測です』
宗介がスマホを操作すると、ブリッジの海図台の上に、青白い立体気象エコーが投影された。
画面には、荒れ狂う渦巻き状の巨大な嵐が、開花丸に向かって猛烈な速度で接近している様子が克明に映し出されていた。
「宗介、どうしたのじゃ!?」
沙羅が気付いて身構える。
「沙羅さん、宗兵衛さん! 前方に超大型の暴風雨です! 波の高さは四丈(約十二メートル)を超えます!」
「なにィッ!? 四丈の三角波だと!?」
宗兵衛が目を剥いた。
通常の帆船であれば、マストがへし折られて一瞬で転覆・沈没する絶望的な大嵐だ。
「ですが――恐れる必要はありません! シズク、嵐のエネルギーが最も弱い『北西の目視回避ルート』を割り出してくれ!」
『最適迂回ベクトルを算出。向かい風を受けつつ、スクリュー出力を全開にして波頭を斜め四十五度で切り裂けば、最小の動揺で暴風域を離脱可能です』
「全帆畳めッ! 機関全速前進――スクリュー最大戦速ッ!!」
ゴォォォォォォォッッッッ!!!!!
たちまち空は鉛色に染まり、天と地を揺るがす暴風雨が開花丸を襲った。
山のようにそびえ立つ漆黒の巨波が、牙を剥いて船首へと叩きつけられる。
だが――開花丸は逃げなかった。
多賀根山の高強度鋼で組まれた頑強な船体と、宗兵衛が鍛え上げた蒸気機関の圧倒的なトルクが、激浪をものともせずスクリューを高速回転させる。
ドバァァァァァァンッッッッ!!!!!
開花丸は巨大な白波を真っ二つに切り裂き、咆哮を上げて嵐の壁を突き破っていった。
シズクがミリ秒単位で指示する舵角と推力制御により、船体は一度もバランスを崩すことなく、完璧に荒波をいなし続けたのだ。
――そして、数時間後。
叩きつける雨風が嘘のように止み、雲間から眩いばかりの青空と太陽の光が差し込んできた。
鏡のように穏やかになった海原の上を、開花丸は傷一つなく悠然と進んでいた。
「……抜けた……! あんな化け物のような大嵐を……抜け切ったぞォォッ!!」
船員たちから、抱き合って歓喜する叫び声が上がった。
ブリッジの右舷デッキに出た沙羅が、潮風に濡れ羽色の黒髪をなびかせながら、水平線の彼方を指差して息を呑んだ。
「宗介……! 見よ、あれをッ……!」
茜色に染まり始めた東の水平線の彼方。
雲海を突き抜けるようにして――どこまでも広がる広大な新大陸の大地と、無数の白帆や大型船がひしめく巨大な港湾都市の陸影が、雄大に姿を現していた。
『位置測定完了。目標――ルーディス合衆国西海岸、国際貿易港【サン・ルーディス】。大洋横断航海、完全達成を確認しました』
シズクの誇らしげな報告が響く。
「着いたのじゃな……! 海を越え、異国の大地へと……妾たちの船が、辿り着いたのじゃ……!」
沙羅の瞳に、感動の涙がキラキラと光っていた。
彼女は宗介の手をぎゅっと握りしめ、太陽のような笑みを咲かせた。
「行こう、沙羅さん。……瑞穂国の文明開化の光を、この新世界に見せつける時です!」
「うむッ!!」
極東の島国から大洋を越えてやってきた、奇跡の蒸気船『開花丸』。
新世界を揺るがす歴史的な上陸劇が、いま始まろうとしていた。
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