第30話 対等なる夜明け 〜不平等なき平和条約の調印〜
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湊浦の特設迎賓陣屋に、夕暮れの穏やかな潮風が吹き抜けていた。
黒漆塗りの長テーブルの中央には、宗介がAIシズクの法理シミュレーションを駆使して作成した、真新しい【瑞穂・ルーディス対等通商修好条約】の草案が広げられていた。
羊皮紙に記された条文を食い入るように読み込んでいたペルリ提督は、何度も眼鏡の位置を直しながら、深く息を吐き出した。
「……信じられん。これほどまでに非の打ち所がない、完璧に均衡のとれた条約草案を……極東の地で目にすることになるとは」
ミリガン副官もまた、震える手で条文をめくりながら呟いた。
「領事裁判権を双方が完全に排除し、それぞれの国内法と裁判所を尊重する【司法主権の相互不可侵】……。関税率を一方的に固定せず、双方が自国の産業を守る権利を認める【関税自主権の保持】……。そして、片務性を完全に排除し、互いに等しい恩恵を与え合う【双務的最恵国待遇】……」
ペルリは顔を上げ、宗介をまっすぐに見つめた。
その瞳には、先ほどまでの傲慢さは微塵もなく、対等の大国の代表と向き合う一人の軍人・外交官としての深い敬意が宿っていた。
「ミスター・ソウスケ。……この条約は、我が合衆国にとっても、貴国瑞穂国にとっても、互いの誇りと主権を何一つ傷つけることのない、真の平和の架け橋だ。……我が艦隊は、全権委任状に基づき、この条約に署名する栄誉を喜んで受け入れよう」
「ありがとうございます、ペルリ提督」
宗介が礼儀正しく一礼すると、上座に座る全権大使・西園寺正信が重厚に頷いた。
「では、調印の儀を執り行う」
陣屋の中に、心地よい筆の擦れる音と、羽根ペンの滑る音が響いた。
西園寺正信が和紙の条約正本に黒々と墨で署名し、東条幕府の朱印を押す。
向かいの席で、ペルリ提督が羊皮紙の英文正本にインクの羽根ペンで力強くサインを走らせ、合衆国海軍の金印を刻印した。
そして――。
両国の全権の手によって、互いの条約文書が厳かに交換された。
『最終条項の確認。本条約は、瑞穂国将軍およびルーディス合衆国大統領・議会の批准を経て、正式に発効するものとする。……調印完了を確認しました』
シズクの澄んだ声が宗介の耳元に届いた瞬間、陣屋の外を取り囲んでいた何千人もの武士、職人、町人たちから、大地を揺るがすような割れんばかりの大歓声が沸き起こった!
「結ばれたぞォォッ!! 対等な条約だァッ!!」
「黒船の脅しに屈せず、我が国の主権を守り抜いたぞォォッ!!」
作造たちが涙を流して抱き合い、からくり宗兵衛が機関室のハッチから身を乗り出して拳を天へと突き上げた。
万代屋の小夜が、朱色の友禅染の袖で目元を拭い、満面の笑みで拍手を送っている。
ドォォォォンッ! ドォォォォンッ!
湊浦の台場と、沖合の合衆国艦隊の双方から、今度は互いの平和と友好を祝う【二十一発の祝砲(礼砲)】が、夕暮れの空へと高らかに轟き渡った。
七色の硝煙が茜色の夕焼けに溶け合い、海面を黄金色に染め上げていく。
その眩い光景を陣屋の縁側から見つめていた沙羅が、そっと宗介の隣に寄り添った。
潮風に揺れる濡れ羽色の黒髪から、ふわりと品のある白檀と甘い撫子の香りが漂う。
沙羅は宗介の手を優しく握りしめると、その大きな瞳から大粒の清らかな涙を零れ落ちさせた。
「……宗介」
「沙羅さん……」
「……あの日、緑川村の干からびた田んぼでそなたと出会った時……妾は、ただ目の前の民を救うことだけで手一杯じゃった。じゃが、そなたは……民の命を救い、土を潤し、鉄を溶かし、蒸気を走らせ、電光の如き通信を繋ぎ……そして今日、海の向こうの大国の脅しを退け、この国を真の対等な独立国として、世界の大海原へと羽ばたかせてくれたのじゃな……」
沙羅の声は震え、熱い想いが溢れ出していた。
彼女は宗介の手を自らの両手でぎゅっと胸元に抱き寄せ、月光よりも眩しい、心からの愛と尊敬の笑みを咲かせた。
「宗介……。そなたは妾の誇りじゃ。そして、この瑞穂国に生きる全ての民の、不滅の光じゃ……!」
「沙羅さん。俺を信じて、命がけで隣に立ち続けてくれたあなたがいなければ、俺は何も成し遂げられませんでした。……この平和は、沙羅さんと、この国の職人たちの魂が勝ち取ったものです」
宗介が力強く抱きしめ返すと、沙羅は幸せそうに目を閉じ、宗介の胸元にその温もりを預けた。
『マスター、生体パラメーター測定。沙羅姫の精神的幸福度、最大値を更新。……マスター、本当に素晴らしい夜明けですね』
(ああ……シズク、お前がいてくれたからこそだ。ありがとう)
夕陽が沈み、茜色の空に一番星が静かに瞬き始めた。
湊浦の海には、自作の外洋蒸気船『開花丸』と、合衆国の艦隊が、波間に仲良く並んで揺れていた。
武力と威圧の闇を打ち破り、科学と正義の知恵で勝ち取った、瑞穂国の完全なる文明開化。
歴史の歯車は、いま、真の繁栄と富国をもたらす『大通商時代』へと力強く回り始めるのだった。
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