第23話 波を裂く螺旋の翼 〜スクリュープロペラと進水式〜
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起工式から一ヶ月あまり。
湊浦の造船所には、昼夜を問わず槌音と蒸気の噴射音が響き渡り、乾ドックの底には全長四十メートルの壮麗な巨艦がその全貌を現していた。
船体は、漆黒の生漆と松脂を塗り重ねた樹齢百年の楠の外板に、純白の帯が一本、舳先から船尾まで美しく引かれている。
その船尾の船底――水面下に隠れるキールの直後には、黄金色に輝く三枚羽の【青銅製スクリュープロペラ】が据え付けられていた。
「宗介、見てみろよ! 旋盤と砥石で鏡面まで磨き上げた、魂の三枚羽だぜ!」
からくり宗兵衛が、油まみれの手で額の汗を拭い、誇らしげに胸を張った。
直径五尺(約一・五メートル)。
AIシズクが流体力学シミュレーションで算出した、水を掴んで後方へ爆発的に押し出す理想の三次曲面が、寸分の狂いもなく青銅の翼に再現されていた。
『プロペラ翼型スキャン完了。ピッチ角二十八度、三枚翼の質量バランス誤差――零点二パーセント未満。キャビテーション(気泡破壊)の発生を最小限に抑え、二百馬力の出力を余すところなく推進力へと変換可能です』
「完璧です、宗兵衛さん。機関室の二気筒高圧蒸気エンジンとボイラーも、すべての耐圧試験をクリアしました!」
そして――迎えた進水式の朝。
湊浦の入り江を取り囲む断崖には、老中筆頭・西園寺正信をはじめ、江都や近隣の港から駆けつけた数千人の民衆がびっしりと詰めかけていた。
上座には、艶やかな朱色の友禅染をまとった万代屋の小夜が、扇子を手に微笑んでいる。
ドックの最前列に立ったのは、純白の小袖に格式高い緋色の袴を身につけた沙羅だった。
濡れ羽色の黒髪には白檀の簪が挿され、その神々しい美しさに、集まった民衆から感嘆のため息が漏れる。
「――これより、瑞穂国初となる外洋蒸気船【開花丸】の進水式を執り行う!」
沙羅の凛とした声が岬に響き渡った。
彼女は手にした紅白の注連縄で飾られた神酒の木槌を振り上げ、開花丸の舳先に据えられた神酒樽へと力いっぱい振り下ろした。
パァァァンッッ!!
樽が小気味よい音を立てて割れ、芳醇な神酒が純白の船首を清める。
「水門を開けよッ! 開花丸、いざ大海原へッ!!」
ゴゴゴゴゴ……ッ!
ドックの外海を遮っていた巨大な木製水門がゆっくりと引き上げられると、太平洋の青い奔流がドックの底へと一気に雪崩れ込んできた。
ザバァァァッ! ザザァァッ!
水深がぐんぐんと上がり、三百トンの巨体がギィと軋みを上げた。
そして――何千人もの見守る中、開花丸は軽やかにドックの床を離れ、まるで命を得た白鳥のように、悠然と海面の上へと浮かび上がったのだ!
「浮いた……! 鉄骨を抱いた巨船が、見事に海へ浮いたぞォォッ!!」
「開花丸萬歳! 宗介先生萬歳! 沙羅様萬歳ッ!!」
数千人の民衆から、大地を震わせる万雷の拍手と歓声が沸き起こった。
作造たち大工は涙を流して抱き合い、正信は豪快に笑いながら拳を天へと突き上げていた。
――そして、正午。
宗介、沙羅、宗兵衛、作造、小夜を乗せ、開花丸の初試験航行が始まった。
機関室の奥深くで、石炭の火が赤々と燃え盛り、ボイラーの内圧が唸りを上げる。
『定格蒸気圧八気圧到達。主推進軸クラッチ、接続準備よし』
「宗兵衛さん、蒸気バルブ開放!」
「おうよッ! いっけェェェッッ!!」
宗兵衛が真鍮の主蒸気レバーを一気に押し倒した。
プシューッッッ! ……ドッ、ドッ、ドッ、ドッ、ドッ!!
二つの巨大な鋼鉄シリンダーが猛烈なピストン運動を始め、太いクランクシャフトが唸りを上げて回転した。
その回転が船尾のプロペラシャフトへと伝わり、水面下の青銅スクリューが猛烈な速度で太平洋の海水を切り裂く!
ゴォォォォォォォッッッッ!!!!!
船尾から真っ白な巨大な航跡波が噴き上がった。
次の瞬間――三百トンの巨艦が、まるで矢のように前へ向かってグンと加速したのだ!
「ひゃあっ……!?」「うわあああっ!?」
甲板にいた作造や船乗りたちが、凄まじい加速力によろめいて手すりにしがみついた。
ザバァァァァッッッ!!!!!
クリッパー型の鋭頭船首が、青い大波を左右へと真っ二つに切り裂いていく。
船首から舞い上がる白い飛沫が、真夏の陽光を浴びて七色の虹を描いた。
「は、速い……! なんて速さじゃ……!」
甲板の手すりを握りしめた沙羅が、目を見張って叫んだ。
「宗介! いま、海の上は強い向かい風(逆風)が吹いておるぞ! 従来の帆船ならば、帆を畳んで停泊するか、風に押し流されるしかないはずなのに……なぜこの船は、風上に向かって真っ直ぐに突き進めるのじゃ!?」
「それが、蒸気とスクリューの力です、沙羅さん!」
宗介は舳先に立ち、海風を全身に浴びながら叫び返した。
「風の向きも、潮の流れも関係ありません! 人が望む方向へ、どんな荒波をも蹴立てて突き進む――これが新時代の船です!」
『巡航速度測定――十ノット……十一ノット……十二・四ノット(時速約二十三キロメートル)を記録! 船体振動、許容値以下。極めて安定した滑走状態です』
「まあ……! 江都の千石船が三日かかる距離を、わずか数時間で駆け抜けてしまいますわ……!」
小夜が手ぬぐいで風を遮りながら、頬を紅潮させて熱狂した。
風を切り、波を蹴立てて疾走する開花丸の舳先で、沙羅がそっと宗介の隣に寄り添った。
潮風に吹き抜ける濡れ羽色の黒髪。
着物の袂から漂う、愛おしい白檀と撫子の香り。
沙羅は宗介の手をぎゅっと自らの両手で包み込み、どこまでも広がる青い水平線を見つめた。
「……宗介。妾は……いま、生まれて初めて『自由』というものを知った気がするのじゃ」
沙羅の大きな瞳から、感動の涙がひとすじ、風に乗って零れ落ちた。
「風に縛られず、海の掟に怯えず、己の力で前へ進む……。この船があれば……我が瑞穂国は、どんな大国の脅しにも屈することなく、胸を張って大海原へと漕ぎ出していけるのじゃな」
「はい、沙羅さん。この海は、誰のものでもありません。……俺たちの手で、この国の平和と未来を必ず守り抜きましょう」
「うむ……! 妾は、どこまでもそなたと共に往くぞ!」
二人は見つめ合い、七色の飛沫の中で、満面の笑みを咲かせ合った。
海を制する機動力を手に入れた瑞穂国。
文明開化の歩みは、いよいよ外圧の巨砲を凌駕する『最新鋭ライフル砲』の鋳造へと進むのだった。
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