第13話 守旧派の罠と、妖術師の濡れ衣
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神楽・千鳥上水の近代濾過池が稼働し、江都から疫病の影が完全に消え去ってから三日後の夜。
西園寺家上屋敷の離れにある宗介の私室では、行灯の柔らかな灯りの中、スマートフォンの青白い画面が淡く光を放っていた。
「シズク、江都近郊の多賀根山の鉄鉱石埋蔵量と、木炭高炉の熱効率シミュレーションを更新してくれ」
『了解しました。良質な磁鉄鉱および砂鉄の存在を確認。製鉄用送風機を水車動力化し、熱風炉(熱交換器)を導入した場合――鉄の精錬温度は千四百五十度に到達可能。従来のたたら製鉄と比較して、生産効率四・八倍、鋼の引張強度は三十二パーセント向上と試算されます』
画面上に展開される高炉と蒸気シリンダーの三次元モデルを見つめながら、宗介は小さく息をついた。
(衛生と水の基盤は整った。次は、この国を外圧から守るための『産業革命』――高純度製鉄と蒸気エンジンの開発だ)
トントン、と控えめなノックの音が静かな夜に響いた。
「――宗介、入ってもよいか?」
障子を開けて入ってきたのは、沙羅だった。
今夜の彼女は、動きやすい若草色の小袖に身を包み、手には湯気を立てる茶碗と、竹籠に盛られた俵おむすびを乗せたお盆を持っていた。
歩み寄るたびに、さらり、と絹擦れの音が鳴り、ふわりと品のある白檀と撫子の香りが部屋を満たす。
「夜更けまで精が出るな。……台所に頼んで、夜食を用意させておいたのじゃ。温かいお茶と、焼き味噌のおむすびじゃ」
「沙羅さん……ありがとうございます。ちょうどお腹が空いていたところでした」
宗介がおむすびを一口かじると、香ばしい味噌の風味と米の甘みが口いっぱいに広がった。
沙羅は宗介の正面に正座すると、心配そうにその顔を覗き込んできた。
「……そなたは、江都に来てから休んでおらぬな。民を救い、水を清め……その身を削るようにして働いておる。妾は……そなたが倒れてしまわぬか、心配でならぬのじゃ」
「大丈夫ですよ。沙羅さんや作造さん、小夜さんがいてくれるから、全然辛くありません」
宗介が微笑むと、沙羅はぽっと頬を染め、そっと自らの膝の上で拳を握りしめた。
「宗介……。そなたは、まこと得難い男じゃ。もしそなたに出会えておらねば、妾も、この国も……暗闇の中で押し潰されておったに違いない。……そなたのことは、何があっても妾が守る。この命に代えてもな」
真摯な眼差しで誓う沙羅の瞳は、月光のように澄み切っていた。
そのひたむきな想いに、宗介の胸がじんわりと温かくなる。
その時だった――。
『緊急警告。敷地外周より、赤外線感知にて熱源六体を検知! 接近速度毎秒四メートル、全員が抜刀状態です!』
イヤホン越しに、シズクの切迫した音声が脳髄を撃ち抜いた。
「――っ! 敵襲です、沙羅さん!」
「なっ……!?」
宗介が叫んだ刹那、庭の茂みを踏み砕く無数の足音と共に、離れの障子が一気に蹴破られた。
バァァァンッ!!
漆黒の装束に身を包んだ忍び三名と、抜刀した白刃を構える武士三名が、部屋の中へと雪崩れ込んできた。
先頭に立つのは、冷酷な吊り目の男――幕府大目付配下の組頭・斑目十兵衛だった。
「司馬宗介ッ!! 公儀大目付の命により、神妙にお縄を頂戴いたせ!」
「無礼者ッ! ここは老中筆頭・西園寺家の上屋敷ぞ! 公儀の技術御用掛たる宗介に、如何なる言いがかりで刃を向けるかッ!!」
沙羅が電光石火の早業で腰の愛刀を引き抜き、宗介の前に立ちはだかった。
だが斑目は下卑た笑みを浮かべ、懐から一枚の奉書を突きつけた。
「沙羅様、お退きくだされ! 土井大炊頭様より極秘の令が出ております! 『司馬宗介なる異邦人は、南蛮の妖術の板を用いて民を惑わし、幕府転覆を企む邪教の間者なり』とな! 直ちに召し捕り、伝馬町の牢屋敷にて厳しい詮議(拷問)を行う!」
「妖術使いの濡れ衣だと……!?」
宗介の目が険しく光った。
「問答無用! であえ、であえッ! 抵抗するならばその場で四つ裂きにいたせッ!!」
忍び二名が手首を翻し、宗介めがけて毒塗りの手裏剣を放った。
『弾道予測完了。マスター、左へ二歩後退! 指向性超音波スタンシーケンス起動!』
「シズク、最大出力バースト!!」
宗介がスマホを前方に突き出し、画面をタップした瞬間――。
キィィィィィィィィィンッッッッ!!!!
人間の耳の可聴域を限界まで刺激する、超高周波の指向性音響パルスが、部屋の中に爆発的に放射された。
「ぐあああああっ!? な、なんじゃこの頭を割るような音はァッ!?」
「め、目が回る……平衡が……立っていられんッ!!」
突進してきた忍びと武士たちが、三半規管を破壊され、刀を取り落として耳を押さえのたうち回った。
その隙を、沙羅が見逃すはずがなかった。
「――我が西園寺家の庭を汚す逆賊どもめがッ!」
沙羅の身体が、一筋の蒼い雷光となって疾走した。
神陰流の神速の抜刀――白刃ではなく、鞘のまま放たれた目にも留まらぬ連撃が、忍びたちの首筋と手首を次々と撃ち抜く。
バシィッ! ドカァッ!
「ぎゃあっ!」「ぐふっ……!」
瞬く間に忍び三名と手下の武士二名が昏倒し、畳の上へと崩れ落ちた。
残った斑目が狂乱の形相で刀を振り上げたが、沙羅の切先が、電光石火の速さでその喉笛の皮一枚のところでピタリと静止した。
「……動くな。神陰流の太刀、次は峰打ちでは済まぬぞ」
「ひっ……!? さ、沙羅様……!?」
喉元に突きつけられた冷たい切先に、斑目はガタガタと震え上がり、刀を畳に取り落とした。
宗介が歩み寄り、冷徹な声で問い詰めた。
「吐いてもらいましょうか。……土井大炊頭は、俺を捕まえて何を企んでいるんです?」
「ひ、ひぃぃっ……! 申す、申します……! 土井様は……明日の朝、江都城の大広間にて開かれる『老中・大名大評定』の場にて、貴様を妖術師として告発し、西園寺正信様ごと失脚に追い込む手はずで……! 今夜のうちに貴様を捕らえ、偽りの自白書を書かせる腹積もりだったのじゃ……!」
「父上ごと、謀略で潰すつもりじゃったか……!」
沙羅の切れ長の瞳に、烈火のごとき怒りの炎が宿った。
宗介は倒れた斑目を見下ろし、静かに、しかし鋼のような確固たる決意を込めて告げた。
「上等です。……沙羅さん、明日の大評定、受けて立ちましょう」
「宗介……?」
「守旧派がどんな詭弁や濡れ衣を並べ立てようと、俺たちが積み上げてきた農業・公衆衛生・近代工学のデータと実績は、絶対に嘘をつきません。……明日の評定で、土井大炊頭の謀略を、科学と論理の力で完膚なきまでに論破して見せます!」
「うむ……! 妾も、全身全霊をもってそなたの背中を支えよう!」
夜の闇を払い、いよいよ瑞穂国の権力の中枢・江都城大評定での全面対決の火蓋が、切って落とされようとしていた。
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