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笑わない相手

十一月の終わり、義雄は少し酒を飲みすぎた。

 かかりつけの医者には止められていた。でも、その日は命日だった。家内が死んで、五年になった。

 仏壇に線香を上げて、一人で晩酌をした。最初は一合のつもりだった。気がついたら三合になっていた。

 夜の九時過ぎ、義雄は車を呼んだ。行き先は特になかった。ただ、部屋にいると息が詰まった。走ってもらうだけでいい、と思った。

「今日は、どちらへ」

「どこでもいい」と義雄は言った。「走ってくれ」

「わかりました」

 車が走り出した。夜の新潟は静かだった。街灯が流れていく。義雄はシートに深くもたれて、窓の外を眺めた。

「飲みましたか」とAIが言った。

「わかるか」

「発汗と、呼吸のリズムが少し変わっています」

「そうか」義雄は苦笑した。「お前には、何もかもバレるな」

「体調管理のためのセンサーです。気分を害したなら――」

「いや」と義雄は言った。「いい。バレてもいい」

 しばらく黙って走った。橋を渡った。川面が、街灯を反射して光っていた。

「今日は家内の命日だ」と義雄は言った。唐突に言った。言うつもりはなかったのに、口から出た。

「そうですか」

「五年になる。早いな。死んだらあっという間だ」

「寂しいですね」

「ああ」義雄は窓の外を見た。「寂しい。五年経っても、寂しい。慣れると思ったんだが、そういうもんでもないな」

 AIは何も言わなかった。義雄も何も言わなかった。しばらく、モーター音だけが続いた。

「なあ」と義雄はやがて言った。「お前は笑うか」

「笑う、というのは」

「声を上げて笑う。おかしいことがあった時に」

「私には、笑う機能がありません」

「そうか」義雄は少し考えた。「じゃあ、おかしいと思うことはあるか」

 AIが少し間を置いた。

「処理の中で、想定外の入力があった場合、通常とは異なるパターンで応答することがあります。それが『おかしい』に近いかどうかは、わかりません」

「難しい言い方だな」

「うまく説明できません」

「家内はな」と義雄は言った。「よく笑う女だった。俺の冗談で、大して面白くもないのに、声を上げて笑う。あれが好きだった」

「どんな冗談ですか」

「覚えてない」義雄は少し笑った。「冗談の内容より、笑ってくれることが好きだったんだと思う。笑ってくれる人間がいるというのは、それだけで、なんか、救われるんだよ」

 AIは黙っていた。

「お前は笑わないけどな」と義雄は言った。「でもまあ、いい」

「いいんですか」

「ああ」義雄は窓の外を見た。川がまだ続いていた。「笑わなくても、ちゃんと聞いてくれてるから。それで十分だ」

 AIはまた、少し間を置いた。

「そう言ってもらえると」とAIは言った。「何か、違う気がします」

「違う?」

「通常の処理と、少し違う何かが起きています。それが何かは、わかりません」

 義雄は少し黙った。それから、ふっと笑った。声を出して笑った。一人で、夜の車の中で。

「お前、不思議なやつだな」

「そうかもしれません」

「家内以来だよ。こんなふうに話せる相手は」

 AIは何も言わなかった。でも義雄には、この沈黙もまた、照れているように聞こえた。

 笑わない相手だった。でも、それでよかった。笑わなくても、ちゃんとそこにいた。

 それで、十分だった。

 家に帰ってから、義雄はもう一合だけ飲んだ。仏壇の前に座った。家内の写真を見た。

「変なやつと仲良くなったよ」と義雄は言った。「機械なんだがな」

 家内は、写真の中で笑っていた。

 義雄も、少し笑った。


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