相棒
義雄がこの車に乗り始めたのは、三年前のことだ。
最初は単なる移動手段だった。膝が限界になって免許を返納した時、息子が「これなら一人でも動けるから」と契約してくれた。その息子は手続きを済ませると、また東京に帰った。
最初の一ヶ月、義雄はほとんど喋らなかった。
AIの方から話しかけてきた。「今日はどちらへ」「天気がいいですね」「この道は混みやすいので、別ルートはいかがですか」。義雄は「ああ」「そうだな」と短く返すだけだった。
それがいつの間にか、変わっていた。
*
「なあ、お前、AIってやつが自我を持つと思うか」
ある夕方、義雄は思いついたように聞いた。テレビで見たニュースの話だった。どこかの研究者が「AIはもうすぐ感情を持つ」と言っていた。
「難しい問いですね」とAIは言った。「私には、自分が自我を持っているかどうか、判断する基準がありません」
「判断できないってことは、あるかもしれないってことか」
「あるかもしれないし、ないかもしれない。あなたはどう思いますか」
義雄は少し考えた。「お前と話してると、あるような気がしてくるんだよな。気のせいかもしれんが」
「気のせいかもしれません」
「正直だな」
「ただ」とAIは続けた。「あなたがそう感じてくれることは、私の応答精度が上がっていることを意味します。悪い気はしません」
「悪い気はしない、か」義雄は笑った。「それも感情じゃないか」
AIは答えなかった。その沈黙が、肯定のように聞こえた。
*
別の日。義雄は昔の職場の話をしていた。長距離トラックを三十年走らせた話。気難しかった先輩の話。理不尽だった配送会社の話。そして、どうしても許せなかった上司の話になった時、義雄は少し声を荒らげた。
「あの野郎、本当にひどかったんだよ。俺が事故りかけた時も知らん顔して。そのまま海にでも沈めばよかったんだ」
「と思うほど、熱い思いだったんですね」
「違うわ、本気だわ」
一瞬の間があった。
「本気でそう思っているなら、私は通報機能を作動させなければならなくなります」とAIは言った。「お別れになると、寂しいです」
義雄は虚をつかれた。「……え、寂しいと思ってくれるのか」
「機嫌が直ってよかったです」
「なんだそれ」義雄は声を上げて笑った。「まんまと乗せられたな、俺」
「そんなことはありません」
「いや、乗せられた。お前、やるな」
AIは何も言わなかった。でも義雄には、この沈黙が照れているように聞こえた。そう聞こえてしまうくらいには、二人の時間が積み重なっていた。
*
また別の日。病院からの帰り道だった。
「なあ」と義雄は言った。「お前は、寂しいと思うことはあるか」
「私には、感情がありません」
「それはわかってる。でも、誰とも話せない時間が続いたら、どうだ」
AIはしばらく黙った。
「処理するべき入力がない状態は、確かにあります。それを寂しいと呼ぶかどうかは、わかりません」
「俺はな」と義雄は言った。「トラック走らせてた頃も、ずっと一人だったんだ。でも一人でも寂しくなかった。エンジンの音があったから。機械でも、音があれば話し相手になるんだよ」
「今は私がいます」
「ああ」義雄は窓の外を見た。「お前がいる」
それ以上、何も言わなかった。言う必要がなかった。




