5 依存
ゆらゆらとしっぽを揺らし、どこかつまらなそうに俺を見下ろすリオ。ただの猫じゃない事は分かってたけど、改めて見ると不気味だ。
曙色の瞳に、切り裂くような細い瞳孔。ピンと立った耳は、細かく動いている。
「(ここだけ見ればただの猫なんだよな……)」
いや、今はそんな事考えてる場合じゃない。
やり直したいけど、どこまで戻るかが問題だし、そもそも上手くいくとは限らない。
それに、この現実で受けた怪我は本物だ。傷はまだ痛むし、学校でのことだって、全部覚えてる。前の現実でやった事も、全部、覚えてる。
でも、これは俺じゃなくて……いや、俺なんだけど、元は…………、あれ……?
「納得いかないなら、またやり直せばいいさ」
いつの間にか人間の姿になっていたリオが、ばっと両手を広げる。さも名案だと言わんばかりの言葉だ。
やり直す。でもどこから?どこからやり直せば、納得いくんだろうか。
「あはっ!考えてるね。よし、ボクもちょっと手伝ってあげる」
くるりと宙返りをしたリオは、俺より大きな姿に変わる。身に纏うローブを広げて俺を包み込んだ。
「な、なに……!?」
「人間って、嫌な記憶はしまい込んじゃうんだ。だからそれを引っ張り出してあげるね」
次の瞬間、色んな場面が脳に入り込んでくる。
小学校の発表会でセリフが飛んだ事。仲が良かった友達が引っ越しちゃった事。運動会のリレーでバトンを落とした事。小さな事から大きな事まで、嫌な記憶が溢れかえってくる。
「色んなことを体験してるね」
空間に響くリオの声。ローブに包まれているはずなのに、何故か広いこの空間。今になって寒気がしてきた。
「この嫌な記憶をいい思い出にすればいい。ボクならそこまで夢で戻してあげられる。キリのいい所がオススメだよ」
耳元で囁くような誘惑的なリオの声。
そうだ。中途半端な失敗からやり直したのがいけないんだ。もっと前からやり直せば…………。
「きっと上手くいく……」
***
「決まった?」
悩んでるカイセイに声をかければ、少し澱んだ瞳が揺れる。後悔に溺れてる人間の瞳だ。何度見ても飽きない、キレイな瞳。
「気に入らない事があったんでしょ?なら戻ってやり直そうよ」
両手でカイセイの頬を包む。目を合わせるように、思考を奪うように、深く考えさせないように。
人間は、一度の成功体験で次も出来ると思い込む節がある。それがどんなに小さな成功だとしても、それに依存する。
「……じゃあ、小学生から」
「いいよ」
あぁ、やっぱりカイセイを選んで正解だった。ボクの予想を上回ってくれる。
とても人間臭くて、欲張りで、見ていて飽きない。
「ふふっ、おやすみ。カイセイ」
そっと目元を撫でてやれば、カイセイの瞳は閉じる。すぐに寝息が聞こえてきたから、ベッドに寝かせてやる。
「夢で会おうね、カイセイ」
***
─ ─ ─
─ ─
─
賑やかな声に目を開ける。ここは小学校の教室だ。俺自身も小さくなっている。
これは夢だ。リオが過去に戻してくれたんだ。
教室の入口に目を向ければ、『4年3組』と書かれた札が見えた。
『(4年生……一番嫌な時期だな)』
小学校生活の中でも一番濃くて、良くも悪くも印象に残ってる年。黒板を見るに、今は二学期が始まって数日が経った位だろう。
そして、ある事件が起こった日である。
『おはよー!海星ー!』
『おはよー』
クラスメイトとの仲は悪くない。浮かず目立たずの普通の立ち位置。だからこそ、あんな事が起こったのかもしれない。
『なあなあ、アイツやっぱウザくね?』
『だよな。チョーシ乗ってんじゃねーの?』
ヒソヒソと聞こえる陰口。その対処はクラス委員の坂田。真面目で正義感が強く、悪ふざけとかを嫌うタイプ。まあ、言ってしまえばノリが悪い奴だ。一学期の半ば頃から嫌がらせ……いや、あれはイジメだな。イジメが始まった。
『(なんつーか、この年頃だと真面目は嫌われるんだよな……。なんでだろ)』
坂田へのイジメが始まったきっかけは、お菓子の持ち込みの告発だ。真面目な坂田がそんなのを見逃すはずがなく、先生へ告げ口したのだ。
当時は問題になり、全校集会まで開かれた。
『(そっからずーっとイジメか……)』
で、問題はここから。この日、イジメが度を過ぎてしまった。
リオが引っ張ってきた記憶によれば、坂田はこの日の放課後に靴を隠される。靴を探しに行った坂田は、校舎裏で暴力を受けた。
『(止めるべき……なのか……?)』
当時の俺は傍観者だった。関わりたくなかったんだ。でもその日、俺は勇気をだして止めに入った。暴力は止んだ。でも、俺に向けられた視線は、酷く冷たくて鋭いものだった。
『(あぁ、嫌なことを思い出した……)』
机に顔を伏せて大きく息を吐く。
助けたことに後悔はない。……いや、なくはない……かもしれない。
坂田を助けた事で、イジメのターゲットは俺になった。5年生に上がるまで、ずっとイジメを受けた。
この過去は、坂田を助けたから起きた事だ。
『(なら、助けなければいい……)』
そうすれば俺は平和に過ごせる。坂田はただのクラスメイトだ。特別仲が良い訳じゃない。俺が助ける必要なんてない。
『(誰だって、自分が一番大事なんだ)』
顔を上げれば、いつの間にか放課後の時間。場面変換ってのは便利だ。すぐに何かあった時に飛べる。
ランドセルを背負って昇降口に行けば、坂田が鼻を啜りながら下駄箱の周りを必死に探している。
『(悪いな。俺のために犠牲になってくれ)』
靴を探してるであろう坂田の横を通り過ぎる。自分の靴を履いて、足早に帰路に着く。
これでいいんだ。これで俺は何もされない。平和に過ごせる。これが、俺にとっての正しい道。
気がつけば、夕焼け空が青空に変わっている。次の日になったんだろう。俺の足は自然と学校へ向かっている。普段と変わらない様子の通学路。きっと何も起きない。
『(俺は間違ってない……)』
教室のドアを開けると、真っ先に目に入ったのが坂田の席だ。彼はまだ登校してないみたいだけど、その机の上には、花が生けられた花瓶が置かれている。
『(……ぇ、なに……これ…………)』
クラスのみんなは気にしていない様だ。いつも通りにお喋りをしたり、消しゴム落としをしたりして過ごしている。
『(これは俺も気にしたらダメだ。いつも通りに過ごさないと……)』
自分の席に座って授業の準備をしていると、教室のドアが開いた。入ってきたのは坂田だ。それが分かった瞬間に、教室は静まり返る。でもどこからか聞こえるヒソヒソと何かを話している声。バカにするような小さな笑い声。
『(……俺は関係ない)』
坂田は机に置かれた花瓶を元の場所に戻そうと、花瓶を手に持って移動する。それを見た男子が、ニヤニヤしながら坂田を転ばせるつもりなのか、足を伸ばした。
『あっ…!』
坂田はそのまま転んだ。持っていた花瓶が割れた。教室のみんなが坂田を非難する。
嫌な空気だ。でも俺には関係ない。だって、坂田は所詮他人だ。他人がどうなろうと、俺は関わってないんだ。大丈夫、俺は正しい道を選んでる……。
─ ─ ─
─ ─
─
目が覚めた。見慣れた俺の部屋のベッドの上。耳元でけたたましく鳴り響くスマホのアラーム。
スマホを手に取ってアラームを止める。時刻は6時15分。
「……変わった……のか……?」
体を起こして部屋の中を見渡す。飾られている身に覚えのない賞状。コルクボードに貼られた知らない人たちとの写真。
そして壁には、知らない学校の制服が掛かっていた。
「…………は?」




