4 失敗
可笑しい……。可笑しいじゃないか……。だって、過去は変えたはずだ。志望校には✕✕高校なんて書いてない。なのに……、なのになんで……っ!
制服を思わず掴んだ。間違いなく✕✕高校の制服だ。胸ポケットの名札も、やり直す前と変わっていない。
「なんで……っ」
「あはっ!戸惑ってるね」
「リオ!」
ローブの姿のリオが、とても楽しそうに笑っている。目を細めて、小さい口を大きく開けて笑っている。
まるで……、まるで俺自身を、お気に入りのおもちゃとして、楽しそうに弄ぶ子供のようだ。
「あ〜!可っ笑しい!!カイセイ凄くいい反応するんだもん!」
「説明しろ!なんで何も変わってないんだ!!」
「……変わってるよ。よく見てみなよ」
突然、リオの表情が変わった。妖しい眼。薄く開いた口。そして、ゆっくりと制服を指さした。
それに釣られて視線が動く。よく見ると制服が汚れている。
嫌な予感がして、急いで机の傍に置かれている鞄に目を向けた。
「ぇ、なんで……」
鞄には落書き。中身の教科書やノートはボロボロ。鞄の中にはゴミまで入っている。
「ね、変わってるでしょ」
「変わっ……、いや……っ、なん……」
「よし、ここいらで記憶を渡しておくね」
「……ぁ」
忘れてた。記憶の受け渡し……。これ、この状況から考えて、嫌な予感しかしない。嫌だ。この現実の記憶なんて見たくない。
そんな願いとは裏腹に、頭に激痛が走る。知らない記憶。覚えのない記憶。嫌な記憶。痛かった記憶。苦しい記憶。そんなものが一気に頭に入ってくる。
「う…っ、くっ……」
「おー、意外と耐えれるじゃん。この現実では、痛みに慣れてるのかな」
そんなものに慣れたくない。そうは思っても、身体は慣れてしまっているのか、最初の時よりも痛みはマシだった気がする。でもその代わりなのか、胸が詰まるような苦しさがあった。
「……は、最悪な記憶…………」
「君が選んだことでしょ」
「もう後悔してるよ」
流し込まれた記憶に、翔太の姿があった。でもそれは俺の親友としてじゃない。俺の……俺の敵としての姿だった。
翔太を避けようとして別の高校を受けようとした。でも全て合格判定は低かった。担任との面談で勧められた✕✕高校。受験の日に出会った翔太は、笑っていた。
結果的に翔太と同じ高校に通うことになった。そりゃ、アイツからすれば面白いおもちゃが来た事に変わりない。
失敗したんだ。このやり直しは、失敗だ。
「なーんか落ち込んでるみたいだけどさ、早く行かないと遅刻するよ?」
「……わかってる」
汚れた制服を着て、ボロボロの教科書類を汚れた鞄に詰め込む。弁当は持っていかない。どうせ捨てられてしまう。
玄関に向かう足が重い。息が苦しい。腹が痛い。でも、行かないといけない。だって、母さんはなにも知らないんだ。心配はかけたくない。
「……行ってきます」
外へ一歩踏み出す。優しい風が頬を撫でた。いい朝だというのに、気が重い。誰にも会いたくない。通学に使うバスが苦痛でしかない。
「(俺、今日一日耐えられるのか……?)」
───
──
─
生き地獄というのは、こういう事を言うんだろう。賑やかな教室は、俺が入れば一気に静まり返る。どこからが聞こえる陰口。俺を嘲笑する声。
机には花が置かれている。教室に飾ってあった花瓶だ。
「(あぁ……、きついな……)」
込み上げてくるものを飲み込んで、花瓶を元あった場所に戻す。途中で足をかけられたけど、何とか転ばずに済んだ。……まあ、どこからか舌打ちが聞こえた気がしたけど、気にしない方がいい。
「よー海星。相変わらず暗い顔してんな」
「翔太……」
「昼休み、屋上に来いよ」
「……わかった」
嫌だ。行きたくない。でも断れば何をされるか分からない。怖いんだ。目の前の翔太が。前の現実では親友だったはずなのに、ちょっと過去を変えたらこうも変わってしまった。
なんでこうなった?なんで翔太は俺を虐める?理由が分からない。
「(苦しいな……)」
机に書かれた暴言。引き出しに入ったゴミ。教室の各所から聞こえる俺のであろう悪口。居心地が悪い。この場に居たくない。そう思っても、身体は動かない。
隣の奴とも目が合わない。この場に俺の味方は居ない。入ってきた教師も、机の落書きが見えているはずなのに、何も言わない。
「(教師なんて頼れない……)」
記憶上の俺は、何度か教師に助けを求めていたらしい。でも何も変わらない。いつしか諦めてしまったようだ。
───
──
─
茜色に染まった空が視界に広がっている。痛みで起き上がれずに、ただぼーっと時が流れるのを感じている。殴られた所が痛い。蹴られた場所が痛い。口の中が切れて血の味がする。
鞄はどこにあるんだろうか。早々に取り上げられたから分からない。
「(どこで間違えたんだ……)」
なんでこんな事になった?高校を変えようとしたから?でも変えなかったら、あのクズな性格になる。どこで間違えた?どこからやり直せばよかった?
そんな事を考えていると、視界に1匹の蝶が映った。青空を思わせる、透き通るような青色の蝶。ヒラヒラと舞うそれは、いつの間にかどこかへ飛んでいってしまった。
「…………帰ろ」
痛む体にムチを打って起き上がる。少し離れた所に投げ捨てられた鞄を拾って、学校を後にする。
早く帰って寝たい。リオに頼んでまたやり直しをしないと。今度こそ、今度こそ上手くやるんだ。
「(どこからやり直せばいい?また中学か?でもそれのどこから?後悔していればやり直せるって言ってたけど、どこにすればいい?)」
ずっとその事を考えていた。帰り道も、夕飯の時も、風呂の時もずっと。でも分からない。どこを変えれば……
「どーするの?カイセイ」
黒猫の姿をしたリオが、空中に座って俺を見下ろす。曙色の瞳が怪しく光っていた。




