3 異常
どうしてこうなったんだ……。
耳障りな汚い笑い声。あまり聞かない鈍い音。そして、微かに聞こえる鼻を啜る音。
「(俺は……)」
そんな音が聞こえても、誰も気にしない。地面に蹲る一人の男子生徒。制服は土で汚れている。近くに投げ捨てられた鞄は、中身をばら撒かれている。
「(なんで俺は……)」
教科書を踏みつける奴。鞄に落書きをする奴。男子生徒を踏みつける奴。どこからか持ってきたホースで水をかける奴。
地獄みたいな光景。それでも笑い声が耐えない。汚い笑い声だ。
そして────。
「調子乗ってんじゃねぇよ……。グズが」
その男子生徒を足蹴にしてそう吐き捨てる俺。ゲラゲラと笑う取り巻き達。
可笑しい。可笑しいんだ。本当はこんなこと楽しくないはずなのに、なんで……、なんで俺は……。
「(楽しいと、思ってしまうんだ……)」
───
──
─
「おかえり、兄ちゃん」
この現実を過ごして数週間。理生の存在にも多少は慣れてきた。ずっと人間の姿で過ごしているみたいで、家族とも普通に過ごしている。
「またそのゲームしてんの?」
「面白いから」
お気に入りらしいノベルゲーム。相変わらず何度とセーブをしていて、その慎重さに何故かイラついた。
「それより、この現実には慣れた?」
理生のその一言で時が止まった。時計の秒針が止まり、窓の外の小鳥は静止している。
コントローラーを置いた理生がその場で立ち上がると、くるりと宙返りをした。ローブを被った黒猫の姿になると、俺に近づいてくる。
「最初は戸惑ってたみたいだけど、今じゃ随分と楽しんでるみたいだね」
「別に楽しんでなんて……」
「え〜?自分より弱いやつを足蹴にして笑ってた癖に?」
息を飲んだ。なんで知ってるんだ……?こいつ昼間は理生として、中学に通ってるって言ってたのに……。
「面白かったな〜。放課後に校舎裏に呼び出して暴行?あははっ!典型的なイジメだね!」
「イジメ……って、そんなんじゃ……あれはただじゃれてて」
「出た出た!いじめっ子がよく言うセリフ〜!」
ケラケラ笑うリオに腹が立った。あれはイジメじゃない。あいつが調子に乗ってたから少しムカついて……。……あれ、なんで俺そんな事でムカついたんだ……?
「で、この現実は楽しい?」
柔らかい笑顔なのに、どこか冷たい温度を持たない視線。そんな視線を向けられて居心地が悪い。思わず目を反らせば、その視線を追ってリオが移動する。
「答えてよ。楽しい?」
「…………」
正直分からない。あの時は楽しいと思った。でも、冷静になるとそれが異常だと理解できる。それなのに、またやりたいと思ってしまう自分もいる。それも異常だということは理解している。
「あはは!面白い反応するね!」
「っ、何が言いたいんだよ」
「いや?楽しくないなら、またやり直しを提案しようかな〜って思っただけ」
「やり直し……?」
またやり直せる?こいつは何がしたいんだ。俺のやり直しで、こいつに何かメリットでもあんのか?
「やり直すって言ったって、どこからやり直すんだよ」
「キミがやり直したい所……。正確に言えば、後悔をした所から」
「じゃあ、昨日とか……今朝でもいいのか?」
「いいよ」
「小学生の頃とかでも?」
「キミが後悔してるならね」
都合が良すぎないか?いや、でもその話が本当なら、かなりチートじゃないか。間違えたらやり直して、最善の選択をすれば、人生勝ち組じゃん。
「じゃあ、高校を決める日でもいいの?」
「勿論だよ。後悔してるの?」
翔太と同じ✕✕高校を選ばなければ……。あいつらに出会わなければ……。そうすれば────。
「うん。その日をやり直したい」
「ははっ!分かったよ。じゃあ今夜……ね」
次の瞬間、時計の秒針が動き出す。窓の外の小鳥も、いつの間にか居なくなっている。
リオはくるりと宙返りをすると、中学生の理生の姿に戻る。何事も無かったかのように、ゲームを始めた。
「(これで、上手くいくはず……)」
─ ─ ─
─ ─
─
これは夢だろう。その証拠に俺は中学の制服を着て、中学の教室に居る。机の上に置かれている志望校のプリント。とりあえず、これにあの高校の名前は書かないようにしないと……。
『(とりあえず、比較的平和そうな高校を選んで……)』
中学の俺の学力は分かんないけど、多分大丈夫だろ。滑り止めも✕✕高校より少しマシな所選んでおけば大丈夫だ。とにかく翔太と離れて、あんな奴らとは関わらないように……。
『あれ、海星✕✕高校行かねぇの?』
プリントを覗き見た翔太が不思議そうに聞いてきた。でもまあ、同じ高校行こうみたいな約束はしてなかったし、別に問題は無い。
『あぁ、母さんがもうちょっと良い所行きなさいって』
『ふ〜ん。俺どうしよっかな〜』
どうにか翔太には志望校を見せないようにして、先生に提出。あとは受験に受かるだけなんだけど、さすがにそこまでは出来ないってリオに言われたからな……。
『(まあ、大丈夫だろ。元の現実では○○高校行ってた訳だし)』
そうこう考えていると、身体が浮かぶ感覚に襲われる。周りの風景が歪んでいく。遠くから猫の鳴き声が聞こえてくる。それは、少しずつ近づいて来る。
『さあ、お目覚めの(現実に戻る)時間だよ』
リオの声だ。その事に気がつくと、ふわりと浮かぶ感覚が強くなる。段々と上がっていく身体。眩しくなっていく風景に、思わず目を瞑る。
─ ─ ─
─ ─
─
「……ん」
目が覚めた。身体を起こして部屋を確認する。
コルクボードはない。棚にフィギュアは飾ってない。上手くいった。あんなクズな性格の俺じゃないんだ。きっとアイツらとも縁が切れてるはず。壁には別の高校の制服が掛かってるに違いない。
そう思って、視線を壁に向けた。そこには────。
「…………ぇ」
✕✕高校の制服が掛かっていた。




