28ままならないこと
メルベルト公爵夫人に、本当はリディアが少しは勘違いしてくれても良いのにと思っているんじゃないかと問われたフィリックは、一瞬だけ固まるとすぐにそんな馬鹿なと言わんばかりな顔をした。
「どうしてそう思われたのかはわかりませんが、そんなことは思っていませんよ」
「そう?まああなたがそう言うならそれを信じましょう。でも……自覚があるにしろないにしろ、深入りしすぎないことね。あなたがつけ入る隙はなさそうだもの」
メルベルト公爵夫人の言葉に、フィリックは一瞬表情を固まらせるが、すぐにいつもの柔らかな微笑を浮かべた。
「重々承知していますよ」
それは吹っ切れているようでどこか少し寂し気に見え、メルベルト公爵夫人は扇で口元を隠す。そして、やれやれといった様子で小さく呟いた。
「人の心を掌握するのが得意なあなたにも、ままならないことがあるのね」
*
「どうだった?メルベルト公爵夫人は」
リディアとディールが帰宅すると、先に仕事を終わらせ待っていたアレンが食い気味に聞く。
「とても優しい方でした。加護無しの私に対しても差別したりせず、むしろアクセサリー作りの才能があるのだから誇るべきだと言われてしまいました」
リディアがそう言って眉を下げて微笑むと、アレンはなるほどな、と頷く。
「噂に聞いた通りの方だな」
「あの、それで、メルベルト公爵夫人から言われたことがあるのですが……」
少し控えめにリディアはそう言ってアレンを見る。その様子を見て、アレンは首を傾げながら優しく微笑んだ。
「どうかしたのか?」
「今はまだ、アクセサリーの制作者が私だと言うことは伏せています。ですが、メルベルト公爵夫人は自分が後ろ盾になるから、公表しても良いのではないかと」
アレンの反応が気になるが、果たしてなんと言うだろうか。もしも駄目だと言われたら、リディアはどうすべきかと頭の中で考えていた。
「なるほど。それで、君はどうしたい?」
否定するでもなく肯定するでもなく、どうしたいのかを聞かれたリディアは、まさかの質問に面食らう。
「えっと、私の気持ちですか?」
「ああ、アクセサリー作りは君の仕事だろう。君の思う通りにしたらいい。君が本心からしたいと思うなら、俺はそれを応援するよ」
アレンにそう言われ、リディアはぽかんとした顔でアレンを見つめた。
「なんでそんな顔してるんだ?……まさか、俺が反対するとでも?」
「あ、いえ、思っていたよりもすんなりと応援されたので、面食らったといいますか」
「そんなに俺は君のやることにいちいちケチをつけるような男だと思われていたのか。悲しいな」
さもショックだと言わんばかりの顔でアレンは悲しげにため息をつく。
「なっ、そんな!そんなこと思っていませんよ!ただ、意外だっただけで……」
慌ててリディアが否定すると、アレンはフッと小さく微笑んだ。
「あの商人が気に食わないだけで、俺は君のアクセサリー作りに関しては本当に心から応援しているんだ。だから、君の思う通りにしたらいい。それを俺はいつだって応援する」
アレンはリディアの片手をそっと掴み、真剣な顔で言った。
(私の気持ち……)
自分は一体どうしたいのだろうか。メルベルト公爵夫人に言われた時、驚きが大きすぎてそれ以上の気持ちはよくわからなかった。リディアが真剣な顔で床を見つめていると、リディアの片手を掴むアレンの手の力が少しだけ強くなる。
「急に言われて自分の気持ちがまだよくわからないんじゃないか?すぐに決めろといわれているわけじゃないんだろう?だったら、よく考えてみるといい。焦ることはないさ、後悔しないことが一番だ」
「アレン様……」
まるでリディアの心を読んだかのようなアレンの発言に、リディアは驚く。だが、嫌な気持ちにはならず、むしろなんだか嬉しく感じてしまい、思わずフフッと微笑んだ。
「リディア?」
「……ふふ、すみません。なんだか夫婦みたいだなと思って」
「っ!?俺たちは夫婦のはずだけれど……」
アレンが動揺したように言うと、リディアはアレンを見てはにかむ。
「ついこの間まで全然夫婦らしくない夫婦だったのに、まさかアレン様とこんなふうに夫婦らしい会話ができると思わなくて……なんだか、嬉しいんです」
そう言ってふんわりと微笑むリディアの表情に、アレンの心臓はドンッと大きく高鳴った。二人の様子に、近くにいたディールは喜びで思わず笑みが漏れる。
「リディア……そんなふうに思ってくれたなら、俺も嬉しいよ。とっても嬉しい。嬉しくてどうにかなりそうだ」
そう言って、アレンは握っていたリディアの手を持ち上げ、そっとキスをする。リディアを見つめるアレンの瞳は、燃えるような熱さを宿し、まるで溶かされてしまいそうなほどだった。
(アレン様……!)
リディアは恥ずかしくなって思わず目を逸らす。すると、アレンはふと何かを思い出したように目を細める。
「そういえば、あの商人はリディアに触れたりしなかった?何かおかしな行動はとらなかったか?」
「おかしな行動って……フィリックさんはそんな人ではないと言いましたよね?別に何も……」
そう言ってから、ふとリディアはメルベルト公爵邸でフィリックに手を握られたことを思い出した。あの時はメルベルト公爵夫人の話に驚いて気にしていなかったが、仕事の最中にフィリックがリディアに触れることは珍しい。しかも、メルベルト公爵夫人の目の前でだ。
リディアの様子がおかしいことに気付いたアレンは、険しい顔でディールを見る。ディールは慌てて否定するように大きく首を振った。
「俺が見ている時はおかしな行動は何も……まさかリディア様、俺の目の届かないところであの男に何かされたのですか?」
ディールも厳しい表情でリディアへ問いただす。
「そんな……!二人とも怖い顔しないでください。フィリックさんはおかしなことは何もしていません」
「だが、何かあったんだろう?俺に嘘は通用しない。リディアのことはなんでもお見通しだからね」
リディアの手を掴む力が一段と強くなる。真剣なアレンの表情に、リディアは驚きつつもしぶしぶ口を開いた。
「ただ、メルベルト公爵夫人にアクセサリーの制作者を公表してみないかと言われた時、驚いた私の手を握っただけです。きっと動揺した私を落ち着かせようと思ってしただけで……」
そこまで言って、リディアはアレンを見て息を呑む。アレンの瞳はまるで嫉妬に狂うようにドロドロとした何かを垂れ流し、リディアへじっとりと纏わりつくようだった。
「ア、レン、様……?」
「へえ……あの男、君の手を握ったのか?この美しくきめ細やかな手を?俺の大切なリディアの手を、また、握った?」




